見出し画像

ミーハー記念日第2回 コラムの人・漫画の人泉麻人さん、松苗あけみさん

「コラムの人」
 
 恋愛に於いて大きな行き詰まりを感じた時、多くの人はどのような行動をとるのだろう?

 その時僕は自分が次に何をすべきなのか、また何をすべきでないのかがまるでわからなくなってしまっていた。ある年の、春も盛りを過ぎようとしていた頃のことである。
 あるとき、好きな女の子が僕の知らない男性と手をつないで仲良く歩いているのを目撃してしまった。僕はその数日前に彼女と一緒にランチを食べながら話をしたのだが、そのときは恋人ができたなどという感じは微塵もなかった。
 割と人通りの多い通りで僕の方が2人に気付き、向こうは気が付いた様子はなかったので、後日彼女に対してその話題を振ることはとてもじゃないが出来なかった。それから、彼女とまともに話も出来ないまま、数日が過ぎていった。この間、僕の恋愛に関する思考は停止したままだった。そして時々頭が働いたかと思うとこんなことを思った。
「手をつないで歩くことは…手をつないで歩くことでしかないじゃないか」
 しかし、そんなことをいくら考えたところで気が休まるはずもなく、実際には何も前に進まないままその年の春は通り過ぎた。

 5月に入ると、やっとこのままではいけないという気持ちになった。
 それで僕は行動を起こすことにした。こんな時に何をすべきかは頭で考えるより直感に頼った方がいい、と思った僕は頭にぱっと浮んだことを実行に移したのだった。

 そんな訳で、僕は原宿の表参道で玉子を売ったのである。

 5月の、ゴールデンウィーク最後の日曜日だった。外は良く晴れていた。しかし、もうこの頃になると晴天の日には気温が随分と上がっていたので、僕は玉子への影響が少し気にかかった。でも、雨降りよりはいい。雨では元も子もない。店が出せないのだから。

 晴天に感謝しながら、前日に用意した道具を全て詰め込んだリュックを背負って家を出た。道具とは次のような物である。

・玉子を地面に並べるときに敷く布。
・布の上に玉子を立てて置く為のネリゴム。
・「60円」「100円」と書かれたの2種類の値札と玉子の品質をアピールする為に「安全です」と書いた札。
玉子を買った人がそれを持ち帰る時の為の紙コップ(これはその場で玉子を飲む人のためのコップでもある)。
割った殻を捨てる為のビニール袋が数枚。
最後に生玉子1パック。

 肝心の玉子は鮮度が大切なので、当日原宿駅に向う前に駅前のスーパーで12個入りのL玉子を2パック買った(幸運なことにこの日は玉子の安売りデーだった)。

 表参道に着くと、路上で自作の詩や似顔絵を売る人、アクセサリ−や洋服を売る人たちの間に自分が店を出せるだけのスペースを見つけて布を広げた。少し離れた所には占い師もいた。
 僕はその小さなスペースに布を敷くと、参道沿いの金属製のベンチに腰を掛けて封を切ったばかりのネリゴムをこねた。それから小さな塊を10個ちぎり取り、布の上に横1列に置いた。
 この作業をしている間、僕は決して表情を崩さないことを心掛けた。前の晩に頭の中に思い描いたイメージを、そのままこの原宿の路上に再現しなければならなかったからだ。何かひとつでもバランスを崩すと、この行為そのものがまるで意味のないものになってしまう様な気がした。5月の、ゴールデンウィークの晴天の1日を棒に振ることになる。
 だから僕は、この日路上にいた多くの似顔絵描きが絵を描くときのどの表情よりも真剣な顔つきで、占い師が占いをするときのどの顔よりも神妙な表情で出店の為の準備を続けた。

 布の上に玉子を立て始めた頃から、時折通行人が立ち止まって僕の方を見る様になった。しかしその多くはほんの少し僕の様子を眺めたあとで再び歩き出し、どこかへ去っていった。そんな中、足を止めて僕の行動を見つめ続ける人もいた。
 僕はなかなか立ってくれない玉子を10個全部立ててしまうと、少しだけ表情をゆるめて深呼吸を1度だけした。そして、先ほどから僕の店の前に足を止めてじっと僕の様子を見つめている人たちを十分に意識しながら、しかしその人たちの方には決して目を向けずに再び張り詰めた表情に戻り、真剣な眼差しで10個の玉子を見つめた。
 それから、並べた玉子を1つずつ左右の手にとり、それを良く見つめてから位置を交換した。
 さらに、真剣な顔で何度か玉子の位置を交換した。そんなことを続けている間、数人が僕の店の前で足を止めていた。しかし僕は先程と同じように彼等に目を向けることはしなかった。

