なぜ岡村隆史のラジオでの発言が問題なのか

結論

コロナによる生活困窮でやむなく性産業で"働かななければならなくなる"人を「待ってます」と言うのは、社会弱者への嘲笑であり、岡村さんのような社内的地位のある立場の人間が公衆放送で言う事は許されない。

深夜ラジオは深夜ラジオであるが、聖域ではない。倫理も社会性も持ち合わせている。それを書き起こし記者や過激派SNSフェミニストが拡散・歪んで拡散しても、岡村隆史の発言は間違っている。

倫理や社会性、タヴーの枠を超えないようにしている他の番組の「枠」が狭まる事になる。私は非岡村オールナイトニッポンリスナーだが、決して外野ではない。

(過激派SNSフェミニストについての定義は、SNS上において性搾取や性的なものへのゾーニングの徹底、性的かどうかの判定を自らが行う、性嫌悪フェミニスト。私見による蔑称。)

経緯・書き起こし

2020年4月24日01時岡村隆史のオールナイト日本にて、リスナーからの「風俗が好きなのですが、ダッチワイフを買おうかと思っています(意訳)」という投稿に対して、

(略、ダッチワイフは買ってはいけない)神様は乗り切れない試練は無いですから、きっと乗り切れるんですよ。今面白くなくてもコロナが終息したら絶対面白いことがあるんですよ。

なかなか苦しい状態が続きますよ。なかなかの可愛い人が短期間ですけども、お嬢やります。

なぜかと言いますと、短時間でお金を稼がないと苦しい苦しいですから、

そうなった時に今までのお仕事よりちょっと、、これ僕3ヶ月やと思てます。(略、3ヶ月を繰り返す)

コロナ空けた3ヶ月後、あれ?こんな子入ってた?っていうような人たちが入ってきますから、はい。

だから今我慢しましょ。今我慢して我々風俗野郎Aチームみたいなもんは3ヶ月!3ヶ月を目安に頑張りましょう。

我慢して風俗行く金を貯めて、仕事ない人も切り詰めて切り詰めて、その3ヶ月のために歯食いしばって頑張りましょう。

(略、3ヶ月後に風俗に行く描写)でも3ヶ月やで?パッとやってパッと辞めるから。たぶん、そうなんじゃないか。僕は今それを信じて頑張っています。


記事やSNSで目にする「楽しみにしている」とは言っていないが、それに該当する箇所は見受けられる。

この段階で結論と同じ意見ならもう読む必要はないと思う。


そして、日曜日に書き起こし記事があがった。特に悪質な印象操作もされず、ネット記事の書き起こしという内容である。

補足。私がツイッターで騒がれているのを見て、検索してみた記事がこれである。この時点で、これは記事のニュアンスでどうにかなる発言ではないと思った。


そして、この記事を引用した記事がこれである。

ノートを書くにあたって初めて読んだが、概ね同意できる。

また同じ事を後述するかもしれないが、たしかに経済困窮し性産業で働き低賃金の仕事どころか普通の仕事ですら稼げない金額を稼いで生活が豊かに結果的になるかもしれない。

しかし、社会的地位のある人間が公衆放送でそれを肯定し、それに手を貸す事は、許されないと私も考える。

この記事を書いた藤田孝典という人間の噂を聞いた。(ソースもない噂である。)

この人物がどんなに胡散臭い人間であろうとも、過激派SNSフェミニストが炎上で飯を食おうとも岡村隆史の発言は事実で、過激派SNSフェミニストを悪とみなしたところで岡村氏の発言が消えるわけではない。


反論

深夜ラジオという場所について

SNS(ツイッター、5ch、まとめサイトのコメント、ヤフーニュースコメント欄等)で言われる意見に、「深夜ラジオを壊すな」「深夜ラジオはそういうところ」というものがある。

私も深夜ラジオリスナーである。深夜ラジオのノリも理解しているつもりでいるし、それに参加してパーナリティ・スタッフ・リスナー・SNS(実況)で楽しみを共有しながら遊んでいる。

だが、深夜ラジオが聖域ではないという認識を持っている。
理由としては、不特定多数に向けられた「公衆放送」だから。この「公衆放送」にはYouTubeなどのネットメディアも含まれる。特定多数ではあるがファンサイトの動画やライブも広義に含まれると考える。

ラジオが含まれるのは公共財である電波を使って誰もが聞けるコンテンツだからである。それでも、深夜ラジオは特別と言う人もいるが、書き起こし記事とSNS、radikoやYouTubeの違法アップが特別だった深夜ラジオの枠を破壊した。

それまでは聞く人数が少ない深夜ラジオはリアルタイムで聴くリスナーだけで共有、、むしろ共有されない個人所有のものだった。

それが前述の新しい要素達によって変わってしまった。この変化の善悪の論理は各々持っているだろうが、ここでは論じない。

重要なのは、既に深夜ラジオは多くの人間に共有され、論評され、怒りの矛先をむけられるという現実である。

怒りの矛先を向けられる事については次の反論に書こうと思う。

既に、聖域だった深夜ラジオは存在せず、多くの番組がその変化に適応しようとしている。深夜ラジオだから許されるという現実はもうどこにもない。

この記事の言葉を引用するなら「逆マジックミラー号」。深夜ラジオリスナーだけが、隠れ家だと思っている場所である。


今回の岡村さんの言葉と思想は、他の番組にも確実に影響を及ぼす。いままで、これくらいなら大丈夫だろうとされてきた「枠」はさらに小さくなる。
外野は黙ってろと方々で見たが、無理矢理な擁護で他の番組への被害を拡大するのはやめてくれ。どんなに、拡散した人物を責めても火を起こしたのは岡村隆史自身である。



