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「人類を裏切った男~THE REAL ANTHONY FAUCI(中巻) 」② ポイント抜き出し 2/6~第4章 パンデミック時の常套手段

 2021年11月9日に米国で発売された本書は、書店に置かれず、様々な妨害を受けながらもミリオンセラーとなり、この日本語版も販売妨害を避けるためか、当初はAmazonでは流通させず、経営科学出版からの直売のみになっているようだが、現在はAmazonで買うことができるようになっている。

 日本語版は1000ページを超えるために3巻に分けられた。

 本書はその中巻「アンソニー・ファウチの正体と大統領医療顧問トップの大罪」だ。

 極めて重要な情報が満載で、要旨を紹介して終わりでは余りにも勿体ないので、お伝えしたい内容を列記する。

 今回は第4章「パンデミック時の常套手段」。

 要約すると、「新型コロナパンデミック中に行われたあらゆる欺瞞、詐欺的手法は、すべてエイズ騒動のときに実践されたものだった」である。

 以下、抜粋する。

 アジドチミジンの承認プロセスは、トニー・ファウチにとってテスト航海だった。ファウチ博士は、アジドチミジンが規制の罠にかからないようにしながら、(中略)承認プロセスを完成させた。

 治験責任医師による医薬品開発の世界にファウチ博士が足を踏み入れた当時、バローズ・ウェルカム社(グラクソ・スミスクライン社の前身)だけがエイズ治療薬としての候補薬を準備していた。それが毒性化合物であるアジドチミジン(AZTと略される)だった。

 アジドチミジンはDNA鎖の伸長を停止させる働きがあり、生殖細胞のDNA合成をランダムに阻害するものである。

 アメリカ食品医薬品局(FDA)は、この有毒な化学療法剤ががんに効かず、マウスでは唖然とするほど致命的であることが判明したため、この化合物を放棄した。

 アメリカ国立衛生研究所(NIH)のチームが1983年にHIVがエイズの原因であると特定した直後、NIHのもうひとつの下部機関である国立がん研究所(NCI)のサミュエル・ブローダー所長は、治療薬として見込みのありそうなものを世界中の抗ウイルス薬からスクリーニングするプロジェクトを立ち上げた。1985年、ブローダーのチームは、デューク大学の同僚と共に、試験管内でアジドチミジンがHIVを殺すことを発見した。

 NCIの研究に触発されたバローズ・ウェルカム社は、ホーウィッツのがらくたの山からアジドチミジンを拾い上げ、エイズ治療薬として特許を取得した。 死を前にした若いエイズ患者は絶望的な恐怖を抱えており、治療のためなら金を出すだろうと見た製薬会社は、患者1人あたりの治療に年間1万ドルという価格を設定した。アジドチミジンは、製薬史上最も高価な薬となった。

 アジドチミジンは、ファウチにとって願ってもないチャンスだった。バローズ・ウェルカム社は、エイズ治療薬の開発で先行していただけでなく、ベテラン「治験責任医師」をそろえていた。彼らには、ファウチ博士がまだマスターしていなかった複雑な規制のハードルをクリアする専門知識があった。
 ヌスバウムは、その英国の製薬会社がどのようにファウチ博士に対する影響力を駆使して、政府のHIV対策を独占支配するようになったかを詳述している。
 「ウェルカム社の治験責任医師はNIAIDの臨床試験のやり方を支配するようになった。彼らは、ウェルカムという会社、アジドチミジンという薬、そしてNIHという公的機関を結ぶネットワークを形成した。そのうえ、NIAIDの重要な薬剤を選定する委員会のメンバーだったため、各種の抗エイズ薬の試験の優先順位を高くするか低くするかを決定する立場にあった。そこには、市場でアジドチミジンと競合する可能性のある抗エイズ薬も含まれていた。 治験責任医師は自分自身に権限があったので、実際のところ、やりたい放題だった」

 ファウチ博士は、後にこの成功モデルを真似て、FDA、アメリカ疾患予防センター (CDC)、そして医学研究所(ⅠOM、後に全米医学アカデミーに改称)で、主要な医薬品やワクチンの承認委員会に同席し、化合物検索から市販までの医薬品承認プロセスをコントロールするようになる。

 しかし、すべてがうまくいったわけではない。 バローズ・ウェルカム社が手綱を握ったとはいえ、NIAIDの研究は遅々として進まなかった。アジドチミジンは毒性が非常に強く、研究者たちはこの化合物が安全で効果的であると思わせるような研究プロトコルを設計するのに苦労したのだ。ファウチ博士は、アジドチミジンに手間取り、競合薬の臨床試験を行えなかった。3年の歳月と数億ドルの資金を費やしても、NIAIDは承認された新しい治療法をひとつも生み出せなかった。

 一方、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、ダラスなどでは、患者密着型のエイズ専門医のネットワークが広がり、彼らはエイズの症状に特化した治療を行った。
 患者に密着した医師たちは、有望な結果を出していた。 彼らが使用した適応外治療薬は、エイズ患者を殺したり苦しめたりする一連の症状に効果があるようだった。その中には、(中略)既存薬が含まれていた。
 HIV感染者団体は何年にもわたってこうした既存薬の使用を懇願していたが、ファウチ博士に拒否され続けていた。 既存薬の特許は古いか期限切れで、製薬会社の後押しもなかった。

 そうした既存薬の中には、かなり有望なものがあった。アジドチミジンよりもはるかに毒性の低い抗ウイルス薬、AL721だ。
 ファウチ博士がトップ科学者とみなすNCIのロバート・ギャロとジェフリー・ローレンスの2人は、AL721がHIV量の低減に有効であると知っていた。しかし、バローズ・ウェルカム社の治験責任医師軍団からの圧力もあり、ファウチ博士は、追跡調査を拒否した。