 何度か玉子の位置の交換をした後で、僕は全体に目をやり、少し満足げな表情をした。そこで初めて「皆さん、いいですか?」といった感じで、立ち止まってこちらを見ている人たちに視線を投げると、カバンから3枚の札をとりだし「100円」と書かれているものを右側の5つの玉子の前に、「60円」と書かれているものを左側の5つの前に置き、その2つの札の間に「安全です」と書かれた札を置いた。
 全ての札を置いてしまうと僕は膝の上に手を置いてまっすぐに前を見た。足を止めて見ていた人たちが、僕の行動がひと段落ついたのを見届けて歩き出す中、1人腕を組んだまま僕の方を見続けている男性がいた。少し離れたところからこちらを見ていたその人物は、しばらくすると近づいてきて僕に尋ねた。
「売っているの?」
「60円と100円です。」
 そう答えてから僕は続けた。
「あの、泉麻人さんですよね?実家にいた頃から本とか拝見しています」
「あ、どうも」
 彼は小さく会釈して小さな声で言った。
 どうですか、おひとつ?と僕は玉子を勧めてみた。
「じゃあ・・こっちの100円の方をもらおうかな」
「ありがとうございます。こちらで飲んでいかれますか?」
 と言った僕に泉さんは驚いた様に言う。
「えっ?これ、作品じゃないの?」
「生玉子です」
「ああ、自宅で飼っている地鶏のとか?」
「いえ、さっきスーパ−で買ってきました」
「??じゃあ、この100円と60円って何が違うの?」
「いや、別に違わないんですけど、なんとなくっていうか、その、見た目で…どうしますか?飲みますか?持っていきますか?」
「あ、いや、いいよ。作品だと思ったから買おうとしたんだけど…」

 結局、泉さんが僕から玉子を買うことはなかった。
 その後2、3言葉を交わし、写真を撮らせて欲しいと言ってデジタルカメラで数回シャッターを切ると、軽く会釈して参道を歩いて行った。

 キャプション:泉さんは茶色の瞳をしていた。

 泉さんが去った後にも僕の店には色々な人が来た。

「有精卵ですか?」
「無精卵です」
 OL風の女性が尋ね、僕が答えた。

 母に手をひかれた4才くらいの男の子が僕の玉子を欲しがり母親が僕に尋ねた。
「これ、どういうものですか?」
「普通の玉子です」
「あのスーパーで売っている玉子ですか?」
「そうです。スーパーで買いました」
 僕がそう答えると母親は息子に小さく耳打ちした。
「おうちにあるから…買わないわよ…ね、もう行こう」
 僕に聞こえない様に言ったつもりのようだがしっかりと聞こえてしまっていた。その上、子供が「ほんとぉ?おうちにあるのぉ?」と大きな声で聞き返したので母親は子供の手をひき、気まずそうに去って行った。

 買ったばかりの洋服の入った袋を両手にどっさり抱えた北海道から来たという高校生の男の子2人組は、僕と少し言葉を交わした後、僕の店の前に立ったままケイタイで地元の友人に電話をかけた。
「今な、原宿にいるんだけど、…うん、そう、服はもう買った。それが、ここで玉子売っている人がいるんだよ。…だから、玉子だよ、玉子。なんか色々あって、おもしろいぜ、東京は」

 外国人の男女4人連れのうちの1人の男性が僕の玉子を指して尋ねた。
「○×☆〜×★×♪◯〜×☆スペシャルエッグ?」
 最後の「スペシャルエッグ?」だけは聞き取れたので僕は答えた。
「ノー、ノー、ノーマル、ノーマルエッグ」
 4人は顔を見合わせると手を叩いて笑い合い、楽しそうに歩いて行った。

 なぜここで玉子を売るのか、と僕に尋ねたある男性に僕は答えた。
「一発当てようと思ったんです。ここではまだ誰も玉子を売っていないから」

 以前から知り合いだった出版社の女性2人が、たまたま通りかかって言った。
「これは、コンセプトを売っているのですね」

 同人誌を作っているという男性は写真を1枚撮ってから僕にいくつか質問した。
「何をしている時が1番楽しいですか?」
「女の子のことを考えている時です」
「玉子のことじゃないんですか?」
「同じ様なもんです」
「どこが同じなんですか?」
「白くて・・丸い」

 3才くらいの外国人の男の子が玉子をねだると、母親は100円の方を買って与えた。
 僕はカタコトの英語で注意深く、ごく普通の玉子であるということを伝えたが、母親は「もちろん、わかってるわよ」といった表情でオーケー、オーケーと言い、僕が子供に玉子を手渡すとサンキューと言ってうれしそうに僕に握手を求めた。

「チョコエッグですか?」
 と尋ねてきた高校生のカップルに、普通の玉子であることを告げると2人は大笑いして、60円のほうを2つ買うと言った。僕はそれを2つ合わせて100円にまけてあげた。

 近くに住んでいるという中年のおじさんは僕の隣に腰掛けて忠告してくれた。
「そこの道入った所にスーパーがあんだよ。そこで玉子も売っているからさぁ…。あんたの玉子1個買う値段で1パック買えるよ。だから売れないよ、ここじゃあ」
「ありがとうございます。でも、売るしかないんです。…売れなくても」
「普通の玉子だろ?…どうかしてるよ…わかんねぇ」
 といって首をかしげると彼はどこかへ行ってしまった。

