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「あなたにとってラジオとは?」 村上謙三久『いつものラジオ リスナーに聞いた16の話』試し読みページ公開!


「ラジオを聴くこと」をテーマにしたインタビュー集『いつものラジオ リスナーに聞いた16の話』がまもなく発売となります。登場するのは学生、主婦といった一般のラジオリスナーから、‟ハガキ職人"と呼ばれるラジオ番組の常連投稿者、構成作家など放送を支えるスタッフ、ラジオリスナー研究家に大学教授、そして武田砂鉄さんのような人気のパーソナリティまで、 多彩な16人のラジオ遍歴が語られます。

著者は『深夜のラジオっ子』(筑摩書房)で高い評価を受けた、ライター・村上謙三久。お笑い芸人や声優の番組を中心に現場を多く取材してきた著者が、2010年代以降のラジオ・シーンを中心に、"ラジオのある生活"を描く、胸を打つエピソードが満載のラジオ本に仕上がっています。


まえがき

 私がラジオ本を制作するようになったのは2012年のこと。当時は出版社に所属していたが、携わっていたアイドル雑誌が休刊となったため、新しい企画を立ち上げなければならなくなった。なんとか捻りだしたのが学生時代に熱心に聴いていたラジオ本のアイデア。知り合いのカメラマンから提案された声優案件と合体させ、声優×ラジオでムック本を作り始めた。

 アニメや声優の知識がまったくなかった私は、実績のある編集プロダクションに制作を依頼。全体を進行する立場として関わったが、スタッフが最も大事な〝ラジオの空気感〞を理解していなかったため、「自分でやったほうがいい」と判断し、2冊目からは編集長としてすべてを取り仕切るようになった。ライターとしてインタビュー自体も行うようになり、パーソナリティのみならず、番組スタッフも多数取材。お笑い芸人のラジオ本も並行して制作し、これまで年に1、2冊のペースでラジオ本を作ってきた。

 また、私個人の著書として、構成作家の証言から深夜ラジオの歴史を紐解いた『深夜のラジオっ子  リスナー・ハガキ職人・構成作家』(筑摩書房)、当事者たちを取材して声優とラジオの50年にわたる関係性を掘り下げる『声優ラジオ〝愛〞史 声優とラジオの50年』(辰巳出版)も出版。最近ようやくラジオ関連の編集者・ライターとして形になってきたと思えるようになった。

 以前はラジオ本やラジオ特集を掲載した雑誌などほとんどなかったが、インターネットを経由してラジオを聴くことができるradiko(ラジコ) が普及した影響からか、近年は書店でよく見かけるようになった。時代は変わったものだなと感慨深くなる。本の中で説明しているが、radiko のタイムフリー機能とエリアフリー機能によって、ラジオのあり方も大きく変わった。

 10年以上もラジオ本を作ってきたのならば、業界に食い込んでいて然るべきなのだが、ラジオ関連に限らず、良くも悪くも取材対象と距離を取ってしまうのが私の性分。パーソナリティやスタッフと仲良くなった例は数える程度だが、一方で一般のリスナーには知り合いができ、飲み会やオフ会などに参加させてもらう機会が増えた。

 そんな時に始めたのが、リスナーからラジオ歴を聞く“リスナーインタビュー”。最初はただの思い付きで、酒の肴として始動させた企画である。本を作るうえでの市場調査の意味合いもあったし、「さすがに話を聞いたリスナーは今後も本を買ってくれるだろう」という打算もあった。あくまで仕事の合間にやる趣味としてその内容を原稿にまとめ、定期的に自分のブログで公開するようになったのが2015年のことだ。

 気楽な気持ちで始めたリスナーインタビューだが、想像以上の面白さがあり、続けていくうちにいつしか自分のライフワークになった。最初は10分程度の雑談に過ぎなかったが、気付けば1時間のロングインタビューが当たり前になり、1万字を超す原稿になる時も。一切原稿料が生まれないのに、自分は何をやっているんだろうとたまに我に返ることもあるが、いまだに仕事の合間を縫って、定期的にリスナーを取材している。

 パーソナリティがいなくても、音楽を流すだけの番組なら成立する。スタッフがいなくても、パーソナリティがすべてを担当するワンマンDJスタイルがある。だが、リスナーがいなければ、ラジオはラジオたり得ない。放送を誰かが聴いてくれるから、ラジオは成立するのだ。リスナーを取材するようになって、改めてそう実感するようになった。

