異世界、福岡にて 第2話「フクオカンマフィア」


 
 がたん、がたんと車体が揺れる。絶え間なく流れる風景をどれくらい眺めていただろうか。

 俺とタクさんは推し黙ったままお互いに一切話しかけなかった。喧嘩をしたわけではない。初めは俺についての話や福岡について、これからの話など聞き出そうとしたが、ほんの数分のあいだ隣に座っていただけで理解した事があるからだ。それはタクさんが話をするのが不得意だということ。少し会話に集中しただけで前方から視線が逸れ、何度も壁や対向車にぶつかりかけたのである。この人は運転に集中させないと大変なことになる。そう感じた俺が話しかけるのをやめたせいで、タクさんも黙って運転をしていたのだ。

「まずいな……」タクさんが久しぶりに口を開いたのは、渋滞していた車が少しずつ捌けてきたときだった。視線の先には人だかりができていたが、何らかの検問でもあるのだろうか。
  
「何がまずいんですか?」
 
「ありゃフクオカンマフィアばい」

「フクオカン……?」

 マフィア、という単語に眉を顰めたとき、運転席の横に何者かが立った。ミミズがのたうちまわったような、奇妙な刺青が坊主頭の天辺から指先にまでびっしりと刻まれた大男だ。眉を剃り落としてあり、ゴツゴツとした頬骨と痩けた頬が凄みを強調する。その頬に刻まれた刺青の、滴る涙のような形のミスマッチさがかえって畏怖すべきものとして目に映った。タクさんが合図に従って窓を開けると、大男は仰々しく屈んで車内を覗き込み、それからフッと笑った。

「よお、あんたやっぱりそうだ。タクさんやんか」
「知り合い……?」
 
 タクさんは何も言わず、軽いため息を放りながら目を瞑った。

「おまえ、隣に座っとって知らんのか? まぁ若そうやし、無理もねえか……」大男はものを知らない小学生でも相手にするかのように肩をすくめた。「ハカタの首領《ドン》・タクって言やあ、大抵の野郎は震えあがっちょったもんやけどな」 

「え……? タクさん、マフィアだったってことですか……? しかも首領ドンって……?」

「昔の話やけん。トオリモン、そいはいま持ち出さんでいいやろ」

「へっ、それもそうやな」

「そんな……」
 
 俺は福岡について多くは知らないし、博多銘菓であるはずの通りもんが大男の通称である意味もわからないが、俺の知らない福岡の歴史があるらしいことだけはわかった。できれば詳しく語ってほしかったが、二人は俺を蚊帳の外にして話を次に進めた。
 
「んで、タクさんといえど顔パスで通すわけにはいかんのよ。通りたきゃ、おれたちの出しとる通行証を見せるか、十万バッテン払ってもらわんといかん」
 
 バッテン?
 
「そんなもん、払えるわけなかろうが。通行証とかも知らんばい。ここ公道やろ。おまえらが勝手に仕切っていいわけないやろが。はよどかんか」

「おうおう、タクさんの凄みは健在で――」大男はおどけてみせたが、その瞬間に顔面がだるま落としのように歪んだ。何者かの拳がめり込み、彼は真横に吹き飛んでいったのだ。向こう側の車に激突し、車が飴細工のようにぐにゃりと潰れた。いったいどれほどのパンチ力があれば一撃でそこまで殴り飛ばせるのかは疑問だが、トオリモンは問題なく生きているようだった。
 
「なんしようとかきさんッ! こん人はどう見ても農業のおじさんやんか! カタギに手ぇ出すとか男のすることやなかばい!」
 
 殴ったのは、顔を真っ赤にして怒り狂ったもう一人の大男だった。赤いアフロが実に特徴的な、状況から察するに昔気質のヤクザといったところだろうか。
 
「メンベイ、コラァ! なんすっとかきさん! くらすぞコラァ!」
「やってみんか! オラァ!」

 あの男は博多土産の定番めんべいらしいが、もはや俺には菓子なのか男なのかわからない。

「今のうちやな」タクさんがぼそっと呟いた。その声に従って周囲を見てみれば、どよめき散らしていて混乱の極めているようだった。突然のメンベイの殴り込みにより、下っ端の連中もどうすればいいのかわからないのだろう。さすがはタクさん、元が首領ドンなだけあって周りをよく見ている。
 
 タクさんがアクセルを強く踏み込むと、ぐっと体が座席に押さえつけられたが――ほんの数秒走ったあとに停止してうんともすんともいわなくなった。急発進したことで何らかの原因で故障したらしい。これだから旧い車は……と、俺たちは互いに顔を見合わせて苦笑した。
 
 急いで軽トラから降りたところで、下っ端連中が複数人で俺たちを取り囲んでいることに気がついた。「ぐッ」タクさんが何か言おうとしたその時には、下っ端の一人に腹に一発いいのをもらっていた。しかしタクさんは前のめりに倒れると見せかけて一回転し、強烈な浴びせ蹴りをお見舞いした。一人はそのまま崩れ落ちたが、まだ後ろには大勢いる。いったい十万バッテンとやらを取り立てるのにどれだけ必死になれば気が済むのかわからないが、その目はギラついていて、俺たちをここで取り逃すつもりは微塵もなさそうだった。
 