 ファウチ博士がこれらの治療薬を試験しなかったために、エイズ患者や担当医師たちが地下の「バイヤーズクラブ」から治療薬を購入する闇市場が急成長した。

 バローズ・ウェルカム社の言いなりになっていたファウチ博士は、アジドチミジンの承認を早めるために、同社の治験責任医師にあらゆる便宜を図った。FDAとNIHは霊長類での長期試験を免除した。毒性がよく知られている化合物では、試験はリスクの高い賭けになる (ファウチ博士は、3年後、自分の愛玩するレムデシビルや、モデルナの新型コロナワクチンの認可を早めるために、同じような近道をするようになる)。

 NIAIDでは、国民に対してパンデミックの恐怖を誇張するのが常だった。エイズと戦う責任者としてのファウチ博士はまず、伝染病に対する恐怖をあおればよいという直感を得た。そして1983年、『ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーション(JAMA)』に恐怖をあおる論文を発表した。 「エイズは日常的な接触で感染する」と警告する内容だ。
 当時、エイズは静注薬物使用者と男性同士の性行為にほぼ限定されていたのだが、ファウチ博士は「家庭内のような日常的な密接な接触が病気を広げる可能性がある」と誤った警告をしたのである。

 ランディ・シルツは、エイズ危機を追った彼の著書『そしてエイズは蔓延した』の中で、エイズの世界的権威であるアーリー・ルビンスタインの言及を引用している。(中略)HIVの感染力は、無視できるほど弱く、たとえ親しい間柄で感染するとしても、流行が続くほどの影響力はないと優れた科学的根拠によって示唆されている。
 それにもかかわらず、ファウチ博士は反射的に反応した。恐ろしい疫病であるとしてパニックを増幅させたのだ。これにより、博士の権力は自然に拡大し、知名度が上がり、影響力が広がった。

 恐怖を利用したファウチ博士の予言に続いて、大統領府エイズ委員会のテレサ・クレンショーは驚くべき予測を発表した。1年以内に、当時の2倍の人々が致死的な感染症で死亡するという。「もし、この速さでエイズが蔓延すれば、1996年には10億人の感染者が、5年後には100億人の感染者が出るかもしれません」。 クレンショーは、「私たちが生きている間に絶滅の危機に直面するのでしょうか」と問いかけた。
 しかし、クレンショーの不吉な予言は現実のものとはならなかった。(中略)少なくとも米国では、検査が可能になって以来、HIVはまったく広がっておらず、人口比でずっと同じレベルでとどまっている。

 ファウチ博士の脚色はすごい。 HIV陽性者を現代のハンセン病患者のような存在にしてしまった。 性交渉以外の接触でエイズが発症するという妄想症(パラノイア)は何年も続いた。 例えば、1985年のニューヨークでは、ある公立小学校の始業式の週に、55%の児童が家に閉じこもり、何百人もの親が、HIV陽性の児童の出席を禁止するよう学校側に要求した。 レーガン政権は、エイズ患者の米国入国を非合法化した。キューバ政府は、エイズ患者を近代的なハンセン病病院に隔離した。

 「何十人もの地域の医師と何千人ものエイズ患者はすでに知っていた。エイズの最も致命的な症状であるカリニ肺炎はペンタミジンで治療・予防できるのだ」とヌスバウムは言う。また、医師らには、トリメトプリムやST合剤による早期治療もカリニ肺炎の予防に効果があるとわかっていた。

 活動家たちはNIAIDに穏当な要求をした。エイズ患者の治療にST合剤を予防的に使用したいと考える医師のためのガイドラインを作成してほしい、それが無理なら、使用の検討を支持するとの声明を出してほしいというものだった。
 NIHが、これらの治療法を「標準治療」とみなすと公式に宣言すれば、保険会社がその費用を負担するため、貧困にあえぐエイズ患者の多くがこれらの治療法を利用できるようになる。
 ところがファウチ博士は、この2つの要求を拒否した。「無作為化盲検プラセボ対照試験」の結果を見るまでは、薬を勧められない、の一点張りだった。

1988年4月28日、議会での対立

 1980年、エドワード・ケネディは、同性愛者の権利を求めて積極的にキャンペーンを行った最初の大統領候補となった。
 その1年後にエイズが流行し始めたとき、エドワード・ケネディは慣習にとらわれず、テリー・ベアンを採用し、対エイズの立法活動を指揮させた。ペアンはゲイでありHIV感染者であると最初に公表した上院議員補佐官だ。 ベアンは、患者団体をベースにした臨床試験を全国的に推進する中心的な存在となった。臨床試験に供された薬は、ファウチ博士が敵視していたペンタミジンのエアゾール剤やST合剤などだ。

 ベアンが現場研究イニシアチブ (CRI)のアイデアを練り上げるのに協力したのは、エドワード・ケネディの親友でamfARの活動家であるマティルデ・クリム、プロジェクト・インフォーム (訳注・HIVとエイズに関連する教育と公共政策の擁護団体。 1985年設立) のマーティン・ディレイニーだった。彼らが企画したのは、 製薬会社もNIAIDも試験しようとしない 一般薬の臨床試験を地域のエイズ専門医に行ってもらう「パラレルトラック (訳注・開発中の新薬を臨床試験で服用する患者の他に、希望する患者にも提供する方法)」 承認制度の構築だった。

 1987年にはファウチ博士の政友は、どの政党に所属しているかを問わず、博士の計画が「大混乱に陥っている」と気づいていた。議会から数百万ドルをせしめたにもかかわらず、NIAIDからエイズの薬はひとつとして誕生しなかったからだ。

