受け身から、自らの手で。=自分史⑦=
少しずつカウンセリングが進んでいく中、それでも自力では電車に乗れなかった私。
どうしても現実感が湧かず、外に出る恐怖心に勝てないため近所以外は出歩くことができませんでした。
ある日、そんな状況をイギリスのホストマザーとチャットで話していると、彼女にあるヒントをもらいました。
あなたは英語をここで勉強したのだから、英語で色々と他の国での治療の情報を入手してみたら?
それを聞いた時、一番初めに思ったことは「どうせ国によって医療情報にそんなに変わりはないだろう」でした。でも、せっかくの彼女からの気遣いだったので、「そうだね」と生返事をしてその日のチャットを終えました。
別の日になって、その会話を思い出した私は現実感喪失症候群について辞書を引き引きイギリスのサイトで検索してみることにしました。
そしたら驚いたことに、現実感喪失症候群の患者が作るポータルサイトらしきものを見つけたのです。それは当時日本では見つけることができないものでした。
さらに読み進めていくと、詳細な薬の飲み合わせの情報が書かれていました。進むにつれて増えていく情報に大変興奮したのを覚えています。
結局私はその部分を翻訳し、当時の主治医に「副作用に関しては自分で責任を取るので、この薬の組み合わせで処方してほしい」と直談判しにいきました。当時の主治医の対応が大変柔軟だったこと、そしてその薬の組み合わせがおそらくそんなに奇妙なものではなかったのでしょう、その日のうちに薬を手にして帰路につきました。
そして飲み始めて約3日後、いつもみる散歩の景色がいつもよりキラキラして見えることに気がついたのです!それは、あたかもセピア色の写真がみるみるうちにカラーになっていくような、そんな感動を覚えました。現実感が戻ってき始めた瞬間でした。
私の治療自体がある程度進んでいたからそのような相乗効果が得られたのかもしれません。詳しいことまではわかりませんが、この教訓で得たことは
「医者に丸投げするのではなく、あくまで自分が主役となって病と向き合うのだ」ということでした。
それからというもの、できうる限り私は自分の中で起きていることを調べ、知ろうとするようにしています。情報の有無で自分のことを楽にすることができる可能性があることを肌で知った私。だから、治療の主導権を誰かに丸投げせず、参加したいのです。
この考え方は、父の闘病生活でも一部役立ちました。このスタンスは一生忘れずにいたいと思っています。
(続)
※私は医療者ではありません。あくまで一患者です。また当時得た情報は古いものになりますため、ここで挙げた薬の組み合わせ等に関しては内容を伏せさせていただきます。
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