 リスナーとして括れば、一般人もパーソナリティもラジオスタッフも全員対等になる。お笑い芸人や声優をリスナー視点でインタビューする企画も実現させた。一般人・著名人を合わせると、100人ほどのリスナーに話を聞いてきただろう。

 総務省が発表した「令和4年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」によると、平日のラジオにおける全世代の行為者率(1日あたり15分以上その行動を取った人の割合)は6・0%だという。令和4年10月時点の日本の人口は約1億2495万人。細かい要素を無視して単純に計算すると、750万人弱のリスナーが日本にはいることになる。

 ただ、リスナーが取り上げられる機会は少ない。ラジオ本やラジオを特集した雑誌、WEB記事などにおいて、パーソナリティ視点、スタッフ視点で綴られた記事を目にする機会はたくさんあるが、約750万人もいて、最も共感されやすいはずなのに、リスナーが取り上げられることは極端に少ない。申し訳なさそうにハガキ職人による座談会やリスナーから募集した短文メッセージが掲載される程度。個人的にはリスナーを絡めた企画をいくつか実現させてきたが、リスナーの視点の話だけをとことん掘り下げても面白いのではないかと考えるようになった。それを形にしたのが本書である。

 「リスナーが選んだ人気番組ベスト10」や「神回ランキング」なんて企画も組まれがちだが、今の私はまったく興味がない。ラジオの特性上、組織票が生まれやすいし、ジャンルとしての幅が広いのに〝好き〞に順位付けをしても意味がない。そんな大層なランキングより、私は「目の前にいる一人のリスナーが個人的に選んだ好きな番組や思い入れ」が知りたくて仕方ないのだ。

 本書では、世代や性別、職種が違う計16人のリスナーを取材している。それぞれ出会いから現在に至るまでのラジオリスナー歴を聞くのと併せて、共通点や違いがわかりやすいように、「私が思うラジオの魅力」「ラジオを聴いて人生が変わった瞬間・感動した瞬間」「特にハマった番組」「印象に残る個人的な神回」「ラジオを聴いて学んだこと・変わったこと」という同じ
質問をしている。

 そして、最後には「私にとってラジオとは○○である」の「○○」を埋めてほしいという質問で締めくくっている。これは「あなたにとってラジオとは?」というあまりにベタな問いかけを避けて考えた苦肉の策なのだが、誰一人として同じ答えにはならず、全員頭を悩ませつつも自分なりの回答をしてくれた。

 一応断っておきたいが、この本は決してラジオリスナーの思いを総ざらいしているわけではない。なにせ750万分の16人だ。意識的に性別や世代に幅を持たせ、ラジオとの関わり方が違う人選をしたつもりだが、あくまで私の手が届く範囲。地方に住んでいるリスナーは取材できていないし、番組に参加しない聴く専門のサイレントリスナーよりもラジオに積極的に関わっている人中心になっている。また、インタビューの聞き手である私がずっと追いかけてきたのが深夜ラジオなので、どうしてもその話題が多くなっている。さらに全員が今もラジオを聴き続けているリスナーなので、どうしても2023年現在の話が濃い。ただ、だからこそ見えてくるリスナー像があるので、最後まで読んでいただきたい。

 ほとんどのリスナーはラジオにまつわる自分史を一から振り返る機会などなく、日々淡々と歴史を重ねている。だから、面と向かって質問をすると、堰(せき)を切ったように、言葉があふれ出す。16人の証言はすべて今回の本のためにインタビューしたもの。ラジオの魅力が改めて注目されたコロナ禍の真っ最中で取材を行ったが、全員が予定した時間を大幅に過ぎてまで思いを語ってくれた。

 今回の本を含めて、様々なリスナーに話を聞いてきたが、ラジオと運命的な出会い方をした人もいれば、死のうと思った時に命を救われた人もいる。一方で、どこにでもあるような出会い方をして、平々凡々と何十年も聴き続けている人もいる。リスナーという言葉で一緒くたにまとめられがちで、番組によってはリスナーの総称が決まっている場合もあるが、一人ひとりのラジオ観はまさに十人十色だ。

 何十年も番組に投稿を続けているいわゆる“ハガキ職人”もいれば、サイレントリスナーを貫き、あくまで個人の趣味として完結している人もいて、ラジオとの距離感も千差万別。それぞれまったくニュアンスが違う。