 1988年の春、 ファウチ博士を後援していた議員たちは、キャピトル・ヒルで博士と対峙した。4月28日の公聴会は、おそらくファウチ博士の最も忠実な後援者であるワイス議員が、NIAIDの責任者にこの遅々として進まぬ研究への説明を求めることから始まった。これに対して、ファウチ博士は、研究室が狭く、コンピュータや机や事務用品を購入する予算も、新しい人員を雇う予算もない、と泣き言を言った。
 ファウチ博士がエイズ研究のために議会から3億7400万ドルも受け取っている事実を思い出した議員は唖然とした。その金額では事務用品や家具を購入するのに足りないというのだから、驚きである。
 この下手な言い訳は後援者の怒りを買った。

 (ナンシー・)ペロシ議員は、ファウチ博士がエイズに感染して、肺炎で死にかかっていると想定して尋ねた。「ペンタミジンのエアゾール剤が肺炎を予防するというしっかりとした理論についてはご存知ですね。ペンタミジンがNIHから非常に有望であると評価されたことを知らないとは言わせません。 サンフランシスコの多くの研究から、この薬剤の使用が普通に推奨され、使用可能であるとわかっています......あなたはペンタミジンを使いますか、それとも研究を待ちますか?」
 ファウチ博士は3年間、 ペンタミジンやST合剤などの一般薬をエイズ患者に投与しないよう、最大限の努力をした。しかし、1988年、ファウチ博士が委員会で語った言葉はこうだった。
 「私が患者だったとしましょう。 すでに肺炎球菌に感染していたとしたら、ペンタミジンのエアゾール剤を使うでしょう。実際には、その前に、予防的にバクトリム(ST合剤)を試すでしょう」

 32年後、ファウチ博士はこの立ち回りを再演した。新型コロナウイルス危機が始まって少し経った2020年3月24日、彼はジャーナリストからの質問に、もし自分が新型コロナウイルスで病気になったら、ヒドロキシクロロキンを服用するだろうと答えた。その後まもなく、ファウチ博士は、人類に対してヒドロキシクロロキンとすべての初期治療法を否定する積極的なキャンペーンを開始した。

 議会公聴会の後、誰もが小さな皇帝に服はないことに気づいた。ファウチ博士は、自分の政治生命が糸でつながっているだけだと認識した。何億ドルもかけて作った医薬品試験のネットワークがうまくいかなかったのだ。 彼がこれまで巧みな話術ではぐらかしながら欺いてきた議会がとうとう不正行為ではないかと声を上げたのだ。 博士が劇的で予期せぬ変化を遂げなければ、評判とキャリアが断たれてしまう。
 「トニー・ファウチは、これまで彼を支えてきた人たちから「無能』の烙印を押された。 キャリアを復活させるためには、完全に戦略を変えるしかない。

ファウチ博士の戦略の要

 アンソニー・ファウチは変わらねばならなかった。官僚として生き残る術に長けた彼は、驚くばかりの戦略で自身の存亡の危機に対応した。 ファウチ博士は、それまで悪者扱いしていたエイズ活動家たちを突然、受け入れるようになった。

 1989年の夏、国際エイズ会議の開催期間中に、モントリオールの路上でラリー・クレイマーに声をかけ、一緒に歩きながら、事実上許しを請い、協力関係を提案した。 エイズ患者団体が使う薬をパラレルトラックで試験するように取り組みを始めた。これは、ケネディ上院議員やamfARが長い間要求してきたことだった。

 新型コロナウイルス危機の間にヒドロキシクロロキンやイベルメクチンに対する妨害工作がうまくいったのは第1章 (上巻) に記したとおりだ。 ファウチ博士がかつて、どの医薬品も承認に先立って無作為化プラセボ対照試験が必要だと反射的に主張したのは、なんとも皮肉なめぐり合わせだ。
 ところが彼は、あり得ないような180度転換して、パンデミックの最中に命取りとなる恐れのある疾患を緩和できそうな医薬品があるなら、二重盲検プラセボ対象試験がなされていなかったとしても、患者がその薬を使用できるようにすべきであると猛烈にまくし立てた。

 ほんの数週間前までは確かにFDAと同じ見解を持っていたのだろうが、その点を忘れてしまったようだ。 博士は公然とFDA が頑としてランダム化二重盲検プラセボ対照試験にこだわるのは非情だと非難した。

 「ファウチは、事実上、ACT UPのプログラム全体を一挙に採用しました。改宗したと言ってもよいでしょう。」

企業寄りか、人命救助か

 ファウチ博士の転身に、製薬会社の治験責任医師たちは激怒した。

 CRIシステムは業界にとって災厄になりつつあった。CRIの医師200 のネットワークは、低コストで迅速な登録が可能な「パラレルトラック」プログラムで抗エイズ薬のテストを行っていた。

 多くのエイズ患者は、彼らの知己で信頼できる思いやりのある医師のいるCRⅠ試験に参加するために集まっていた。そのため、ファウチ博士の昔ながらの治験責任医師は臨床試験に参加してくれるボランティアの確保に苦労していた。
 CRIは大成功を収めた。これまで、大学や病院を基盤としたNIAIDのトップダウン式の研究は優れているとされてきたが、それも怪しくなった。医薬品の治験というフィールドを欲しいままにしてきた治験責任医師のネットワークは崩壊しかけていた。

 ファウチ博士の短期の改心が心からのものだったかどうかは別として、それは必然的に短命だった。 製薬会社の治験責任医師のネットワークに深く依存していたファウチの運営スタイルでは、パラレルトラックの運命は初めから決まっていたようなものだった。

