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ミーハー記念日第12回 制服の人〜森下くるみさん〜

※こちらの文章はまだ挿絵がない状態の不完全のものです。

「制服の人」 
 
詩の朗読。
 この、とてもネガティブな響きを持つ行為を僕がはじめるに至ったのは、デザインコンビとして一緒に仕事をしている目黒雅也の提案によるものだった。
 大学卒業後2年ほどして事務所を練馬から西荻窪に移した頃も、僕はいつものごとく仕事に、そして自分自身に、あいも変わらず行き詰まっていた。
 仕事の営業に行ってもほとんど仕事を取ることができず、また、仕事が来たら来たで、実際にデザインの主な案を考えるのは相方の目黒だった。
 そういうわけでこの時期、僕たちのデザイン事務所に、僕の存在意義はあるのか、ないならないでどうすべきなのか、ということを今さらながら模索していた。
 僕と一緒に仕事をはじめてしまった目黒にとってもこれは重要な問題であり、できるだけ僕にできそうな仕事を考えてはくれるのだが、どんな仕事もなかなかうまくこなすことのできない僕に、彼もまたいろいろと苦心していた。
 そんなある日、彼が西荻窪の駅前にある「奇聞屋」というライブハウスで行われている自由参加の朗読会のチラシを見つけて僕に言ったのだった。
「営業もうまくいかない、デザインもうまくできないならこの際、詩の朗読でもやってみたら? 何かのきっかけになるかもしれないし」
 これを聞いて当時の僕は「詩の朗読って!」と思った。いったいそれが何になるんだ! と思ったのだった。
 詩の朗読会…この、どう受け取ってもうしろ向きな集まりに、何が見い出せると言うのか? 僕にはわからなかった。しかしこの時点で自分がすべきことについて何もアイデアを持ち合わせていなかった僕には、詩の朗読を否定することはできなかった。とりあえず、それをやってみるしか前に進む道はないと思った。

 そういう経緯で参加し始めた朗読会だった。
 そして、何度目かにこのイベントに参加したときに僕は、自分の母親に関する自作の詩数遍を朗読した。この「母親に関する詩」は思いのほか観客に好評で、お客さんの中にはこれを別の場所で読んでみたいから貸して欲しい、と声を掛けてきた人もいた。
 また、別の場所で開催されている朗読会に僕を誘ってくれる男性もいた。それで僕は後日、高円寺の居酒屋で行われている朗読会に参加することになった。しかし、僕がここでわざわざ高円寺まで足を延ばすことにしたのは積極的に朗読をしたかったからではない。僕に声をかけてくれた男性が風俗店の店長だったからだ。うまく彼と親しくなれば「格安料金」も夢ではないと思ったのだった。

 数日後、誘ってもらった高円寺の朗読会に参加してみたが、この日ここに先日の店長さんの姿はなかった。そして、知り合いもなくひとりで参加した僕は、彼が誘ってくれたこの朗読会は、僕には向いていないということに気がついた。
 このあとにも僕は別の場所で開かれている朗読イベントなどに誘われて、色々と覗いてみたりもしたが、その度に自分の身近に奇聞屋があったことを幸運に思ったものだ。 奇聞屋では、奇抜な言葉を使わなくても観客は作品に真剣に耳を傾けてくれた。また、詩や朗読の玄人のような人たちもこの店にはあまり来ることがなかったので、僕が読む自作の文章について専門的なうんちくや意見、感想などを聞かされるということはなかった。だから僕はこの地下1階の小さな会場でいつものびのびと朗読をすることができた。僕が朗読を嫌いにならずに続けることができたのは、この奇聞屋と、そしてこの店にいた観客兼参加者のみなさんによるところがとても大きい。
 とはいえ、風俗店の店長さんに教えてもらった、高円寺にある朗読イベント会場の居酒屋を僕は気に入り、その後、通常の営業日に酒を飲みに行くようになった。この店は「古本酒場・コクテイル書房」という名前の店で、飲み屋であると同時に古本屋でもあった。店内にはかなり古い書物や、駄菓子屋で売られているような懐かしいおもちゃなどが陳列され、店は外から見ても昭和初期のような佇まいである。
 そして、通常の居酒屋としての営業日に初めてこの店を訪れたとき、僕は少なからず驚いた。およそこういった気軽な店に来ることがなさそうな、かなりばっちりと化粧をした若い女の子が、店外のカウンターでお酒を飲んでいたからだ。彼女は見たことのある有名ブランドのバッグを脇に置いていた。
 一瞬どこかで見た人のような気もしたが、深くは考えなかった。しかし彼女と2人でお酒をのんでいる年輩の女性がこれまた不思議な雰囲気の人で、その風貌はまるで、当る、と評判の占い師のようだった。この2人の異色の組み合わせは、いかにも中央線という雰囲気だった。
 僕はこの日、外でお酒を飲んでいるこの2人の女性を気に掛けながらも、店の中のカウンターについた。先日の朗読会では居酒屋としての営業をしていなかったので、このときはじめてこの店の店主である狩野さんと話をした。
 その狩野さんがおもむろに「演劇好きですか?」と僕に訪ねた。僕は、あまり演劇は観に行かないが、興味はある、と答えた。
「いや、実はね、今外にいる2人がこのチラシを店に置いてくれと言って持って来たんだけど、本田君、彼女たちのこと知ってる?」

