亡き王女の為のパヴァーヌに重ねる急死した父への想い
※Twitter投稿の連続ツイートをまとめて、修正を加えた内容になります。写真は父です。
ラヴェル: 亡き王女のためのパヴァーヌ - 小澤征爾: サイトウキネンオーケストラ
小澤征爾さんの版が1番良い...
元々はクラシックに興味薄かったケド、父の死から急に貪る様に亡き王女のためのパヴァーヌの様々な版を探し回ったんですよね。
youtu.be/RKMFO2PoJkA @YouTubeより
音楽にもクラシックにも知識がなく、てんで素人なのですが、自覚出来てないだけで当時のおーねすとらいあーさんはかなり深く傷付き落ち込んでいたらしく、それなりにこだわられた曲でしか満足出来ぬ状態だったんですよね。
今のところ小澤征爾さんのが1番です。以前なら違いに固執もしなかった。
芸術や美術に音楽を、役に立つかなどの実用性や機能で判定するのは好ましくない部分もありますが、強いて言及するならば、「深く傷ついて病んだ精神に寄り添い、癒し高める」効果や機能はありそうです。
楽しむ付き合い方もあれば、どん底に落ちて絶望し怒り嘆く味わい方もあるなと。
小澤征爾さん版のはフルート?のパートがとても良くて、僅かな伴奏?以外はフルート単独のあまりに繊細で優しいメロディが非常に配慮された上で演奏されているのですよね。
「ああ...分かってくださっているのだなぁ」と嬉しく思いながら味わうワケです。
急死した父さんとこの曲を重ね合わせていますが、彼が高潔な人格者だったからではありません。
むしろ、自分勝手で傲慢で人を見下す悪癖があるのに、寂しがりやで臆病な人でした。
家族に依存するけど粗末に扱い、子供の教育や健康を蔑ろにして、自らの道楽と飲酒喫煙にのめり込む様な人でした。
そんな父でも
「悪人ではなく、弱くて愚かなだけなのだろうな。心の何処かでは余りに手遅れで不器用過ぎるけれど、子を大事にしようとは試みたのかな」
と思う仕草もありました。
この曲の胸が苦しくなる様な迄の優しさが、彼の背負った罪と醜さに苦悩や絶望に愚かさを優しく許し救っている気がするのです。
だから好きなんです。
父の急死後母がピアノを演奏していたので、この曲を弾いて欲しいと懇願したりもしました。
母が拙いながらに演奏してくれてとても嬉しく、
「私の父の為に有難う」
と思わず言ってしまいました。
彼女にとっては彼は夫だったと言うのに。
奇妙な言い回しではありますが、その当時の私にとっても、こうして過去を振り返り発信している私にとってもしっくり馴染む表現でした。
この曲私が耳が聴こえなくなって、脳内で再生出来なくなるまで共に寄り添ってくれるだろうなと、そんな根拠はないのに確信だけある感覚でいます。
私が命尽きて、私の亡骸が横たわったその横でこの曲が流れ、別の誰かがこの曲を美しいと感じ、感じて味わって伝えていってくれたら良いなとささやかな希望が胸にあります。
こうして言葉にする事で気付く事もありますね。
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