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いつも私の心のそばにあるハロプロ

唯一何年も、いや、物心ついた時からたぶん今までずっと好きなものがある。それがハロプロ。これまでの私とハロプロについて。

モーニング娘。と同い年

モーニング娘。が結成されたのが1997年、私が産まれたのも1997年。つまり、物心ついた時にはもうすでに、モーニング娘。の'黄金期'だった。

私もあたりまえにテレビでモーニング娘。を見ていたし、母はASAYANも見ていて大好きだったらしい(ちなみに今でも私と同じくハロプロ好き)。コンサートのビデオまで家にあって、よく見ていた。その頃の私が一番好きな曲はハッピーサマーウエディングだった(発売当時はまだ3歳(o_o))。きっと当時はファンと言うほどでも無く、世間一般と同じくらいの熱量でモーニング娘。を見ていた。

娘。から世間一般とともに徐々に離れていった

モーニング娘。の7期オーディション密着のテレビを見たことまでははっきり覚えていて、内容はあまり覚えていないけれど久住小春の圧倒的ビジュアルにびっくりしたことだけは記憶に残っている。

いつからそんなにテレビで見かけなくなったか、いつからAKB48の方が有名になったのか、はっきりわからないけれど、私も今でこそ、なんて勿体無いことをしたのだろうと思うが、世間と同じように離れAKB48ばかり見ていた時期も少し、あった。でもモーニング娘。がちゃんと活動しているのは知っていたし、気まぐれプリンセスを発売した頃よくPVがテレビから流れていたのも見ていた。

°C-uteとの出会い

それこそ、モーニング娘。に久住小春が加入した時期くらい、私が小学4年生の頃、うたばん(すごく好きだった歌番組。20歳以上の人であればわかるはず。)を見て衝撃を受けたのが、°C-uteだった。

桜チラリの衣装を着て、一人一人自己紹介をしていた。「小学○年生の、○○○○です!」そんなようなことを言っていて、最年少のまいまい(萩原舞)の可愛さに度肝を抜かれた。まいまいはその時たしか5年生で、私は、自分とそんなに変わらない年の女の子がこんなにも可愛くてキラキラしていて歌って踊っていることにびっくりした。

YouTubeで動画を見まくっていた小学生

私が小学校高学年にもなればある程度YouTubeは使いこなしていて、衝撃を受けたまいまいを検索して°C-uteや、まいまいの動画をあさっていくようになった。笑

当時の心境として、小学生の女の子なのに女性アイドルにハマって動画を漁るなんておかしいし恥ずかしい!と思っていた私は親がいない時にだけ見て、誰にもこの子が可愛くて〜この曲が可愛くて〜なんて言っていなかった。

時代だなぁと自分でも思うがYouTubeというのは本当に便利で、関連動画がでてくるから自然と娘。や他のハロプロ関連の動画も見ていたしハロプロ以外の女性アイドルも見ていた。(48系やさくら学院、東京女子流、ももクロなんかもかじっていた)ただのアイドル好きだと自分でも思っていた。

モーニング娘。に出戻り。そしてスマイレージ。

たぶんこれまでと同じようにYouTubeでアイドル動画を見ていた時に、娘。9期加入の動画を見た。ビビッときた。鞘師里保との出会いだった。

りほりほにビビッときた私はすぐ原点のモーニング娘。に戻った。そこからはもう沼だった。

同じくらいの時期か、それより少し前、スマイレージがレコード大賞最優秀新人賞をとった。メジャーデビュー以前は当時はあまり知らなかったが、最優秀新人賞以降、りほりほとの出会いと同じくらいスマイレージにもハマった。というかハロプロ全体にハマっていた。

オタクになった。

娘。9期以前の私は、あさーくファン程度だったが、その出会いでオタクになっていた。9期のオーディション映像から見直すことからはじめ、プラチナ期まで遡った。プラチナ期にオタクじゃなかった自分を恨むくらいには沼にハマった。そしてやっと、家族にもおおっぴらに言えるようになって家族もハマった。