 ファウチ博士が彼らとケネディ上院議員にAL721を最終的に試験すると報告していたのと時期を同じくして、テフロン・トニーは製薬会社の主任研究員にAL721の試験を失敗させるように仕組んだと打ち明けたのだ。
 30年後の新型コロナウイルス危機の際にヒドロキシクロロキンで行うのと同じやり方で、博士はAL721の臨床試験を確実に失敗するように計画した。その結果、特許のないAL721の信用は失墜した。

 当初、彼の画策は裏目に出た。 NIAIDの研究により、AL721がウイルスの複製を止めることが確認され、AL721を否定できなくなった。この有望な結果が出始めると、ファウチ博士と治験責任医師たちは試験を中止し、AL721がフェーズⅡに進めないようにした。

 ファウチ博士は、懐疑心を持った活動家たちに、この試験に参加するボランティアが集まらなかったと言った (2021年に彼は、NIAIDによるイベルメクチンの治験を中止させるために、同じ台本を持ち出すことになる)。

 同じころ、議会で有効性が認められたペンタミジンのテストを行うというファウチ博士の誓約は逃げ口上であると活動家たちは気づいた。ファウチ博士は、ペンタミジンのエアゾール剤の臨床試験を開始したが、またもや被験者を集められないと言い出したのだ。

 ファウチ博士のごまかしは、不満を募らせたHIV活動家たちにとうとう、ペンタミジンのエアゾール剤の治験を自ら出資して実施させるに至った。1990年に完了したこの試験は、ペンタミジンがカリニ肺炎に対して明らかに有効であると証明された。

 ファウチ博士の下手な芝居は、FDAがアジドチミジンを承認した瞬間に終わった。

 ファウチ博士の手の者たちは積極的にペンタミジンのエアゾール剤とAL721の臨床試験を妨害する一方で、バローズ・ウェルカム社が動物実験を省略してヒトでの試験に進めるように便宜を図った。こうした省略は化学療法薬の歴史において前代未聞であったが、ファイザー/ビオンテック社の新型コロナワクチンが通常の動物モデルでの安全性試験を完了することなくヒトでの試験に進むのを許可する伏線となった。

 政府の研究者たちは、アジドチミジンの恐ろしい毒性を徹底的に評価し、げっ歯類に極少量を短期間曝露させただけで、致死的な影響を与えたことなどを見出している。

 1987年、ファウチ博士のチームはヒトでの試験を成功とし、6ヵ月の予定だった試験を4カ月で打ち切った。 化学療法の承認のための試験としては異例の速さだった。4ヵ月という期間は、アジドチミジンを何年も、あるいは一生飲み続ける患者に起こる可能性のある副反応を検出するには短すぎる。

 バローズ・ウェルカム社の株主にとってさらに重要だったのは、ファウチ博士がアジドチミジンを健康なHIV陽性者、つまり症状のない人に使用してもよいと許可したことだった。この短い臨床試験に続いて、FDAは1987年3月、迅速にアジドチミジンの緊急時使用許可を出した。

勝利を呼び込む姑息な手法


 ファウチ博士にとって、FDAの承認は歓喜の瞬間だった。
 ファウチ博士は、自分の臨床試験システムの正当性を立証する製品を手に入れた。 アジドチミジンの成功は、まだ発表される前だったが、若き技術官僚ファウチはその瞬間を捉え、彼が最善と考える行動を起こした。記者会見を開いたのだ。

 声明を出すにあたって、ファウチ博士は、ロバート・ギャロ博士がHIVとエイズを結びつけた研究を早々と発表したときに見た、あの技を使ったのだ。

 この発表は、もうひとつの伝統を打ち砕いた。NIHの下部機関はそれまで、臨床試験の結果が査読を受けて出版物に掲載される前に成果を公表したことはなかった。そのため、ジャーナリストや科学者たちは、その研究を読んで、内容が意味するところについて、自分たちなりの結論を出すことができた。

 ギャロは、「プレスリリースによる科学」という手法の先駆者だ。4年前、HHSの記者会見で、エイズの原因と思われるレトロウイルス(後に「HIV」と名付けられる)を発見したと発表したのが始まりだった。マスコミは、ギャロの発見を科学的事実として報道した。ところが、ギャロは、極めて重大なこの主張を裏付ける査読付き論文を発表していなかったのだ。

 ここに、規制当局がまず世論を作り上げ、それをコントロールできるようにするという有用な革新的手法が生まれた。科学は、規制当局がそうであると宣言したものである。だから、ジャーナリストがわかりにくいデータを読んだり、専門家の反対意見を考慮したり、公式発表を推測したりする機会はなくてもよいのだ。

 ファウチ博士は、この手法の名手となった。彼が最高の技を披露したのは2020年4月2日で、NIAIDの不正まみれの臨床試験でレムデシビルが奇跡的な効能を示したと発表したときだった。 彼の手の内には、査読を経た研究論文も、信頼できるプラセボ対照試験も、データも、そして報道機関への配布資料さえもなかった。

 この手法は新型コロナウイルスの時代に極端に乱用される常套手段になった。ワクチン会社は強気の研究結果を発表する数週間前に、臨床試験の良い部分のみを抜き出してプレスリリースで開示するのが慣例となり、そうした戦略は、企業幹部が株価をつり上げるための虚偽の発表と同時に株を放出する「株価操作」だと非難を浴びた。

 ファウチ博士は「エイズ患者だけでなく、エイズの兆候がない無症状の人であってもHIV検査で陽性であるなら、アジドチミジンを推奨する」と軽はずみに宣言した。

 彼は、アジドチミジンが年間1万ドルもすることにも、バローズ・ウェルカム社が1瓶500ドルで販売することにも、一切触れなかった。FDAが承認すれば、アジドチミジンの費用は納税者が補助負担することになる。

