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自分は一生どころか(このままでいけば)未来永劫無視すると決めた人物が現実に1人いるが、それは過度な攻撃性に転じた感情が自分のプライベートを侵害するのを避けたいから。個人的な事情でなければ、最低限の調和を図る。
他者の鏡を見ることはできない。のぞきみても把握なんてできないのであくまでも私見(浅学)で。

目的が支配なら正論も暴力。机上の空論。

時折悪口だらけで恍惚としている人を見かけるが、彼らは悪酔いしただけと思う。悪口は自らを貶める行為だと解釈している。酔いすぎて潰れてしまうので品どころではない。なにより精神が不安定であることは否めないが、それを誤魔化すために依っている、とも想像できる。だから切らすことは困難。
哀れみになるなら、higai妄想も救われる。みえすぎても同調しすぎても毒になる。

わざわざネガティブだけにコネクトする必要もないが、物理的な意味合いを帯びるときの防衛は必要。
エゴは大事、ただし自信と誇りを培うのが困難な場合、補うために他人に投影し(求め)暴走するときもある。それは生きることが能動的欲求であり、内面にも外面にも向くから。
自信などというのはみえない精神の部分に関わることで、みえないためについた傷は手遅れになることがある。
そもそも生きることは独りからはじまる。すでに個々に在る精神として、他者に違いを認めない状態は結果、世界から他人以外の自分がいなくなるという、進化でいえば衰退を意味する。他者でみえていた自我をなくす行為であり、だが依然世界は独りではないために受ける重みは身体の拘束に匹敵するだろう。

自由が責任を放棄すればカオス、、、

自然に帰(還?)れ、っていったの誰だったっけ。

○○でなければ報われないの○○が他者か自分かの話。

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