 ただ、今回取材した16人のリスナーがそうだったように、共通するのは聴かない時期、離れた時期があったとしても、いつも近くにラジオがあったこと。彼らの証言が、読者の皆さんにとって自分のラジオ歴とラジオ観を振り返るきっかけになれば幸いである。読みながら「私にとってラジオとは○○である」のあなたなりの答えを考えてみてほしい。

“ 好き” を仕事にすれば付き合い方も変わる

伊福部崇
男性/47歳(1975年生まれ)/北海道出身/構成作家

90年代後半から声優やアニメ関連のラジオ……いわゆるアニラジを中心に構成作家として活躍している伊福部崇。かつて彼は『電気グルーヴのオールナイトニッポン』の投稿者だった。“好き”を仕事にすれば付き合い方も変わる。近づきすぎると、逆にラジオを聴かなくなることもある。その距離感は常に変化してきたけれど、今現在、伊福部は昔以上にラジオを聴いているというから人生は面白い。

同世代の目線だった伊集院光と電気グルーヴ

 北海道の札幌出身なんですが、親父が免許を持ってなくて、珍しいことに家に車がなかったんです。だから、車で移動することがほぼなくて。僕がパーソナリティをしている『(伊福部崇の)ラジオのラジオ』(超!A&G+)でいろんな方に話を聞くと、だいたい子供の頃に車の中でラジオと出会うんですけど、僕はその経験がありませんでした。

 今回取材を受けるにあたって、昔を振り返ってみたんですよ。これまでは「明石英一郎さんがSTVラジオでやっていた『うまいっしょクラブ』が小学生の時にブームになって、それから聴くようになった」といつも話してたんですけど、もしかしたら違うんじゃないかという記憶が蘇って。

 当時、僕はおニャン子クラブの高井麻巳子さんが好きだったんです。高井さんのラジオを聴きたくて、親父の持っていたトランジスタラジオを持ち出したのが先だったのかなと。調べたら、その番組(『高井麻巳子 ほほえみメッセージ』ニッポン放送)が1986年スタートで、『うまいっしょクラブ』は1987年からなんです。放送開始と同時に聴いているとは思えないから、どっちが先かわからないんですけど、もしかしたら高井さんのほうが先だったのかなと。

 中学生になるとSTVラジオで『夜は金時』が始まって。今で言う『SCHOOL OF LOCK!』(TOKYO FM)みたいな番組でした。いろんな学校を回って、校門前で生徒にインタビューするんです。「次は○○中学校に行きます!」ってうちの学校の名前が出てたけど、学校内では話題になってなかったので、僕は自主的に「この日にインタビューをやるらしいよ」と広めていたら、生徒会の人に「うちは断ったからやめてよ」と注意された覚えがあります。

『夜は金時』にはちょっとしたエピソードを電話口で話すと、オペレーターが内容をまとめてくれて、放送内で読んでくれるシステムがありました。ラジオにハマったのは、電話投稿したことが実際に読まれて、その面白さを感じたのが理由の一つ。STVラジオを聴くようになり、『アタックヤング』という24時からの枠にも手を出して。25時からの『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)に広がり、段々と深夜ラジオにハマっていったんですよね。

 中学生になり、夜更かしもできるようになって。よく言う話なんですけど、先生に呼ばれて、「せめて2部は聴くな」と言われました(笑)。88〜89年ぐらいは『オールナイトニッポン』を全部聴いているに近い状況でしたね。

 さらにのめり込むようになったのは、伊集院光さんと電気グルーヴの『オールナイトニッポン』からだと思います。ビートたけしさんやとんねるずの『オールナイトニッポン』にも間に合っているんですけど、伊集院さんや電気グルーヴがそれまでのパーソナリティと違ったのは、僕らの世代の目線だったんです。伊集院さんは僕がその時リアルタイムで好きだったもの、触れているものを話題に出してくれて。ここだったら、僕が面白いことを同じように面白いと思ってくれると感じました。たけしさんやとんねるずの場合、僕は完全に受け手でしたけど、伊集院さんや電気は自分が巻き込まれていく感じがあったんだと思います。

 伊集院さんのラジオを教えてくれたのが中学時代の友達だった千葉君。彼に勧められて聴くようになりました。中学時代にはラジオの話をする友達が何人かいたんですけど、高校時代はクラスで一言も喋らないような人間でした。

