まだ輪郭の見えない愛の話
号泣してもおかしくないような状況で涙が一寸も出ないときに、鏡に写った自分と目を合わせ続けると、次第に、出るはずであった涙の量だけ視界が歪んでくる。どうして雨が降っているのか。「梅雨だから」という回答が聞こえてくる前に、ホーチミンのスコールの街を思い出す。エネルギーも滅茶苦茶で行動も滅茶苦茶だった二十代の私が作った記憶は、人生の走馬灯の一幕としては、絶妙な鮮やかさと強烈な美しさに仕上がっている。
逃げ出すことと、自分を防御すること。その違いってなにかしら。わりと大事なポイントのような気がするけれど、そういう余裕のある問いが湧いてきたのは、だいぶ時間が経ってからだった。どれだけ自分が傷ついているか、その音量に従って体が反応する。それはもしかしたら、私にとっては新鮮なことかもしれなかった。「これだけ傷ついているよ」という事実に、表層の私ちゃんがほとんど気がつかなくて、「いやこんだけ傷ついている!」という叫びを深層の私ちゃんが私の体を使って表現し始めて、それを表層ちゃんがどこかで聞きつけたから、体がバラバラになる前にストップがかかった。
用事があって区役所に向かう道中、目の前に落っこちている自分の肝臓や小腸を見つけては、その度に拾うことになった。呆然としたところから気を集中させるのに骨が折れたとしても、一つずつ拾うのであればなんとかなりそうだな、と思いながら。昔は全身がバラバラに吹っ飛んて、それを搔き集めるためには、泣きじゃくった状況で引力を自家製造する必要があった。それを思い出すと、とてもじゃないがそんな体力は今の私にはないから、結局、体力の経過に併せて傷つき方を学ぶようにできているんだろうな、と納得する。
どうして「私はちゃんと愛されたことがある」なんて見栄を張ったのか。それが自分でもわからなかった。見栄というよりは、お互いが好きで、相手の「好き」の体温と重さをキャッチできている思い出はすごく単純で分かりやすいから、そこに一旦寄りかかってみただけかもしれなかった。彼等の私に対する「スキ」は今でもその輪郭が思い出せるくらいで、彼等の目に私がどのように映っていたのかも、なんとなくわかっている。たぶん、彼等が私のことをわかってくれていたのがその理由の半分。もう半分は、彼等の望む像に私が合わせていたからなのだろうけれど、当時は必死で気づいていなかった。それは別に、私に特異的に起こっていた事ではなくて、中世のイタリアの画家にまつわる講義に出ていた頃に読んでいたジジェクの本に、<当たり前のこと>として書かれてあった。男が望む形に乗っかることで「愛される」女になる、という普遍的なカラクリ。
望みに合わせていたうち、50%は無意識の演技で私からのサービスだったけれど、もう50%は、自分自身が前に進むためのエネルギーとして利用していた。同い年のIさんが映したかったのは「クレイジーでぶっ飛んでる」女だったけれど、一方で彼は私に「貴女はもう一度賢い人にならなきゃ駄目よ」と伝えていた。Yちゃんが見たかったのは「膝下が綺麗で、かつ、そこらにはいない会話が面白い女」かもしれないけれど、私に言い聞かせ続けたメッセージは「普通の世界でも全然通用する面を思い出せ」だった。
あったかくて、キラキラしてて、手の中に握れるスキに詰まった時間が最終的に向かったところ。それが全細胞バラバラの魔人ブウだった。その瞬間の破裂は、その後しばらく続く痛みと苦しみを伴い、衝撃はやがて私の中に吸収されていった。それは、表向きは「乗り越えた」ことになっているけれど、私が彼等との時間を通してどのように成長したのかは、分解するとよくわからない。愛は、成長をくれるものではないのかもしれない。蓄積せよ、精進せよ、と言われる人生の中で、その何度やってもゼロから始まる感覚は、ひょっとすると、珍しい。
あの人には、私は、どのように映っていたんだろう。それは、見当がつかない。今初めて思ったことではなくて、ここまでに至る途上でも、それは何度か心に過ぎったことだった。私がどのように見えていたのか。部分と全体と。それが、全然わからない。その人から貰ったメッセージは「強くあること」だった。自分のなか、心の芯部を、強く保つこと。その明確なお題を出逢って間もない頃にもらい、その後もずっと言い聞かされて、「これが今回のお題なら、死ぬまで私には課題であり続けるだろうから、そうしたらその間はずっと近くにいられるのかもしれない」なんてお花畑の思考を巡らせていた。呑気なもんだな、と思う。
今回バラバラになるほどには破裂せずに済んだのは、どうしてなんだろう。私が映したい私の像。それは吐きそうになる程にしんどいテーマで、この二年間、その問いは私につきまとった。まだ答えは出ていなくて、なんとなく部分的に彫り出してみました、くらいの段階で、気を抜くと生身の私の方は膝からガタガタを崩れ落ちそうになる。一向に強くはなっていない。強くはなっていないし、強くもなれないかもしれないけれど、漸く、自分で履く自分の靴を用意してもらえたのかもしれない。誰かが用意しれくた靴ではなくて、自分で縫い上げるための時間と舞台。
周りの人はとっくに靴を縫い上げた生き様を送っているのは、なんとなく理解しているけれど、私は自分のこの周回遅れ感も、寂しさも、惨めさも、仕方ないなと思っているし、ちょっと無理をして愛すべきポイントとして捉えてみる。あんまりに深い井戸を掘って、その水を汲み尽くし、土を埋めて、その後平坦な道に仕上がっているから、私は普通に生きられていると錯覚していた。君は普通じゃないって、毎回言われるのはそれは、悲しい。でも普通の人とシーソーに乗ったら世界がめちゃめちゃになる。そんなことが起こらないで済むように、私を拾ってくれて、向き合ってくれる人には、心から感謝しないといけないなって思う。