詐欺が明るみになった瞬間

 1987年7月、『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)』誌は、バローズ・ウェルカム社によるアジドチミジンのフェーズⅡ、いわゆる「フィシュル試験」に関する公式報告書をついに発表した。
 アジドチミジンにFDAが認可を与える根拠となった試験である。ここでようやく、外部の科学者が研究の詳細を精査する機会が訪れた。前々から、認可までの期間の短さに驚いていた人は多かったが、今は方法論上の致命的な欠陥があると明示する証拠を探し始めた。
 その欠陥は確証バイアス(訳注・仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向)に起因するものもあれば、明らかに腐敗した計画の産物や意図的な改ざんもあった。数日のうちに、レポーターも研究者も科学者も、ファウチ博士が行ったポリアンナ流 「良かった探し」の利己的なデータ解釈を批判し始めた。

 ヨーロッパの科学者たちは、NIAIDの生データは症状を軽減する効果を示していないと文句をつけた。

 「方法論の記述は不完全で、支離滅裂。統計学的な基準に照らして、納得のいく図表はひとつもないし、意味のある図表は皆無だった。特に、“効果”に関する最初の報告は、矛盾が多く、論証の組み立てが不適切で、独特な言い訳をしているような欠陥論文だった」

 この組織ぐるみの行為について衝撃的すぎる事実が暴露されたのは、ローリツェンが情報公開法を使ってFDAの調査官が保有する文書の山から500ページほどを入手した後だった。

 これらの文書は、ファウチとバローズ・ウェルカム社の研究チームによって行われた広範囲に及ぶデータ改ざんを明確に示していた。見る人によっては、殺人級の犯罪だと言うだろう。

 これらの文書には、「二重盲検プラセボ対照」試験がすぐにオープンラベルになったと示されていた。治験はそれだけで無効となる。FDA内における研究チームとのコミュニケーションから、データの改ざん、杜撰さ、認められた手順からの逸脱などが横行していたことが明らかになった。

 チェルノフは、アジドチミジンの多くの深刻な毒性、特に血液への影響を指摘した。
 「投与量のいかんにかかわらず、この薬剤がテストされたすべての種(ヒトを含む)で貧血が認められた」
 チェルノフはさらに、アジドチミジンががんを引き起こす可能性があると指摘した。

 フェーズⅡは24週間の予定であったが、ウェルカム社とファウチ博士が1週間で打ち切った。研究者は、アジドチミジンを服用した人の寿命が奇跡的に延長したと主張した。ローリツェンは死亡に関するデータを分析し、それはまったく虚偽だと結論づけた。

 24週間の治療に耐えた患者はほとんどおらず、4週間も治療が続かなかった被験者は20人あまりだった。それでも研究者たちは使えないデータを何とか分析し、奇妙な統計予測手法を用いて、予定どおり治験を続けていた場合に患者が様々な日和見感染を起こす確率を予測した。

 FDAの調査員はボストンのセンターで調査を開始したが、非常に多くの不正行為が見つかるというとんでもない事態になった。

 怠慢なボストンのセンターで得られたデータを除外するか、それともプロトコル違反の患者のデータを除外するか、悩んだ末にFDAは何も除外しないことに決めた。
 「偽のデータが保持された。玉石混淆だった」
 FDAは、正しくないデータをすべて除外すると、試験を完了するのに十分な数の患者が残らないと主張した。 ローリツェンは、FDAが正しくないデータと知りながらこれを使用したことは、詐欺行為にあたると指摘した。

 その4年後の1991年、ローリツェンは情報公開請求書を提出した。 彼が要求したのは、アジドチミジンのフェーズⅡに関するFDAの様々な文書で、とりわけ重視していたのがFDA調査官パトリシア・スピッツィグによるボストンセンターの「施設査察報告書」だ。
 そのレポートは爆弾だった。

 以下のことが判明した。ボストンの治験責任医師は、ほとんどすべての患者を騙していた。バローズ・ウェルカム社の治験責任医師は、アジドチミジンが確実に死を招来するものであり、6ヵ月の試験期間中、被験者を生かしておくことが困難なほどであると即座に理解した。ボストンのチームはこのジレンマを解決するために、患者の試験期間について嘘をついた。バローズ・ウェルカム社はこのような不正を奨励し、アジドチミジンの被験者の存命期間によって治験責任医師に報酬を支払っていた。

 「簡単に言えば、医師はより長い期間患者を登録しておくと、より多くのお金を受け取れるのです」とローリツェンは言う。
 製薬会社の治験責任医師たちは、自分たちのキャリアと給料が、対象薬剤のFDA承認を勝ち取るような研究成果を常に出せるかどうかにかかっていることを知っている。このような間違いを認めないインセンティブは、研究バイアス、確証バイアス、データ改ざん、戦略的怠慢、意図的な虚偽報告や不正行為を自ずと促進する。 治験責任医師たちは日常的に有害事象を隠蔽し、プロトコルに違反し、アジドチミジン群の患者をプラセボ群の患者であると偽って報告した。

 しかし、個人医や民間病院のカルテ、患者の日記には、バローズ・ウェルカム社の症例報告書とは矛盾する衝撃的な情報が山のように記されていた。

 治験の規則には、治験責任医師はすべての副作用を症例報告書に記録し、直ちにFDAに報告しなければならないと明記されていた。しかしボストンの治験責任医師は、どちらもしなかった。

 FDAの文書には、治験責任医師はどの患者がアジドチミジン群に属し、どの患者がプラセボ群かよく知っており、アジドチミジン群の参加者が有利な結果を出せるように安全性の結果を歪めていたことが示されている。研究者たちは、まず、最も症状が悪化した患者をプラセボ群に割り付けた。そして、アジドチミジン群の患者には、プラセボ群より手厚く医療サービスを提供した。例えば、4ヵ月の試験期間中にアジドチミジンを服用した人は、プラセボ群に比べ6倍以上の輸血を受けた。