 家族連れが現れ、お父さんが言った。
「ずっとむこうでなんか変なもの持ってるカップルがいて何のおもちゃかと思ったけどこれかあ。流行ってるのかと思ったよ。」
「流行るといいんですけど。…よかったらいかがですか?」
 僕は言った。

 また、ある人は言った。
「欲しいんだけど、この後買い物があるからさあ、邪魔になるよね」
「ゴールデンウィークに紙コップに入れた生玉子を持って表参道を歩くという経験は…出来そうでなかなか出来ません。これを逃したらチャンスはもうないと思います」
 僕は言った。

 そうこうしている間にまた泉麻人さんが現れた。今度は4人連れだ。
 僕は他の3人とも何か話をした。内容はそれまでに多くの人たちと話したことと、だいたい同じである。連れの、編集者だと言う男性は「ここの露店で君の店が一番おもしろいよ」と言った。
 夕方、日が落ちかけた頃に僕は店を閉めた。
 結局その日は数個の玉子が売れたが、その売り上げは僕の片道の電車賃にも満たなかった。

 それから1か月ほどして、僕の大学の先輩がこんなメールをくれた。
「君が玉子を売っていたという話を聞いたんだけど先日僕が読んだ『SIGHT』という雑誌に君らしき人が載っていたのでお知らせするよ。もう知ってた?」

 それを知った僕はさっそく本屋に行き、その雑誌を探した。
 その記事は泉麻人さんのコラムで、その中には玉子売りについての記述があった。しかも玉子売りをネタにした四コマ漫画まで載っていた。そのページを読む限り、どうやら2回目に泉さんが来た時に一緒にいた女性は松苗あけみさんという漫画家だったようだ。コラムには、この日の泉さんの目的が、表参道で詩を書いて売っている「詩人」を取材することだった、ということが書かれていた。次にそのコラムと四コマ漫画を紹介して、ミーハ−記念日その5「コラムの人」を閉めたいと思う。

——中略——

何軒かの露店の中で最も様子がおかしかったのが「タマゴ売りの男」である。
メガネをかけた朴訥としたその青年は、ちょうど僕らが通りがかったとき、地べたに布を広げ、十個のタマゴを何か配列でも考える様に陳列した。僕は初め、手品でも始めるのか…と推理していたのだが、1つ2つタマゴの位置を入れ替えた後、右側の5個のほうに「60円」、左側の5個のほうに「100円」と値札を置いた。よく見ると彼は片手で紙ネンドをくねくねと丸めたりしている。
なるほど、このタマゴは紙ネンドで作った工芸品なのだ…と解釈して、尋ねると、
「や、フツーの生タマゴっす」
人を食ったような声で答える。
「あぁ、家で作っている放し飼いタマゴみたいな」
「や、さっきスーパーで買ってきました」
それで1個60円、100円ってのはナンなんだ、しかも、見た目同じタマゴで40円の差の根拠は何か?
「なんとなく、っていいますか⋯⋯」
あっけらかん、と答える。
「どこから来てるの?」
「練馬、っす」
連休中、何度かここで店を広げて、先日は外国人の観光客に2個売れた、とうれしそうに語った。〈安全です〉と文句が添えられているが、大丈夫だろうか…
ところで目的の詩人は一向に出てこない。ダメだったら、あのタマゴ売りの総力取材でもしてまとめようか…などと考えながら、表参道を往ったり来たりしながら時間をつぶす。

——中略——

帰りがけ、人集りが生じた高野詩人の陣地の並びに、まだ先の”タマゴ売りの青年”がいた。よく見るとタマゴが1つなくなっている。「1個売れたんすよ」と、うれしそうに答えた。
詩こそ書かないけれど、彼も道端にタマゴを並べることによって、外の社会との何らかのコミュニケーションをとりたい、というのが本心なのだろう。
そして、通りを何度も往ったり来たりして、ふと気づいたことは、おそらく顔見知りになっているはずの各露店の人たちが、お互い極めて無干渉な雰囲気なのだ。お祭りのオヤジの露店に見られるような、商い人同士が馴れ合った会話を交わす気配はなく、「へい、いらっしゃい!」などの口上もなく、各人が静かに、お店屋さんごっこを愉しんでいる。
お隣が「タマゴ」を売ろうと「詩」を紡ごうと、カンケーない。一見、にぎわった光景のなかに、目に見えない殻に覆われた露店が並んでいる。悩みを打ち明けて、僕らの世代には少々気恥ずかしいタッチの詩を紡いでいただく————というやりとりも、そんな殻の中でのプライベートなアトラクション、として成立しているような気がした。
      『SIGHT vol.4 SUMMER 2000 コラム&コミック「オヤジの穴」より抜粋』


追記
 実は店を出した初めの数時間の間、「高値下取りします」という札を出しておいたのですが道行く人があまりにも反応しすぎるのでひっこめたのでした。

※このテキストは2000年頃に執筆し、2005年頃に某出版社から発行される予定だったものです。15章ほど書いた後で出版が中止になりお蔵入りしていましたが久しぶりにnoteにて公開させていただきます。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?