 狩野さんの手から受け取ったちらしを見るとそこにはセーラー服姿の女の子が座り込んでいた。そして、僕が彼女を知らないはずはなかった。それまで、何度も、何度も、何度もグラビアで目にしてきた女の子だった。クレジットに目をやるとそこには間違いなく彼女の名前が記載されていた。…森下くるみ。
「まじっすか? まじっすか? どこかでみたことある気がしたんですよ! まじっすか? まじっすか?」
「えー、知ってるんだ。サイン? いいんじゃない? 聞いてごらんよ」
 店主の許可を得て、僕は店の外に座っている彼女に話しかけた。しかし急のことなので当然色紙は持っておらず、またノートは持っていたが、ちょっと思うところがあったので、このとき読みかけていた文庫本とボールペンを持って彼女に近付いた。
 僕が声をかけると彼女も、一緒にいた女性も気軽に話をしてくれた。僕はこの日の数カ月前に購入した彼女の写真集についてコメントした。
「三和出版のKARAMIシリーズ、くるみさんの号買いましたよ。あれ撮影は新宿の花園神社とかですよね。今までで一番良かったです」
 僕がそうコメントすると彼女は僕にお礼を言った後で「業界の方ですか?」と訪ねた。僕は違います、と答え、サインを求めた。彼女は気軽に応じてくれるかに見えたが、僕がペンと文庫本を差し出すと、少し躊躇した。
「え、なんで太宰なんですか、だめですよ、だめです。」
 僕がサインをして貰おうとして差し出した太宰治の文庫本を見ると、彼女はそんなことを言い、続けてこれにサインすることは太宰に対して失礼な気がする、という感じのことを言った。そして、それは真っ当な意見であった。だから僕は彼女のそんな反応にとても好感を持った。
 しかし、僕は文庫本を引っ込めることはしなかった。確かに森下くるみさんのサインを太宰治の本に求めることは太宰に対しても、そして彼女に対しても失礼にあたる。でも僕はこれも何かの縁だと思った。僕がこの店の中でさっき店主から見せてもらったチラシの中の彼女はセーラー服を着ていて、このとき僕が持っていた太宰治の文庫本のタイトルは「女生徒」だったからだ。これ以上の組み合わせは他にない、と思ったのである。くるみさんが書くから意味があるんです、と僕は言った。
 僕と彼女が話しているのを聞いていた隣の女性も、僕の味方をしてサインをするようにと促してくれた。その女性は今回の演劇の主役であり、演出家でもある糠信淑実さんという女性だった。
 後に聞いた話だが糠信さんは生前の寺山修司さんと親しくしていた方で、この当時は阿佐ヶ谷の一番街で「阿呆船」(あほうぶね)というカウンターだけの小さな飲み屋をやっていた。この「阿呆船」という店の名前も寺山修司さんによるものらしい。
 僕はこれからしばらくして「阿呆船」に何度か酒を飲みに行ったことがあるのだが、カウンターだけの、ウナギの寝床ようなその店で、糠信さんが僕に言った言葉がとても印象深く残っている。彼女は僕の顔をまじまじと見てこう言ったのだった。
「あなたって、変わってるわねえ…」
その日の僕はいつも通りの普通の服装で、特に酔いすぎて変なことを言ったわけでもなかったので驚いて、こう返した。
「えー!? 僕は普通ですよ。誰から見ても普通だと思います。」「そうなのよ。普通なのよ。あなたみたいに平凡な人は、私最近見たことないわ。なかなかあなたみたいに平凡でいられるものじゃないわよ」
 急にこんなことを言われて、僕は照れた。褒められたような気がしてとても嬉しかった。


