私は生きてる価値が無いっていう信念がある①

1ミリも愛されて無かった事に気がついたから。私は人や物を大切にできなかった。自分の事も大切にできない、やり方がわからない。故に自分以外の何かを大切にすることも難しい。見よう見まねでやってきたけど、上手くいかなかった。私自身が愛された事がないから、結局何もわからない。何もかも大切にできない私にとって、世界は無価値に近い。はやく死にたいとなって、錯乱して、いつか事故や事件を起こしそうで、自分が怖い。けど、そうして誰かを何かを傷つけたとて、申し訳ない振り謝る振りしかできないんだろうな。あわれだし、虚しい。

親だって子育てはチャレンジだから、家庭環境のバグは仕方ない、て意見も存在する。けど私の場合には異なる。私の男親は、2回目の結婚、子育てだからだ。前妻との子どもは高校を退学して東京に蒸発した。進学校だったから、かなり珍しいケースだろう。つまり、かなり無茶な子育てをしたのだろう。男親は不貞して、前妻から訴えられた。不貞の相手が私の女親だ。再婚時は男親が46歳、女親が25歳だ。その後性懲りも無くガキを産ませた。私は3番目(トータルでは4番目)の子どもで、男親が51歳の時に産まれた。長々と書いてしまった。つまり、結婚生活も子育てにもかなり失敗して、痛い目を見て、それでも改善が無かった。悲しいかな、ただただ、若い女に手を出して、欲のままに生きたことがわかる。2億近い借金もあった。家族5人、家賃50000円の極小の借家暮らし。そこには30の女と50の男、そして孫ほど歳の離れた3人の子ども。書いてるだけで胸が苦しいな。

仔細なエピソードは書けてないけど、これだけで、私は1ミリも微塵も愛されていなかったとわかる。今はわかっている。私の生育環境の異常性。それに気がつくまで、それなりに時間はかかった。