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在日華人団体の女性「リーダー」

Vol 4  日本  70代女性 華人団体リーダー 

日本における中国の民間活動は、一般に在日中国人によって組織・運営されています。

しかし、名古屋で開催される中国の影響力あるイベントには、必ずある銀髪の日本人女性の姿が見えます。華人コミュニティでの人望が厚いだけでなく、名古屋で最も古い在日中国人団体である愛知華僑総会の主要メンバーとして、中国名古屋総領事館が開催する大きな記念行事や祝賀会の際に、必ず招かれる人物でもあります。

中国の祝い行事に参加する愛知華僑総会の幹部たち(右側から3番目任さん)

その女性の名前は任房代です。3代目の在日中国人と結婚して,夫の姓「任」に変えました。 嫁いでから、義理の弟の勧めで、当時名古屋で初めての中国人団体である「愛知僑聯」(「愛知華僑総会」の前身)の一般会員となり、貧しくて、恵まれない在日中国人を支え、日中友好・交流活動に努力を惜しまない人生がスタートしたのです。

10年前にご縁で任さんと知り合い、それ以来、毎年恒例の名古屋春節祭の会場で会い、お互いしばらく間の様子を聞き合うことをしてきました。 深い付き合いではありませんが、互いのことを気にかけています。

任さんと出会ったご縁

名古屋で毎年開催される春節祭は、中部地区の在日中国人が中国文化の伝えるために創設した一大イベントです。中部地区の中国系団体や日中友好団体の出店が連なり、欠かせない光景となっています。

毎年、任さんは愛知華僑総会の出店で来客を迎えています。さりげない自然な振る舞いは彼女の教養や内面からのエレガンスが滲み出ています。任さんの透明感のある誠実な眼差しからその謙虚さと親しみやすさが伝わり、日本人でも中国人でも、彼女に会えば、その優しい笑顔とオーラが忘れられません。任さんの白髪を束ねるヘアスタイルは、どこでも一目でわかる目印となっていました。

同じく日中友好活動に長く携わってきた日本人男性たちは、遠くから任さんを見て、「中年になって突然の悲しみのショックを受け、一晩で髪の毛が真っ白になったそうだ」と尊敬の念をもった口調で、任さんのことを紹介してくれました。

2012年の春節祭で、ある日中友好団体の出店で、中国語と日本語で書かれた拙著「感受日本」が販売されていました。当番をしている人から、次の日に著者が来ると聞いた任さんは翌日わざわざ会いに来てくれました。「昨夜少し読んでいい本だと思いました。他の友人にもあげたい」と言って、数冊を買い足しました。それが私と任さんとの出会いでした。

任さんに出会ったきっかけの書籍
中国語版&日本語版の「感受日本」

その後、息子はうつ病になり、私たち家族は出口の見えない氷の穴に落ちてしまったように、心配と絶望的になりました。 任さんは「大丈夫よ。息子さんを信じて待ってあげてください。生きていれば、必ず何とかなります」と言ってくれた。

任さんはご家族を見守り続けた辛いこともあり、8年間でそれを乗り越えた経験はとても説得力のある慰めになりました。

私にとって、それからの日々は決して楽なものではありませんでしたが、任さんの8年間の忍耐力を思うと、光のようなものを感じ、あきらめないという勇気が湧いてきました。今年で9年目になりますが、一日中息子のことを心配する状況から脱出し、気が楽になり、普段の暮らしに戻りました。私は、任さんとの出会いに救われたといつも思います。

隠れるリーダーの知恵と行動力

任さんは医者である夫とともに、病院の経営をしています。 ご夫婦は社会的な地位と恵まれた生活環境にありながら、いつも困っている人を心配し、弱者に親身になって考えてあげています。

「在日中国人を無条件に助けてあげよう」という夫の考えに賛成した任さんは、"この人と結婚を決めたとき、中国とかかわることも決めたのです "と言います。何十年も、困った在日中国人を助けることを貫いてきました。

今でも彼女の周りにいる中国人の多くは何らかの形で任さんに助けてもらったことがあると聞きます。

1970年代以降に設立した愛知華僑総会は、当時の恵まれない貧しい中国人を支え、あらゆる面でサポートし、彼らの現実的な問題を解決するためのバックボーンでした。 時代の変化とともに、愛知華僑総会の使命は終了とともに、会員の高齢化も年々進んでいます。