反論

言論弾圧(表現の自由)、正義を振りかざすについて

少数だがSNSで、これらの意見があった。

まず、表現の自由を守る事について。

これは、権力が国民に対して表現の自由を阻害しない権利である。批評や反論をされない権利ではない。むしろ、批評する事を守りますという権利である。
ならば、岡村氏にも表現の自由があるのではないか?そう考えた方もいるだろう。改めて言うが表現の自由は批判されない権利ではない。岡村氏の発言を批評する権利である。

表現の自由は最も重要な権利の1つであり、好き嫌いを超えたものである。


正義について。確かに正義と悪意とが判別がつかないような炎上が多く見受けられる。罵詈雑言や近親者への攻撃など。それらは名誉毀損などの不法行為であり、自由ではない。

(岡村氏への批判はラジオ放送上であること社会的地位ゆえ公共性が高い。普通の批判で名誉毀損は成立しないと私は考える。判決例を読んだ素人)

過激派SNSフェミニストが事実を歪めて、デマを交えながら批判しているなら許されない行為である。私は確認していないが、過激派SNSフェミニストならやっても不思議ではない。そういう物を見てきた。

だが、重要なのは岡村氏の発言思想である。表現の自由なら何を言ってもいいだろうと思う人もいるだろう。何を言ってもいい。言うことを止めないが、それに対する反応も付随する。

今回で言えば考えの改めと謝罪である。それが公共放送の責任である。

タヴーを超えて批判されたくなければ、家で声に出さずに思えばいいだけだ。


反論

過激派SNSフェミニストについて

献血ポスターの問題で私はその存在を知った。主観的な判断、徹底した男性の女性に対する性嫌悪、過激な主張で熱狂的信者を増やしそれで飯を食う存在。目的と手段が入れ替わったため支離滅裂な理論も目立つ。

そういう認識である。つまり嫌い。

これはSNSで時事問題に触れる多くの人の共通認識ではないか。とりあえずそうであるとして話を進める。

端的に言ってしまえば、

私が嫌いなあいつらが言ってる事は否定する。だから岡村さんは悪くない。

と見れる意見が多かった。多くが感情的で理論立てて反論出来ておらず、

批判してる連中は性風俗を見下している

といった、論理のすり替えが多く見られた。

よここで批判されているのは、

"なぜかと言いますと、短時間でお金を稼がないと苦しい苦しいですから、(略)でも3ヶ月やで?パッとやってパッと辞めるから。たぶん、そうなんじゃないか。僕は今それを信じて頑張っています。

この、コロナ禍で困窮する人への言動と社会問題化している女性の貧困問題である。現役風俗嬢の意見に意味はないし、全ての性産業に従事する女性を問題としているわけではない。

繰り返すが現役風俗嬢がどう思うかは本質ではない。これから経済的困窮で他の選択肢を見つけられず仕方なく性産業で働く「未来の一部の風俗嬢」である。


この記事を書こうと思った大きな理由に論理のすり替えが行われているからである。


過激派SNSフェミニストの中には、性産業自体を悪と捉える人間もいるだろうし、それも論理のすり替えである。ホモソーシャルな性的搾取が〜〜と声高に叫ばれても私には響かない。

多くの人がそうであろう。だから過激派SNSフェミニスト焚きつけてる回数に比べて炎上する事は少ない。

普通の人が問題があると思っているから、ここまで燃えて、ニッポン放送が正式に謝罪しているのである。

普通の人という曖昧な表現だが、少なくとも、岡村氏は悪くないというのがラジオリスナーの総意ではないと理解していて欲しい。


反論

困窮した女性が結果的に助かることについて。

これは少数意見かつ、ツイッターでは見られない、擁護を装った意見かもしれないが。

これに関してはリンクの藤田の記事を読め。

自分の言葉で言うと構造的な社会問題にすぐ効く特効薬もないし、岡村氏のような社会的地位のある人間でさえできる事は少ない。それでも、その現状を肯定推進するような言動はしてはいけない。不条理な世の中を変えなければいけないとするのが倫理的な善であると考える。


反論

私の行動について

もしかしたら、お前も3ヶ月後結局風俗に行くんだろ?と思う人がいるかもしれない。

重ねて言うが、性産業を否定していない。経済的困窮者が他に手段を取れず性産業で働く事を待っている事を批判している。

貧困国では売春を目的とした人身売買があり、先進国でも売春を目的とした誘拐事件が起こる。

正義マンと揶揄されようが、好き嫌いではなく自分の中の善悪の基準でもってダブルスタンダードにならないような思考言動をしたい。

マザーテレサの

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

これを意識してる。普段の習慣づけや思考が人格をつくる。


岡村さんの謝罪について

謝罪の仕方で今後が全く変わる昨今。中途半端な謝罪ならしない方がいいように思う。

簡単な謝罪文をHPに載せて放送で謝罪するようだが、これはどう出るかわからない。

岡村さんが問題の本質を理解しているかどうかが重要になる。

謝罪文は放送への布石であるとも考えれるが、少なくとも、謝罪文は簡素で初動としては悪いと思う。

正式に謝罪文を出し(自分が確認してるのはネット記事だが)NHKを始めとする大手メディアも取り上げた。もし、ワイドショーに取り上げられてさらに広まれば最悪の初動になる。

これも繰り返すが、他の番組への影響があり非リスナーにとっても重要な放送になる。深夜の聖域や表現の自由で述べたように公衆放送に外野は存在しない。正直不安である。

ツイッターでも書いたが、岡村さんが猛省している可能性もある。そのとき拳を振り上げていた擁護派の人たちは拳をそっと下ろして欲しいと切に願う。

擁護や皮肉は猛省した岡村さんのマイナスになってしまう。







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