それからハロプロの他のグループ、ベリキュースマ、真野ちゃんにも詳しくなった。ハロプロの番組も、美女学から見ていたか不明だが、ハロプロTIMEは確実に見ていた。10期のオーディションからはリアルタイムで追っていて、家族で、工藤遥ちゃんは確実に受かるね。なんて話していた。

高校生という青春時代とハロプロ、はじめてのコンサート

高校生になってからはもうハロプロ三昧だった。

まじですかスカ!からはリアルタイムで聞いたり見たりしていて楽しんでいたが、one two threeには衝撃を受けて、やっと自分の意思で自分の足で行動できるような年齢になったのもあって、はじめてリリイベに行った。池袋サンシャインだった。それはそれは興奮した。さゆとれいなの圧倒的芸能人オーラ、さゆの人形さ。実在するんだ、と実感した。まだ幼かった9、10期は本当に可愛くて必死だけど純粋に楽しんでいて、まさにキラキラしていた。握手なんてとんでもない、こんなキラキラに近づけない、そう思って握手はしなかった。でも1日に3回あったリリイベの全部を見た。意気込んで早朝から行ったのでめちゃくちゃ近いところから見た。

また更に大好きになって、夏のハロコンのチケットを取った。母と姉とはじめてコンサートに行った。中野サンプラザの一階のめちゃくちゃ後ろの方で、双眼鏡を持っていった。もう最高だった。生で見たかったまいまいも見れた。

高校一年の夏、はじめてのコンサートを終えた私はもうハロオタだった。

通学の行き帰りには必ずハロプロを聞いていた。初恋サイダーでテンションをあげ、自転車チリリンを聞いては自転車で駅から家に帰る日々。ちょうど中高生の気持ちを歌ったような曲を、高校生のうちに知り、聞けたことは今でこそ、良かったなぁーーーとすごく思う。特につんくさんは青春のピュアでそしてほんのちょっと切ない曲の名曲は多いと思うので。その時の気持ちによってハロプロ曲を選んで聴いて、浸っていた。楽しかった。

れいなの卒業、多幸感溢れる'14時代

田中れいなが卒業してしまい(れいなの卒コンのDVD買って見ては号泣していた)、お姉さんはさゆだけになってしまった。それについていく9.10.11期が好きだった。

再ブレイク!?なんて言われていた2013〜2014のワクワク感は今思えばとてもとても楽しかった。今も変わらずどんな時代も好きだけれど、この時はもうそれはそれは毎日いろんなことをチェックして、全て把握していたくらいだった。

ちょうどこのくらいの時期に、私の高校のクラスメイトがAKB48になった。その子はドルオタ、その中でもAKBが一番好きだったようだけど、私はその子とAKBの話はせずハロプロの話をしたし一緒にカラオケに行ってもハロプロの歌しか歌わなかったくらいだった。(もちろん友達として活動を陰ながらとても応援しているしコロナが落ちついたら劇場公演見に行く約束もしている)

そんなこんなで私の青春にはハロプロがあった。

現在のハロプロと私

つんくさんが総合プロデュースを退き、モベキマスのモしか残っていない(スマはアンジュに。)ハロプロ。その後できたjuice=juice(ここまでの人選はつんくさん)、カントリーガールズ、こぶしファクトリー、つばきファクトリー、BEYOOOOONS。それもカントリーとこぶしはなくなり、いまや、モアジツビ。

いまはいまで、楽しい。いつだって、楽しい。最近は若手が増え、娘。15期、j=jの新人2人、アンジュのリンちゃん、この子達を見ているのも楽しいし将来が有望すぎて。私がハマった娘。9期がいまでは年長組となりハロプロリーダーにまで上り詰めてるなんて。

ベリキューが活動休止して、りほりほが去って、つんく曲が少なくなって、私の熱い熱はすこーしさめて微熱くらいになってるような気がしなくもないが、今までも、これからも、歴史はあるし未来はあるから、ずっと離れられないんだろう。


たぶんこの調子で母みたいにおばさんになってもスキちゃんとか歌って、ほまめいーーーなんて言ってるのだろう。



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