50年以上の歴史を持つ愛知華僑総会を残し、発展させるために、任さんは組織内の改革と指導者層の再構築を推進してきました。

「愛知華僑総会」と「三重華僑総会」の新旧コアメンバー

任さんに会うたびに、華僑総会の変化について楽しそうに話してくれました。高齢になった元会長を説得して退任してもらったとか、多くの若手会員が増えたとか、組織を法人化にしたとか、新しい会長を迎えたとか ......。 言葉がそう多くありませんでしたが、私は、その過程が紆余曲折であったことを推察し、このために走り回る任さんの知恵と決断力に深く敬服していました。

今年の春節祭に、任さんに会ったとき、2020年に「なごや蝴蝶学院」を開校し、任さんがその院長になり、中国語、中国文学、太極拳、書道、華道、茶道を含む文化施設を運営しているということを教えてくれました。

春節祭会場に なごや蝴蝶書院の生徒たちと任院長(右1)

低迷する昔の日中友好団体が文化交流団体へと変身を遂げました!
私は任さんに取材を申し入れ、初めて愛知華僑総会を訪ね、任さんに総会における活動や考え方を聞くことにしました。

愛知華僑総会で任さんを取材中

顧問に退いた任さんは、

「私は何もしていません。ただ彼らのそばにいるだけです。」といつものように言いました。「 私は、どんな問題があっても、すべて私が責任を持ちますから、若い人たちが大胆に進んでもらおうとしました。彼らは賢くて能力がありますから」。

その組織再建のチーム構築やプロジェクト形成の詳細にはあまり触れませんでしたが、改革のプロセスにおいて、任さんの役割は、どちらかというと船の錨のようなものではないかと感じました。

鎖などの先につけて船上から水底に落とし,その重さと爪で泥や砂をひっかけることにより,船の移動を防ぐもの。単に船を1ヵ所に固定させておくだけでなく,狭い水域で船を回したり,ほかの船との接触を防ぐため,船の行きあしを止めるといった用途にも大きな役割を果す。

任さんは、日本社会に根ざし、中国社会の特徴に精通し、日中の文化の違いもよく理解しています。豊富な社会経験と内面の鍛錬により、果断な判断と迅速な行動に自信を持つことができます。

彼女は、表に出るのではなく、副会長という立場で裏では、バランスのいい感覚で華人会長をサポートし、決定事項の実行を支援することをしてきました。

若手の運営メンバーが、進退の迷いに陥ったときに,彼女は決断の勇気を与ますし、トラブルに巻き込まれたときに、任さんは間に入って調整してくれます。愛知華僑総会の運営陣にとって、任さんは錨のような存在といえるでしょう。

新しい経営陣の会長・副会長を支える顧問の任さん(左2)

そんな現状に満足せず、任さんは次のように言いました。

在日中国人が日本社会に溶け込めるよう支援することも愛知県華僑総会の目標の一つです。
しかし、蝴蝶書院にくるのは、中国文化に興味を持つ日本人がほとんどで、日本文化に興味を持つ中国人や日本社会に戸惑ってこちらに来る中国人がほとんどいません。
彼らが必要としていないわけではなく、こちら側が、彼らに興味を持ってもらう方法やコンテンツがまだ見つかっていないからです。

私は、仕事や家事をこなしながら、定期的に総会に通っています。 ここでは報酬はありませんし、総会を何かのゴールに導くことに執着しているわけでもありません。 私の役割は、若い人たちが運営交代できるように支援し、最終的には日本人と中国人双方に役立つことを願っています 。

最後に、任さんに「仕事と家庭以外の楽しみや息抜きのサードプレイスはありますか」と尋ねると、彼女は迷わず「ここが私のサードプレイスです」と答えてくれました。

「外の社会と関わるには最適な場所であり、様々な人や物に触れることができ、様々な価値観が触れ合い、ぶつかり合うことで新しい考え方やアイデアが刺激され、その全てが自分の人生を有意義なものと感じらせ、楽しい場所です。」

任さんはこのような言葉で、インタビューを終えました。


写真提供:愛知華僑総会

中国語バージョン


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