 アジドチミジンを投与された人たちは全員、言い表せないほどの毒性に苦しんだ。 「もし、治験責任医師が輸血をしなければ、間違いなく亡くなっていたでしょう」とローリツェンは言う。
 アジドチミジンはヒトを含むすべての動物種で貧血を起こす。
 FDAの資料では、アジドチミジン群の全員に重度の有害作用と貧血が生じたと示されているが、NIAIDの公式報告ではアジドチミジンを服用した人の副作用は記録されていない。

 アジドチミジンを投与された患者の中には、致命的な副作用に見舞われ、生きるために何度も輸血を必要とした人もいた。ファウチ博士の不正な研究者たちは、これらの患者に定期的に輸血を行い、多発する健康被害の記録を怠った。アジドチミジン群では、30人の患者(全体の半分以上)が、何度も輸血を受けながら、治験終了まで命をつないだ。どの患者についても、ボストンの治験責任医師は症例報告書に「副作用なし」と記入した。約20%の患者は輸血を何度も受けているのに、一方、プラセボ群では、輸血を受けたのは5人だけだった。

 「輸血を受けるとどうなるのでしょうか? 顔色が良くなり、気分も良くなり、少しは長生きできます。ですが、ここに重要な疑問と教訓があります。なぜ、アジドチミジンを投与された患者はプラセボを投与された患者に比べて、4ヵ月間で6倍もの輸血を必要としたのでしょう? 答えは、その薬が人を殺すからです......」とは、著名なエイズ研究者でエイズ関連の著作もあるロバート・E・ウィルナー医学博士の言葉だ。

 「NIHについて我々が何を言えるだろう? 独立した民間の研究所が見出したアジドチミジンの毒性はNIHの研究所より1000倍も高いことがわかっている。

 スピッツィグの報告書の中で、1009番患者に関するものには驚いてしまう。その患者はすでにアジドチミジンを服用していたので、臨床試験に参加する資格はない。それにもかかわらず、ボストンの治験責任医師は彼を試験に参加させる規則違反を犯したうえに、アジドチミジンの服用を継続したまま、プラセボ群に割り振った。
 彼はひどい頭痛や貧血などの典型的なアジドチミジンの毒性に苦しみ、1ヵ月足らずで試験から脱落し、2ヵ月後に亡くなった。治験責任医師は彼をプラセボ群の死亡例としてカウントした。

 おおらかだった当時でさえ、アメリカの主要メディアはファウチ博士や腐敗したアジドチミジン研究に対する批判報道を厳しく取り締まっていた。したがって、ほとんどのアメリカ人はエイズの正統性に対する異論を知らないでいた。

 ヨーロッパとイギリスでは、そうではなかった。1992年2月22日、ロンドンのチャンネル4テレビが「AZT: Cause for Concern (アジドチミジン 懸念の原因)」というドキュメンタリーを放送した。
 放送の翌日、慈善団体であるウェルカム財団は、ウェルカム社の株式の大半を売却した。同社はアジドチミジンの製造元であるバローズ・ウェルカム社の親会社である。バローズ・ウェルカム社の株価は急落し、グラクソ社、続いてスミスクライン・ビーチャム社による一連の敵対的買収に見舞われた。このイギリスのドキュメンタリーは世界中で何百万人も見たが、この作品はおろか、エイズに批判的な医療ドキュメンタリーがこれまでにアメリカで放送されたことはない。

 アジドチミジンは、これまで長期使用が承認された中で最も毒性の強い薬物だ。 分子生物学者のピーター・デューズバーグ教授がアジドチミジンの作用機序を説明している。
 同薬は、DNA合成という生命現象そのものを無作為に停止させる。 ジョセフ・ソナベンド博士の説明は 「アジドチミジンは生命と相容れないもの」とシンプルだ。

 NBCニュースは検閲の封鎖を破った。 レポーターのペリ・ペルツにより、フィシュル試験の実情が3部構成で暴露され、1988年1月27日にその第1部が放送された。
 ペルツは、この試験が二重盲検法であるというファウチの主張がまったくのでたらめだと知った。ほとんどの治験参加者は誰が薬を飲んでいて誰が飲んでいないかを知っており、治験参加者はみな、この「奇跡の薬」を欲しがった。 アジドチミジン群の患者は、プラセボ群の患者に薬を分けていたのだ。
 さらに、ペルツは、プラセボと被験者の両方が、「バイヤーズクラブ」から治療薬を購入して、別の薬物療法を実践していることを知った。

 2021年9月までに、 批判者を黙らせるファウチ博士の力は、表現の自由を支配する域に達していた。同月、ファウチ博士は、人気ラッパーのニッキー・ミナージュを、たった一言で沈黙させた。彼女は、新型コロナワクチンが精巣の腫れといった問題を引き起こしているのではないかと質問したのだ。
 CNNのジェイク・タッパーがミナージュの質問について尋ねると、ファウチ博士は素っ気なく「ジェイク、答えは明らかにノーだ」と返した。例によって、博士の答えを裏付けるような研究結果は引用していない。 ワクチンメーカーは、製品が生殖能力に及ぼす影響についての試験は未実施だと認めている。
 それにもかかわらず、ファウチ博士の言葉だけで、ツイッターは直ちに、彼女と2200万人のフォロワーとのコミュニケーションを検閲し、ミナージュを議論の場から追い出した。

 ファウチ博士が発言した! それがすべてなのだ。

 1988年2月15日、ファウチ博士は、チャールズ・ギブソンとジョアン・ランデンが共同ホストを務めるABCの看板テレビ番組 『グッド・モーニング・アメリカ (略称GMA)』 に出演した。
ファウチ博士の出演は、ローリツェンやペルツのような独立した記者や科学者による全面的な攻撃から、博士とアジドチミジンを復活させるための友好的なメディアで足元を固める一大プロパガンダだった。

