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多言語育ちだけど質問ある?

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バイリンガル教育に興味があってもなくても、もはや人生ずっと語学勉強という宿命を背負った女の人生をのぞく感覚でどうぞ。音声配信と記事、お好きな方をどうぞ。欲張りさんは両方どうぞ♡
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#ビビアンスー

多言語育ちだけど質問ある?

放置しました。放置しすぎたかもしれません。 そう、それはnoteのこと。 ドイツに引っ越して、素敵なヨーロッパ生活をブログに綴る気満々で居たのですが、蓋を開けてみれば、インスタで頑張って作った料理をストーリーを上げ、旧Twitterに愚痴る日々。現実って、そんなもの。 私のドイツ生活ももうすぐ4年、SNSを通じてお友達がドイツを始めヨーロッパ各地にできたのは嬉しい収穫。SNS上でよく絡ませてもらって、会ったことないけど仲良くしてる方から、実際に会ってリア友になった方まで。

質問にお答え① 親からの言語習得支援で嬉しかったことは?勉強しようと思ったきっかけは?

音声配信、記念すべき第1回! ともごんさんとMYさんからいただいた質問にお答えしています! 今回のキーワードは、 「何も期待しない、無条件の応援」 質問(要約 ・北京語についてどう思っていたか ・10代で北京語を勉強したときの苦労は ・北京語やろうと思ったきっかけは ・親からの言語習得支援でよかったこと/嫌だったこと *トークだけではお伝えしきれなかった内容は  以下の記事からぜひ読んでみてください! ●台湾語という特殊言語 →なぜ家庭内を北京語にしなかったの?の答えはここ ●北京語に興味を持った思春期 →なぜ北京語をやろうと思わなかったか、やるきっかけになった推しの存在が私の台湾人アイデンティティを呼び起こした話

北京語に興味を持った思春期

私が北京語を話せるようになったのは、高2の夏。 それまで全く出来なかったか、というと、うん、本当に単語とか、「ごめんなさい」「どういたしまして」とか、トラベル会話以下くらいだったと思います。 もちろん、夏休みに台湾に帰った時や、両親が台湾の友達と北京語で話しているのを聞いているので、普通の日本の子よりは中国語に触れていたと思いますが、そんな程度でした。 北京語の必要性を感じなかった親は、やっぱり将来のことを考えて北京語を覚えてほしくて、ちょこちょこアプローチをしてきました