 糠信さんの後押しもあって、くるみさんは僕の文庫本にサインをしてくれた。くるみさんがサインをしている間、糠信さんはトイレに行き、僕はくるくると二人きりで話をした。
「なんでまた太宰治なんですか?」
 くるくるが僕に訪ねた。
「最近読んでいて、今日はたまたま鞄に入っていたんです。舞台のちらしで制服を着ているようだったのでぴったりだと思いました。くるみさんはどんな本を読むのですか?」
「私は大槻ケンヂさんの本が好きで良く読みます」
 それから彼女はつい先日仕事ではじめて大槻さんに会い、うれしかった、という話をしてくれた。

 そうこうしている間に、トイレから帰ってきた糠信さんがくるくるに言った。
「あなたのファンなんだからこの人にもチケットを買ってもらったら?」
 それに対して、くるくるは突然僕にチケットを売ることにためらいがあったようだが、僕は「ぜひ」と言ってチケットを買うことにした。それで受け取ったチケットとちらしを見ると、そこには「寺山修司追悼公演」という文字が記載されていた。僕がそれについて訪ねると、この糠信さんたちの演劇公演自体が寺山修司ゆかりの人たちによって企画されたイベントの一環である、と糠信さんは教えてくれた。別の企画として寺山監督作品の映画上映や「田園に死す」に出演していたフォークシンガーである三上寛さん(本書00ページ参照)のライブも同じ会場で行われるとのことだった。

 くるくると、糠信さん。この二人にお会いしたのはある年の、6月の終わりのことである。


 夏の始めの、それもかなり暑い時期に、高校・大学をとっくに卒業して社会人になったはずの息子から「冬の学生服を送ってくれ」と電話で言われたときの、実家にいる母親の不安な気持ちは僕にも少なからず想像することができる。それでも僕は心を鬼にして母に言ったのだった。
「急な話だけど学生服を送ってくれないかな」
 何に使うか言わなければ送ることはできない、と母は僕に言った。さらに、もう学生ではないし、子供ではないんだからバカなことはやめて欲しい、とも言った。
 懐かしくて、恋しくなってしまったのでちょっと着てみるだけだ、と言ってみたが、そんな曖昧な説明は母を一層不安にさせるだけだったようだ。僕は今送らなければ一生後悔することになる、と母を脅しさえした。しかし、それでも母は学生服を送ってくれなかった。そこでしかたなく僕は今度は妹にアクセスした。絶対に迷惑をかけるようなことはしないし、危険なことも一切ないので母を説得してくれ、と僕は彼女に電話で頼み込んだ。
 それから数日ほどして僕の元に高校卒業後、一度も袖を通していないぴかぴかの学生服が到着した。持つべきものは妹である。
 大学時代に一度母が電話で、知り合いの男の子が高校生になるのでこの制服をあげてもいいか、と訪ねたことがあった。しかし僕はその時、この、もう2度と着るはずのない制服を、実家で大切に保存しておいてくれるようにと頼んだのだった。
 その学生服がついに日の目を見る機会が訪れた。山梨の冴えない男子高校生の制服が東京で活躍の場を用意されたのである。7月のある日、僕は実家から届いた防虫剤のにおいのするその漆黒の衣装に「またせたね」と声をかけ、数年ぶりの再会を祝した。