 GMAは当初、ファウチ博士を公然と非難する仇敵であり、おそらく世界一のウイルス学者として信頼できるカリフォルニア大学バークレー校のピーター・デューズバーグ博士に出演依頼した。
当時、NIHから最も多くの助成金をもらっていたデューズバーグ博士は、「アジドチミジンは無価値どころか、エイズよりも多くの人を殺している」と主張し、恩人たる研究所を激怒させた。

 デューズバーグは出演のために国をまたいで飛行機で移動していた。彼の出演が予定されていた日の前夜、GMAのプロデューサーがマンハッタンのホテルの部屋にいたデューズバーグに電話して、番組がキャンセルになったことを知らせた。翌朝、デューズバーグが目を覚ますと、ファウチ博士がGMAでアジドチミジンを宣伝し、同薬に関する研究を防衛するのを見た。

 GMAの司会者はへつらいながらファウチ博士に、なぜ、 アジドチミジンというひとつの薬だけが使えるのか尋ねた。その答えがこれだ。
 「アジドチミジンというひとつの薬だけが使えるのは、科学的にコントロールされた治験で安全性と有効性が確認された唯一の薬だからです」
GMAのおべっか使いは、ファウチ博士の発言を福音として受け止めた。その番組でのファウチ博士の言い分は、ほとんどすべて嘘だった。

 33年後になってようやく、ファウチ博士はアジドチミジンの効果のほどを認めた。臨床試験で、1対1の割合で命を救っていると派手に宣伝していたが、実際にはそれほどでもなかったのだ。皮肉なことに、遅まきながら誤りを認めたのは、ファウチ博士が新たな大嘘をついているときだった。

 2020年5月、ファウチ博士がギリアド社の抗ウイルス薬レムデシビルの奇跡的な有効性を発表したホワイトハウスで、博士は「アジドチミジンを用いた最初の無作為化プラセボ対照試験で······効果はほどほどだった」と認めた。

 当時の博士が言葉どおりにそう言ったのではない。1987年、彼はアジドチミジンの効果は95%であると主張したのだ。 プラセボ群では1人が死亡し、 アジドチミジン群で亡くなったのは1人だけだった。博士は2020年にも、捏造された薄弱な証拠に基づいて、致死性のレムデシビルや疑わしいモデルナワクチンについて同様の主張をした。
 1980年代後半、至るところでアジドチミジンの費用を嘆く報道がなされた。

 アンソニー・ファウチは、 この問題を解決した。 エイズの症状がない健康な人でもPCR検査でHIVと診断されれば、アジドチミジンを「標準治療」として使用できるようにしたのだ。

 新たな客層がこの薬に殺到した。 アジドチミジン市場は大幅に拡大し、バローズ・ウェルカム社(現在のグラクソ・スミスクライン社)は1本あたりのコストを引き下げることが可能になった。

 FDAの規制機能の低下は、アジドチミジンから始まって途切れることなく、レムデシビルやモデルナのmRNAワクチンの「緊急時使用許可」につながっている。

 「FDAの安全性監視機能に致命的な打撃を与えたのはアジドチミジンでした」とファーバーは言う。「それ以来、死に至る可能性のある病気はすべて、臨床試験の期間を短縮する口実になりました。 薬害死は進歩に付随するものとして常態化したのです」

 ファウチ博士の詐欺行為は、何十万人もの人々にアジドチミジンの服用を促した。それは、同薬を服用した人の多くにとって命にかかわる選択だった。当初の推奨量である1500ミリグラム)日を飲めば、間違いなく命はないのだが、1987年にアジドチミジンはエイズの「治療薬」となった。

 アジドチミジンを投与された人々の生活の質は、概してかなり悲惨なものであった。多くの信頼できる科学者が、 アジドチミジンはエイズよりも多くの人を殺していると主張した。 ローリツェンの推定では、1987年から2019年の間に33万人のゲイ男性がアジドチミジンで死亡したとされている。
 亡くなった人の多くは、そのエイズ治療法を始める前には完全に健康体だった。

どのように最速承認を更新してきたか

 アジドチミジンの承認までの最速記録は、長くは続かなかった。

 ファウチ博士はCRI(現場研究イニシアチブ)の緩和された規則を悪用して、ファウチ博士と彼のパートナーの製薬会社は、FDAが承認するまでのスピード記録を次々と更新した。

 自律の精神に欠け抑圧されたFDAの職員たちは、最小限の安全性試験しかしていない毒薬を薬局方に追加できるよう、収載基準を引き下げた。

 その年、ファウチ博士はCRIの迅速承認システムに作った規制上の抜け穴を通して、DNA鎖の伸長を停止させる別の抗レトロウイルス薬を審査に送り出し、以前彼が不可欠と宣言した二重盲検プラセボ対照試験をスキップして、迅速承認を得ることに成功した。NIHはジダノシンを開発し、特許を取得した後、ブリストル・マイヤーズ・スクイブ社にライセンスを供与した。

 ジダノシンは、プラセボ対照試験を実施したと見せかけることすらせずに、FDAの認可を勝ち取った。この薬は、あまりにも多くの消耗性かつ致命的な副作用があったため、FDAは、ブラックボックス警告を付すよう命じた。 この警告があれば、国民はNIAIDの小さな独裁者に服従しなくてもよい。それにもかかわらず、HIVに感染して自暴自棄になった人々は我も我もと、この薬に殺到した。

