「古代エジプト展 天地創造の神話」2020年11月


現在、江戸東京博物館で開催されている「古代エジプト展 天地創造の神話」へ行ってきました!

チケットはエジプト展単独のものと、常設展との共通チケットの2種類があったので久しぶりに常設展も見るか、と共通のものを購入しました。

入口ではミイラマスクがお出迎え。フォトスポットらしいですよ。

いざ入場! と思ったらなぜか受付のお姉さんに止められます……。

マスクと衝立で声が聞こえないけれど、どうやら後ろを指示している模様。

振り返ると、ちょうどミイラマスクの右側にスクリーンがあり、やけにイケボのアヌビス神が!

天地創造神話展のプロローグとして、エジプト3大神話の一つ「ヘリオポリス創造神話」が語られていました。

この映像を見てから入場となるのですね。

友人によるとこのアヌビス神、実際に俳優さんが動いた動きをアニメ化(アヌビス神化)しているのだそう。
どうりでステッキの回し方や手の動きが綺麗だと思いました。

入場の創世神話

アヌビス神が語るのは、原初の混沌ヌンからアトゥムが生まれ、そこから湿気と大気の神が生まれ、その兄妹神から天の女神ヌトと大地の神ゲプが生まれ……という天地開闢の神話です。

ちなみにヌトとゲプは大変仲の良い夫婦神で、常にピッタリと抱き合っていました。
あんまりピッタリくっついていたために、アトゥムなどの神々を含めたあらゆる存在は、天と地に挟まれ動けなくなってしまいました。

そこで父神である大気の神シュウが二人の間に入ってヌトを天に押し上げます。2人がくっついていられるのは手と足だけになりましたが、おかげで天地の間に隙間ができて、生き物や神々が動けるようになりました。

アヌビス神の語りは、ヌトとゲプの間にオシリスを含めた4柱の神が生まれるところで終わります。
続きは展示会で、ということですね。

エジプトは長い長い年月の中で神話を伝えたため、各地に色々な神話の変形があります。

諸説ありならぬ諸神話ありです。

加えて「神様は神だから同時多発的に存在できる」という神様観がいつの頃からか芽生えるため「女神Aが男神Bの母で妻で子供」みたいな状況もオールオッケー。

だって神様だから。

そんなエジプト神話なので、私が話す話全てがヘリオポリス神話として正しいわけではありませんが、「こういう神話もあるよ」という心で楽しんでくれる人は読んでください。

話はシュウがヌトとゲプを引き離したところまで遡ります。

「めでたく天と地が分かれましたが、神はそうとう怒っています。
怒りのあまり、アトゥム神は全ての月でヌトに子供を産むことを許さないと宣言しました。
しかし、ここで唐突にトト神が登場します。トト神の執り成しにより、ヌトは「どの月にも属さない」閏月に子供を産むことができました。

それがオシリス・イシス・セト・ネフティスです。(一説には天のホルスと言われる神も生まれています。閏月は5日なので)

オシリスとイシス、セトとネフティスが夫婦となり、こうして神々の体系が形作られていくのです。

唐突な登場を果たしたトト神ですが、出生については諸説があります。
アトゥム神と同じく自らの意志の力で原初の海であるヌンから誕生したという神話や、セトとホルスの子(セトの額から誕生)、石の卵から誕生したなど、地域や時代により、様々な逸話を持っています。

創世神話に関してもいくつか種類があります。
その中で有名な天地創造神話は3つ。

ひとつは今回語られているヘリオポリスの天地創造神話です。
おそらく一番有名な神話ですね。
ぜひ現地で聞いてください。本当にいい声のアヌビス神なので。

ふたつめはメンフィスの創造神話。こちらは古都・メンフィスで語られた創造神話であり、創造新としてのプタハ神が原初の混沌ヌンとして語られています。プタハ神からアトゥム神が生まれ、以後9柱神の誕生物語が展開されます。

みっつめは少し毛色の違う、ヘルモポリスの神話です。こちらの神話では4匹の蛇と蛙で表されるオグドアド、即ち原初の混沌からアトゥムが生まれ、以下神々の誕生となります。
上2つの神話と比べ成立年代が下がる分、哲学的な要素が増しています。