 ちゃんと録音して聴くようになったのは高校ぐらいから。電気は毎回録音してました。この番組にハマっちゃったんで、逆にそれ以外をあまり聴かなくなりました。他の番組の悪口を凄く言うから。電気のラジオに投稿を始めるんですけど、周りは誰も僕が投稿しているなんて知らなかったです。千葉君も同じ高校に進学したんですけど、一緒に登校した時、「昨日の『電気グルーヴのオールナイトニッポン』で読まれていた自虐的なネタ、お前みたいだったなあ」って言われて。「あれ、俺なんだよねえ」「マジで?」ってなったのを覚えてます。送っていたのは電気グルーヴの、しかも2部時代限定なんですけど。

 投稿しようと思ったのはなんでだろうなあ。あの番組に参加したかったんだと思います。お二人は、共通言語が凄くあって。でも、お笑い芸人ではないから、他のジャンルや番組とあまり接点がなくて、2人と仲間だけの世界観があったんです。そこに混ざりたい、この人たちが面白いと思っていることの中に僕の面白を触れさせたい。そういう気持ちがあったんだと思いますね。

 電気グルーヴの影響でテクノミュージックにもハマりました。ただ、住んでいたのが地方都市だから、「クラブに行く」なんて方向にはならないんです。ひたすらCDを買って聴いていました。

 石野卓球さんがラジオや『テレビブロス』のコラムでテクノのCDを紹介してくれるんですけど、手に入りやすいものも、ドイツに行かなきゃ手に入らないものも、同じように紹介するから、何がメジャーで、何がレアかわからないんです。それでもメモを取って、タワーレコードとCISCOとWAVEを回って探すみたいな、そんな毎日でした。でも、「テクノがいいんだよ」ってことを誰かと共有しようとは思わなかったですね。

 伊集院さんの場合、当時って本当に誰だかわからなかったんですよ。あの頃の他のパーソナリティってある程度テレビに出ている人たちでしたけど、伊集院さんは謎の存在で、〝ただお話の面白いお兄ちゃん〞だったから、とても興味を持ったんです。当時、伊集院さんは落語家だったことを隠して、オペラ歌手だと名乗っていたんですけど、僕はそれを信じてましたし。

 そのあとに『伊集院光のOh!デカナイト』(ニッポン放送)が始まり、ラップユニットの荒川ラップブラザーズをやるじゃないですか。当時からやっているのが伊集院さんだとわかっていたはずなんですけど、心のどこかで「本当は別人なんじゃないか?」とちょっと思っていたんです。中学生の頃だから理解していてもおかしくないのに、心のどこかでメディアの噓を噓だと信じられない感覚があって。結構素直な人間だったんだなと(笑)。

 伊集院さんを芸人だと思ったことは結局なかったです。オペラ歌手だと思っていたし、あとから「芸人だから」と言われた感じがして。当時って「芸はテレビで見るもの」で、「ラジオの魅力は誰だかわからないお兄ちゃんやミュージシャンのトーク」だと思っていた気がします。

 今、伊集院さんのことを世の中がみんな知っているのって不思議なんですよね。当時、深夜に『北野ファンクラブ』を見ていたら、高田文夫先生が「伊集院ってあれだろ、落語家なんだよ」って話を急にし始めて。僕はオペラ歌手だと思い込んでいたから、「いやいや、何を言っているんですか。高田先生より僕たちのほうが伊集院光についてよく知ってますから」なんて思ったんですよ。でも、いつの間にかカミングアウトしていて、驚いた記憶があります。

大学を辞めて上京。ラジオの仕事をスタート

 放送作家になりたいと考えたのは、「番組で笑っている人って何をやっているんだろう?」と感じたのがきっかけでした。楽しそうだし、笑ってお金をもらえるんじゃないかって。その中に混ざりたいと思うようになりました。あとから「自分が面白いと思うことは通用するのかな?」という気持ちも出てきて。

 先生や親に「放送作家になりたい」と言ったはずなんですけど、反対された記憶がありません。誰もどんな仕事かわかってなかったんだと思います。僕も含めてですけど、放送作家がなんなのか? それは就職なのか? 誰もわかってなかった。説明するとしたら、「テレビに出ている青島幸男さんだよ」ってことなんですけど、それは僕もわかってなかったですからね。