 2010年、FDAはジダノシンが特発性門脈圧亢進症という重大な肝疾患を引き起こす可能性があるという声明を出した。そうした毒性が実証されても、ファウチ博士はCRIのパラレルトラックを利用して通常の対照試験を回避し、FDAの認可を得た。そのようにして、HIV陽性の妊婦にジダノシンを使用できるようになった。

マスメディアを利用した独自の支配スキル

 ファウチ博士の伝記の中で、作家のテリー・マイケルズは、NIAIDがアジドチミジン後に育んだ医薬品承認システムについて次のように述べた。
「HIVとエイズを産業へと発展させたものは、知識の独占の上に成り立っている。 (中略)博士の公式見解は科学音痴のマスメディアによって国民に伝達された。この役割を受け持つのは、一部の例外を除いて、科学を理解しようともしないジャーナリストが大勢を占めるメディアだ。

 慢性病および感染症の予防と管理に関してお粗末な結果しか残せていないにもかかわらず、ファウチ博士が並外れて長く所長職にとどまって社会的信用を維持してきた独特のスキルは、メディアとの関係を武器にする手腕、自分にとって都合の良い物語を推進するためにジャーナリストを配置する手際の良さ、そして容赦なく反対意見を封じる能力だった。
 「マスメディアによる公開討論の場では、異論は事実上封殺されました」とマイケルズは指摘する。
 「そして、専門家がレビューする科学や医学の専門誌から異論は削除されました。」

キャリアアップのためのテンプレート

 ファウチ博士は、エイズ危機を利用して、命にかかわるほど毒性は強いが効果のないエイズ治療薬を市場に送り出すことに成功した。 この成功はキャリアを形成するうえで重要な教訓で、長きにわたる支配を通じて、博士は再三再四忠実に繰り返してきた。

 ファウチ博士は、アジドチミジンがFDAの承認を得る戦いの中で、戦略を開拓し、それにより、自身のキャリアを築いた。新型コロナウイルスの流行で、世界に示した戦略は以下のとおりだ。

⚫︎パンデミックへの恐怖をあおり、より大きな予算と権力を得るための下地を作る。
⚫︎捉えどころのない病原体を病気の原因だとする。
⚫︎病気の伝染しやすさを誇張してヒステリーをあおる。
⚫︎多種の変異株の発生や将来の急増を警告し、薄れていく恐怖心を定期的にあおる。
⚫︎人々の命を救うために、人々の生き方を大きく変えることを建前とする。
⚫︎矛盾した発表によって国民と政治家を混乱させたままにする。
⚫︎欠陥のあるPCRや抗体検査を利用し、疫学データを操作して、検証不可能な症例数や死者数を膨らませ、災難が差し迫っていると強く認識させる。
⚫︎効果的な市販の治療薬を無視し、排除する。
⚫︎特許を取得した新薬やワクチンなど、利益率の高い商品にエネルギーと資金を集中させる。
⚫︎パンデミックを終わらせる唯一の必勝法として、政府の研究所で作られた危険で効果のない薬を支持する。
⚫︎お気に入りの治療法を検証するために、確証バイアスが存在する研究に資金提供し、指揮を執る。
⚫︎大手製薬会社と提携し、 その提携会社が承認を得るうえでの便宜を図る。
⚫︎便宜を図る企業に対して、重要な試験を省略してもよいとする。
⚫︎安全性や有効性に関する深刻な問題を隠すために、臨床試験期間を短縮する。
⚫︎特許を取得した抗レトロウイルス薬やワクチンと競合する可能性のある、より効果的な治療法、抗レトロウイルス薬、市販薬、非特許薬の信用を失墜させ、大衆の手に届かないようにする。
⚫︎競合製品には、失敗を前提とした有効性・安全性試験を実施する。
⚫︎既存の治療薬に「無作為化プラセボ対照試験」がなされていないと騒ぎ立て、競合薬が有効であることは明らかなのに、その使用を拒否し、何千人もの患者が苦しもうが亡くなろうがおかまいなし。
⚫︎新薬を承認しその使用を義務化する重要な「独立した」委員会 (DSMB、VRBPAC、ACIP)を、息のかかった治験責任医師で固めて支配する。
⚫︎これらの機関が「独立した」 信頼できる専門家の集まりであるかのように見せかける。
⚫︎緊急時使用許可を利用して、製品を市場に早く出すために、不正な承認プロセスを経て迅速承認を得る。
⚫︎政府の公式プロパガンダを利用して、製剤を売り込む。
⚫︎「プレスリリースによる科学」を使って、世論をコントロールする。
⚫︎肩入れしている製品の有効性を誇張して主張する。
⚫︎大量に発生した健康被害や死亡を一般大衆から隠すために、古臭くて機能しない市販後監視システムを使用する。
⚫︎薬の利点、安全性、有効性に関して、時の試練に耐えられる物語を創作して宣伝することによって、臨床試験の欠落を覆い隠す。
⚫︎「第一線の専門家」を引き合いに出して仮説を推し進めるが、その仮説は実質的には、査読を経た研究ではなく、適切な管理のもとで科学的に検証されたものでもない。
⚫︎製薬会社がコストとは無関係の高価格をメディケア、政府プログラム、 保険会社に請求できるようにする。
⚫︎医療カルテルの教義を支持するプロジェクトに限定して研究資金を流し、代替理論の研究が確実に除外されるようにする。
⚫︎報道、ソーシャルメディア、科学出版物において、議論を妨げ、反対意見を検閲する。
⚫︎ワクチンによる究極の救済を約束する。

 50年もの間、このテンプレートを繰り返し使って、NIAIDを引き継いで以来、流行している感染症、アレルギー性疾患、自己免疫疾患の基礎研究といったNIAIDの中核をなす責務から遠ざかり、NIAIDをビッグファーマのための利益を生む付属機関に変貌させた。

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