展示の話に戻りましょう。

神々の誕生が語られ、無事に入場を果たすことができました。

第一の部屋には神像がいっぱい

最初の部屋にはセクメト・セクメト・セクメト……

展示品を忘れるほどの、圧倒的なセクメト女神像。

展示担当の方、ネコ(ライオン)推しだったりするんでしょうか。

しかし、本当に色んな時代のセクメト女神。
なんか楽しくなってきました。

セクメト女神の神話

セクメト女神は古い神で、その本来の神話は過去に埋もれ現在には伝わりません。ある意味、謎の多い女神であるといえます。

これは、比較的新しい時期の神話と思われますが、獰猛なライオンとしての真価を発揮しているセクメト女神の逸話があります。

ある時、神々の父である太陽神ラーは、人間の自分に対するふるまいに腹を立て、人間を懲らしめることにした。
そこで「ラーの目」であるハトホル女神を地上へ下します。
地上へ降り立ったハトホル女神はセクメト女神となり、降りた土地の人間を殺しました。
しかもそこで止まらず、さらなる血を求めあちこちで人間を殺してまわります。

困り果てたラーは人間たちに命じてビールを作らせ、そこに人間の血(一説には人間の血に見せかけた赤土)を混ぜました。ラーはセクメト女神の進路に、ビールで川を作ります。
やってきた女神は目を輝かせて人間の血が混ざったビールを飲み、心地よい眠りの中へ。こうしてセクメト女神(ハトホル女神)の神殿では、獰猛な女神が起きることのないよう、祭りの日には大量のビールを供えるようになりました。

この神話では本来別の神であったハトホル、セクメト、(イシス)が同一神として語られています。

これは、長いエジプト史の中で行われた神々の結婚や地域的な強弱による神々の併合、近い性質を持つ神の同一化の結果です。

ハトシェプスト女王の像や展示品の部屋

製造を抜けるとミイラの棺や出土品などの展示コーナーが始まります。

今回の展示は新王国~ローマ時代の出土品が多めで、古い時代のものは少なめでした。

登場人物としてはツタンカーメン前後、ラムセス二世あたりの時代や、それ以降の時代がメインです。


ハトシェプスト女王もしくはトトメス3世のスフィンクスの胸像


ハトシェプスト女王の胸像

ハトシェプスト女王の名前は義息のトトメス3世に削り取られていますが、なぜ彼女の胸像だと分かったのでしょうか。

ハトシェプスト女王とは

ハトシェプスト女王は新王国時代、第18王朝に即位した女王です。
彼女の父であるトトメス1世は、ヒクソスを撃退して新王国時代を築いたイアフメス王の孫にあたります。
トトメス1世も軍人出身の王として積極に海外遠征に出ていたようで、6年とも12年ともいわれる治世において、第18王朝の在り方を決定づけたようです。軍事活動だけでなく、新王国時代のアメン大神殿の修復や建造なども行っています。

そんな父王の娘として生まれたハトシェプストは王位継承権を持っており、彼女と結婚した男性が次のファラオとなります。父・トトメス1世の後継者、トトメス2世と結婚し女王となったハトシェプストですが、夫は早世します。
娘で王位継承権を持つネフェルウラーとその結婚相手のトトメス3世はまだ幼く、政治を動かすことはできません。
そこでハトシェプストが2人の後見人として政治を動かしていきます。

彼女の治世者としての手腕は確かでした。
この時代には珍しく、エジプトは侵略ではなく平和貿易により、繁栄します。
ハトシェプスト女王の葬祭殿には、遠くプント国から交易の品を持ち帰る使節団のレリーフが施されています。

しかし、女王の統治の仕方は自らも軍人であるトトメス3世には面白くなかったようです。

いったい女王の治世がいつまで続いたのか、それは分かっていません。
彼女は自分がファラオとして、またトトメス3世が長じてのちは共同統治者として権勢を振るう間も、一貫してトトメス3世の治世×年という年号を使っていました。
独自の年号を持たなかったため、研究者によっては「王のような権力を振るったが、ファラオとして即位はしていなかった」と提唱する人もいるようです。

いずれにしても、トトメス3世が実権を握り彼女を排除して以降の彼女の足跡は分かっていません。
また、彼女行った業績についても、トトメス3世がハトシェプスト女王の名前や姿を建造物から削らせたり、トトメス1世や2世の名前に塗り替えたりしたため、彼女の治世のことやその業績については、良く分かっていないのが現状です。