 専門学校に行けばよかったんですが、親は「大学には行きなさい」と言うから探したんですけど、放送にまつわる大学って当時は日藝(日本大学藝術学部)と大阪芸術大学しかなくて、現役の時に両方受験したんですけど落ちてしまい、浪人することになりました。1年後、大阪芸術大学の赤本を読んでいたら、「自己推薦」があることに気付いて。現役の時に気付いていたら、それで合格したと思うんですけど、赤本を読み込んでなかったので、1年棒に振った感じでした。

 自己推薦で大学に受かり、大阪に来てからは、ラジオをほとんど聴かなくなりました。95年に入学したんですけど、その前の年に『電気グルーヴのオールナイトニッポン』は終わっていましたし。でも、10月から始まった『伊集院光 深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)は聴いてました。『UP S ’ 』から『JUNK』まで、伊集院さんに関しては基本全部聴いているので。

 でも、「大阪に来たから『ヤングタウン』(MBSラジオ)を聴こう」とはならなかったですね。電気に良い意味で毒されちゃったんで、その頃は信者みたいになってるから、なんでもかんでも聴くみたいな気持ちではなかったです。電気や伊集院さんと同じ匂いがするものは聴こうという意識でした。

 大学に入って鷲崎(健)さんと出会って意気投合し、作家になりたいと話したら、鷲崎さんが所属していたインディーズのお笑い事務所「ザ・ニュース」を紹介してもらった話は、村上さん(註・著者 村上謙三久)に何度もしたことがありますよね。作家というほどのことはやってないですけど、時々企画書を書いたり、若手芸人のネタを見て感想を言ったりしていて。そうしたら、1年後、事務所自体が東京に行くことになり、僕も大学を辞めて上京しました。東京に出てからは、ちょっとずつラジオの仕事をさせてもらえるようになっていましたね。

 まだ作家見習いの時、『深夜の馬鹿力』でやっていた「輝け!紅白電波歌合戦」のコーナーに、鷲崎さんと一緒にラジオネーム「ポアロ」として替え歌を投稿したんですけど、業界人みたいな意識はなく、ただのリスナーという感覚でした。ギターが弾ける鷲崎さんが近くにいたんで、「音源を投稿できるなら、ちゃんとギターを弾ける人が出たら面白いだろうな」と思って。当時、鷲崎さんは事務所に住んでいて暇そうだし、事務所には録音機材もあったので、それで送っただけなんです。そこから何かに繋げようなんてまったく思っていませんでした。実際にTBSラジオに呼ばれて、スタジオで歌を収録することになり、伊集院さんと直接お会いした時は緊張しましたけど。

※ポアロ……伊福部と鷲崎が結成した音楽ユニット。「輝け!紅白電波歌合戦」で常連投稿者となり、ラジオリスナーの間で有名になった。伊福部は90年代後半から文化放送を中心に構成作家として活動。鷲崎はパーソナリティとして長年文化放送でレギュラー番組を担当している。以前はユニットとしてもラジオ番組を持っていた。

(続きは書籍版『いつものラジオ リスナーに聞いた16の話』でどうぞ)

目次


まえがき
つきこ
 コラム radiko
ペリークロフネ
 コラム 深夜ラジオ
楽しい鹿
 コラム アルコ&ピースの活躍
相澤遼
 コラム 出待ち
恩田貴大
 コラム 音声メディアの隆盛
林冴香
 コラム ハガキ職人
たかちゃん〝アブラゲドン〟石油王
 コラム 最近のリスナー事情
ブタおんな
 コラム ラジオスタッフ
茅原良平
 コラム ラジオ業界への道
及川ユウ
 コラム アニラジ
タク・ヨシムラ
 コラム AM放送終了
伊福部崇
 コラム ラジオスター
鹿児島おこじょ
 コラム 結婚発表
リトル高菜
 コラム 佐久間宣行の登場
昭和の窓辺
 コラム 現在のラジオ界
武田砂鉄
あとがき

著者プロフィール


1978年生まれ。 プロレス、ラジオ関連を中心に活動。 『声優ラジオの時間』『お笑いラジオの時間』(綜合図書)『芸人ラジオ』(辰巳出版)の編集長を務め、著書に『深夜のラジオっ子』(筑摩書房)、『声優ラジオ“愛”史 声優とラジオの50年』(辰巳出版)がある。


『いつものラジオ リスナーに聞いた16の話』
村上謙三久
■四六判並製 ■368ページ ■定価2090円
ISBN978-4-86011-481-7


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