 糠信さんとくるくるの舞台にはもうひとり女性の出演者がいた。この女性は今回が初めての舞台出演で、それまでは全くの素人であるとのことだった。しかし、彼女は舞台の上で非常に堂々としていたので初めてと聞いて僕はとても驚いた。
 この舞台は3日間の連続公演で、僕が行ったのはその最終日であった。
 僕はその最終公演のあとで舞台から出演者が去り、ある程度観客がはけたところで舞台のそでへと寄って行った。
 高円寺で会った時、花束を持って行きたい、と言った僕に糠信さんは公演のあとで楽屋へ通して下さるとおっしゃったからだ。終演後、舞台のはじっこにいた糠信さんに声をかけると彼女は僕を見て驚いた顔をした。
 僕が学ラン姿だったからだ。しかし、彼女が好きだと言っていたユリの花を渡すととても喜んでくれた。それから彼女は僕に尋ねた。
「ねえ、あなたなんで学生服着てるの?」
 僕は寺山修司さんの「田園に死す」が好きで、その主人公が学生服を着ているのにちなんで、つまり、追悼の意味を込めて着てきたのです、と答えた。
 「田園に死す」が好きと言うのはウソではない。しかし本当のことを言えば僕がこの日、夏の暑い日にわざわざ真っ黒の学生服を着て舞台を観に言ったのは、本当のことを言えばセーラー服姿の森下くるみさんと一緒に写真に写るためだった。そして僕は糠信さんにユリの花を手渡したこの時点で、目標まであと数センチというところまで、にじり寄っていた。
 僕はくるくるのために用意したひまわりの花束を糠信さんに見せ、これを彼女に渡したいのですが、と言った。そして! 糠信さんは舞台の袖で片づけをしているくるくるを僕のほうへ呼んでくれたのだった。
 暗い舞台の袖の方からセーラー服姿の彼女が現れた時、僕はポケットのなかの「写るんです」のゼンマイをじーこ、じーこと巻き上げていた。
「くるみちゃん、彼、寺山さんの田園に死すにちなんで学生服で観に来てくれたんだって」
 糠信さんがくるくるに言った。
「げ。わけわかんねぇ…」
 これがくるくるのこの日の僕に対する第一声だった。
 それから僕はひまわりの花束を彼女に渡し、一緒に写真を撮って下さい、と言った。すると彼女はそれに快く応じてくれようとしたが、ここで僕のいらぬ性格が表に顔を出した。
「あ、でも今はかたづけでお忙しいでしょうから、あとで外に出た時でオッケーです」
「え?今大丈夫ですよ? …いいんですか? まあそれなら後で…」
くるくるは言った。
 僕は楽しいことはとっておいて後で楽しむタイプである。しかもその楽しみが目の前まで迫っているとなればなおさら僕はそれをぎりぎりで我慢しようとする。しかし、それによって大切な機会を失うこともある。この日の写真撮影がまさにそれであった。
 この日は最終公演で、会場が小さかったこともあり、入場の際に「打ち上げに参加しますか?」というアンケートが配られ、観客は出演者と共に打ち上げ会場でお酒を飲めることになっていた。それが頭にあった僕は、これなら撮影はあとでも十分だと思い、先ほどのようなことを言ったのだった。

 会場の入り口で、出演者が片づけを終えるのを待っていた僕の周りには、くるくるのファンの男性が何人もいた。会話を聞いていると仕事を休んで来た男性や、はるばる地方から夜行バスで来て、このあと再び夜行バスで帰って行くという男性もいた。僕は彼らの話を聞きながら「あんたたち! それはやりすぎじゃないの?!」と思った。
 他にこの日くるくるの同業者である女優の桜井風花さんや、笠木忍さんも観客として来場していて、入り口付近で出演者が外へ出てくるのを僕たちと一緒に待っていた。僕は桜井風花さんの写真集も持っていたし、笠木忍さんがスクール水着を着て出演しているビデオを資料として利用したことがあったので、目の前にあの2名が同時に存在することがとてもうれしかった。
 しかしそんなふうに喜んでいたのもつかの間、入り口から外に出てきたくるくるの姿を見て僕は愕然とした。しまった、と思った。
 制服を、着ていない…。そこに現れたくるくるはセーラー服を着ていなかったのである。今考えれば制服は衣装なので当然のことだが、このときの僕はそんなことまで頭が廻らず、もう僕とくるくるの制服ツーショットが手に入るのは当然のつもりでいた。そこで気を抜いたのがこの結果である。
 実はこの日、すべての人数が入ることのできる打ち上げ会場が押さえられなかったために結局ファンは打ち上げに参加することなく関係者だけが飲みに行くことになった。だから多くのファン(休業者、夜行バス来場者等)は大きく肩を落としていたのだが、僕は独りで全く別の落胆を味わっていた。
 滝のような汗を我慢し、制汗スプレーでにおいを消しつつ、真夏に冬の学生服で挑んだくるくるとの制服ツーショット写真は永久に撮影されないまま、短い夏の思い出として僕の心の印画紙にだけ、強く、強く焼きつけられたのだった。
 最終的にくるくるは僕も含めて、希望するすべてのファンと一緒に写真を撮ってくれたが、まだ夏真っ盛りのこの日、写真に写った僕の表情にすでに秋のもの悲しさが垣間見えるのにはこのような明確な理由があるのだった。(写真あり)
(了)

※このテキストは2000年頃に執筆し、2005年頃に某出版社から発行される予定だったものです。15章ほど書いた後で出版が中止になりお蔵入りしていましたが久しぶりにnoteにて公開させていただきます。

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