削り取られた女王のレリーフ。ハトシェプスト女王の葬祭殿より

中王国時代にも女性がファラオとして即位した例はありますが、王朝の最後ではなく、中継ぎとして―――つまり存続する政権の中でファラオとなり、実権を行使した女性は彼女が最初と言われています。

 ただし、あくまで「今時点で認識されている限りにおいて」という注がつきますが。
 彼女の前にも、実は女性のファラオがいたかもしれません。そう考えると面白いですよね。

展示品色々


王の書記ホリのステラ
ホリはラムセス8世の書記であったようですね。
ラムセスといえば2世が有名ですが、実はラムセス3世以下12世まで、全てのラムセスはラムセス2世とはなんの関係もありません。

偉大な大王であったラムセス2世にあやかってラムセスを名乗りますが、残念ながらどの王も大王ほどの権力はなく、エジプトは混乱への道を突き進んでいくことになります。


「太陽の船に乗るスカラベを描いたパネヘシのペクトラル」
スカラベは太陽を象徴する聖なる虫でした。
日本初公開のようです。

下の写真は2020年2月に私がエジプトで見た太陽の船です。
この船に乗って神々は空を駆け巡り死と再生を繰り返すのですね。


エジプト「太陽の船博物館」で展示されている第一の太陽の船
吉村作治先生が発掘している第二の太陽の船は現在も発掘・復元中です。
とても大きい!



展示品の数々


第3中間期 アムドゥアトの書

古代エジプトで「死者の書」が葬送文書として広く用いられるようになったころ、特に新王国時代ごろから登場するのが「アムドゥアトの書」です。
こちらは「死者の書」とは異なり、太陽神が西の地平線に没し東の空へ上るまでの道程を12時間(12の区分)で描いた文書です。
「アムドゥアトの書」は「地下世界にある隠れたる部屋(墓室)の書」という意味らしいですね。(『古代エジプトの埋葬習慣』和田浩一郎)
 
 
この「アムドゥアトの書」から分かれた書物として「門の書」というものもあるらしいです。
「~の書」、めちゃくちゃ読みたいのですが、対訳とか解説みたいな本見つかりません。
なんて探せば出てくるのでしょう。
そもそも日本語訳がないのでしょうか、需要ならここにあります。
※個人的には『エジプトの死者の書』(石上玄一郎)のようなものが欲しいです。




こちらはプトレマイオス朝時代の死者の書です。
「死者の書」と言いますが、これは『古事記』のような一連の書物としての『死者の書』が存在しているわけではありません。

始まりは、おそらくそれまで地域や身分ごとに行われていた種々様々な秘儀をピラミッドの壁に書き記したピラミッド・テキストです。

ピラミッド・テキストは第5王朝最後の王、ウナス王のピラミッドに初めて登場します。
内容はウナス王の死後の繁栄を祈るも呪文、また「年老いた神々を薪にして若い神を煮て喰う」といった物騒な呪文もあります。

ウナス王以降のピラミッドにはピラミッド・テキストが書かれるのが一般的となりますが、これらは何かの呪文や儀礼の文句、当時でさえ意味が分からなくなっていた古い言葉の断片であり、「ピラミッド・テキスト」なる一連の思想が存在していたわけではないようです。

 その後、中王国時代になると、ピラミッド・テキストを基に棺にコフィン・テキストが書かれるようになります。ピラミッド・テキストは王だけのものでしたが(ピラミッドの製作者が王なので)コフィン・テキストは貴族や官僚、裕福な庶民へも広がっていきます。
来世の民主化ですね!
また、ピラミッド・テキストを世相に合うよう整理、取捨選択をしてまとまり良くしています。

このコフィン・テキストを元に書かれたのが、新王国時代に始まる「死者の書」です。
パピルスに書いて棺に納めたり、ミイラを包む大判の布に書かれたりしました。

「死者の書」は約200種類から成る呪文で構成されていますが、その全てがミイラと共に納められた訳ではありません。
日本の戒名が金額によって変わるように、出せる金額に応じて「死者の書」の一部が埋葬されていたようです。