 タクさんは崩れ落ちた男の足首を掴み、片手でハンマー投げのようにぶん回して背後の男たちに向かって放り投げた。ストライク! 奴らは体勢を崩して全員倒れ込んだ。とてもただのおじさんにできる芸当ではないが、そのおかげで一時的な隙が出来た。
 
 俺たちは跳ねるようにして路地に逃げ込む。荷台の武器を持ち出せなかった以上、タクさんは狭い場所に誘い込んで少しずつ相手にするつもりでいるようだったが――持ち出せたとしても街中で銃をぶっ放したり日本刀を振り回すのは勘弁してもらいたいところだが――、俺としてはそのまま走り抜けたかった。だって、みんなすげー顔怖いもん。
 
「待たんか、おっさん!」
「バッテン払えちゃゴラぁ!」
「ヤマダ投げたん許さんけんなッ!」

 一人は私怨のようだが、やはりバッテンの取り立てが主な理由らしい。それにしても数が多い。彼らの後ろにも黒豆のような男たちが大勢控えている。タクさんは本当にこの数を相手に立ち回る気なのだろうか。いや、博多の首領ドンタクならばそれを難なくやってのけるのか?
 
「やばか〜……」
 
 タクさんは冷や汗をかいていた。流石のドンでも数の暴力には勝てないらしい。俺たちは顔を見合わせてくるりと反転し、路地の裏手に向かって走り出す。
 
「タクさん! あれは使えないんですか! 俺を! 助けてくれた時の!」

「あれは! 疲れるけんなぁ! 走りながら使っても! すぐ効果切れるんよ!」

「そうでした! ごめんなさい!」

「やけど一か八か百道くんだけ逃してオレが――」言いかけたとき、辺りが真っ白に光り輝いた。これは熱だ。炎だと理解する。炎の壁が俺たちの背後に出現したのだ。「アヂヂヂヂッ!」タクさんは作業着の背中部分をやや焦がして、踊るように飛び跳ねた。

「カーッ! こげんか漂流物ギフト隠し持っとったんか!」
 
 男たちが捨て台詞を吐いて去っていく声が聞こえる。どうにか切り抜けられたらしい。
 
「無事かな、おじさん」
 
 声をかけたのは、建物の外にある非常用階段の手すりで頬杖をついた人物からだった。中性的な声色で、黒いインバネスコートを羽織っていて体のラインも分かりにくいが、キャスケットを目深に被ったその顔立ちと、刺すような鋭く切長な目が女性的な美しさを湛えていた。

「ええっと……?」

「ああ、オレの姪やね」

「姪」全く似ていないが、姪ならそんなものか。

「おや、きみは初めましてだね。僕はかざり。通りすがりの探偵さ」
 
 うやうやしく一礼をすると、彼女は優雅に体を翻して手すりを飛び越えた。
 二階の高さから降りても怪我をしない可能性は十分にあるが、それでも相応の度胸が必要だ。彼女はあるはずの恐怖心をおくびにも出さず、着地もわずかな音を立てるだけ――ではなく、ズボッと派手な音を出して地面に胸の辺りまでめり込んだ。なんて柔らかい地面だ。
 
「探偵がこんなとこになんの用でおるんかね」と、タクさんは固まった彼女に寄っていって冷ややかな目を向ける。助けられたとはいえ背中を若干焦がされた恨みが込もっていそうだ。
 
「ああ、それは迷子の子猫ちゃんの捜索依頼があってね」

 土にめり込んだコートの内ポケットから、這々の体で一枚の写真を手繰り寄せて俺たちに見せつけた。子猫とは可愛らしい子供といった比喩ではなく、紛うことなき子猫だった。彼女はその三毛猫捜しをしていたところに、追われていたタクさんを発見して手を貸したというわけだ。

「探偵の仕事が猫探し? 犯人探しとかじゃないんか」

「仕事に貴賎はないよ。『僕にとっては仕事そのものが報酬だからね。仕事それ自体、すなわち自分の特殊な才能を発揮する場を得る喜びこそが、最高の報酬だ』。そもそも、本来探偵の仕事とは地味なものだよ、おじさん。かのシャーロック・ホームズのような仕事なんかほとんどあり得ないんだ。ほとんどない、うん、ほとんどないんだ……」

 かざりさんはそう言いながら眉を垂れ下げていく。本当はそういう仕事がしたいに違いない。

「気にせんでいいぞ、こいつホームズオタクやけん」と、タクさんが俺に耳打ちする。彼女の仰々しい言動と服装の謎は、あっさりと全てが解けてしまった。

「それより……その……手を貸していただけると……」
 
 地面に突っ込んだままでいることの恥ずかしさか、痛みがあるせいなのか、かざりさんは滝のような汗をかきながら涙目で訴えた。タクさんと一緒に引っこ抜いてやると、かざりさんは冷静に頭を下げたが、その顔は真っ赤になっていた。大丈夫なのか、このひと。
 
 
  

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