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信号を真面目に守るべきなのか?〜それは「生き方」の問題でもある

 信号機は何のためにあるのか?

 それを考えるヒントになるのは信号のない交差点だ。

 「止まれ」標識のある場合は、一時停止して、左右から来る車やバイクがいなければ進むし、いれば通り過ぎるのを待つ。交通量がそれほど多くなければ基本はこれでいい。ただし、交通量が多くなるとこれでは流れが悪くなるので何らかの手を打った方がいい。

 つまり、信号機は交通量の多い交差点において、交差する道路の両方から車両が来たときに交通整理をするためにあるものだ。

 従って、本来のあるべき信号機は、交差する道路の両方に車両がいて、交通整理をしないとぶつかる可能性があるときだけ機能し、それ以外の時は信号を消すか、常時青であるべきなのだ。ほとんど車も人もいない夜中の交差点で、赤信号で無駄に待たせるためにあるものではない。

 あるいは、信号機は今のままでもいいが、交差する道に車両がいない場合は信号を無視して通っても交通違反としないルールにすべきなのだ。

 まとめると、

A.交通整理をする必要があるときだけ片側の道の通行を止め、それ以外は常時通行可の信号にする

B.交差する道路に車両がいない場合は信号を守らなくてもルール違反としない法律にする

のいずれかを採用すべきだ。

 現状はそのどちらでもないので、私が歩行者または自転車を運転している時はルールを守らない。ただし、警察官がいなければ、だ。いたら捕まるか注意されるのでやらない。
 信号機が作られた目的に沿って、適切な「運用」をしている。

「ルールのできた理由を考え、理由に沿った運用をする」のが私のポリシーだ。おかしなルールを真面目に守ることはしない。それは社会の他のルールについても同じ。おかしなことには「おかしい!」と言う。
 これからも自分の価値観に従って生きていくつもりだ。

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