「死者の書」の内容は、故人が厳しい旅を乗り越えてオシリスの館へ至り、死後の審判を突破できるようにする呪文や神々と怪物の名前が書かれています。

名前を知ることは、そのモノの存在を縛ること。
怪物も、神々でさえも名前を知れば支配できるのです。
しかし船の帆やマストの名前まで覚えなければならないのはいささかやり過ぎな気がするのですが、いかがでしょうか。


カルトナージュ

カルトナージュとは亜麻布やパピルスを漆喰等で、死者の輪郭に沿って固めた棺です。
木や石の棺に比べて安価という理由もあって普及しました。

古代エジプトにおいて、最古の死者は屈葬であったため、棺はやや小さなものでした。また、柩ではなく獣の皮やムロにくるまれた遺体も発掘されています。

初期王朝時代になると、屈葬と足を伸ばして葬る伸展葬が混交され、次第に伸展葬が標準になっていきます。

初期の柩はシンプルなものでしたが、古王国時代が始まる頃には、マスタバの表面に見えるような(一説には王宮の正面を模した)模様が刻まれました。この時代は、柩そのものが死者の家として理解されていたのでしょう。

しかし、「シンプルでも安心」という思いは王権の安定あってこそ。
第6王朝になると、政権の揺らぎを反映してか、柩には様々な呪文や装飾が施されるようになります。
王の威光ではなく魔術で死体を守ろうとしたのでしょう。

この時代~中王国時代の箱型の柩には、ミイラを左下にした横向きの姿勢で納めました。そして、顔がくる部分の柩に、一対の目を描いたことが特徴です。

第12王朝(中王国時代)以降になると、人型の棺が登場してきます。
人型の棺は、箱型の柩の進化版ではなく、ミイラの顔面~肩を覆うミイラマスクから発展したもののようです。
当初の人型棺は、やはり左を下にして埋葬されましたが、第二中間期以降は上向きの埋葬へと変化したようです。

正確な時代区分については諸説あり調べきれていません。
だいたいの目安としてお考え下さい。

カルトナージュが登場するのは新王国時代あたり。少し調べたのですが、手持ちの本では詳しく分かりませんでした。
カルトナージュの棺は単体で棺となったり、カルトナージュの棺の上から木の棺で覆ったりと身分によって様々あります。

木の人型棺→カルトナージュという流れは、レバノン杉の不足や国力の低下による輸入木材の不足に加え、ミイラになる人口が増えたことも考えられそうです。


頭にも神様が!守りは鉄壁


人型棺

コフィン・テキストがびっしり。上の棺の裏もびっしり。覗き込むより携帯の画面(写真モード)で見た方が裏側がよく見えるかも。




偽扉と供物台


とある貴族の墓の偽扉 とんでもなく大きい



同貴族の墓
「ワニを食べるカバ」のレリーフ
カバは出産を司る女神のはずなんですが、こんな扱いでいいんでしょうか(笑)
実情に即したということ? 意味わからないけど面白い。だから古代エジプトって好き。

読んでいって良かった本

これを読んでから行ったらより楽しめるよーという本です。
たぶん。

『古代エジプトの埋葬習慣』和田浩一郎
タイトルの通り、古代エジプトの埋葬観、神話や来世へ行くための方法について分かりやすく書かれている本です。
新書で持ち運びも便利&上の本と違って新品が買えます。

『ファラオと死者の書』
『吉村作治の古代エジプト講義録(上下)』吉村作治
とても分かりやすく、読みやすい古代エジプトの本です。
私は小さい頃に吉村作治先生のテレビを見てエジプトに嵌ったので、本もこの辺りから入りました。

『死の考古学』スペンサー
ちょっと前に新装版が出たおかげで入手しやすくなりました。
ミイラ柩の変遷や埋葬について詳しい本。

『エジプトの死者の書』石上玄一郎
古い本ですが、死者の本の抄訳が沢山載っています。
書の呪文から背景の信仰に言及しつつ、死者が楽園に至る過程や否定告白、葬儀につて。

『ミイラ解体』
『病と風土』
『古代エジプトのファラオ』
辺りも面白いですが、今回の展示とは少し趣向がずれているかもしれません。機会があったらぜひ。

古代エジプト関係の本は他にも色々出ていますが、多分この辺を読んでいたら今回の展示はあるあるがいっぱいで面白いと思います。

それでは良い読書ライフを。

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