ミーハー記念日第9回 写真を撮る人〜hiromixさん〜

※こちらの文章はまだ挿絵がない状態の不完全のものです。

「写真を撮る人 その1/結婚したい人」 

 突然だが、俺は結婚願望がめちゃすごいぜ。
 と、こうして一人称が変わってしまうほど僕は結婚願望が強いのである。

 結婚を意識してどれくらいになるだろうか。西暦2000年、大学の卒業式のその日、僕は初めて結婚したい、と思った。結婚したい! と心から思ったのはこの日が初めてだった。しかし、この時点でつきあっている相手がいたわけではない。この大学の卒業式の夜にある女の子と出逢って、初めて現実的な結婚願望に目覚めたのだった。


 僕は日本大学の芸術学部デザイン学科というところを卒業したのだが、卒業の一年程前から大学のクラスメイトである目黒雅也と、当時同じ学校の写真学科に在籍していた大友洋祐と三人でデザイン事務所を興し、マンションを借りて共同生活をしていた。
 卒業後デザイン事務所として活動していくための地盤作りに、僕たちは大学4年生の1年間を費やした。
 大学に通いながら、知人の紹介で居酒屋のマッチ箱や中華料理店のメニュー等をデザインした。
 他の二人は学生時代、アルバイトで収入を得ていたが、僕は仕送りで暮らしていた。しかし、大学を卒業したあとには僕の実家からの仕送りも止まることが決まっていたのでそれまでに自分たちの仕事のあてを見つけなければならなかった。
 卒業式当日は、いよいよ本当に自分たちの力で仕事をしていくために大学生活という執行猶予期間を終える最後の日だった。

 日本大学の卒業式は「日本武道館」で行われた。そしてその夜に僕たちのクラスは青山のレストランバーで謝恩会を行い、恩師たちと学生時代最後の飲み会を楽しんだ。レストランでは教授や講師の先生方が店の奥に座り、学生はその他の席についた。僕はぼーっとしているうちに先生たちのまっただ中の席になってしまった。少し、気が重かった。僕の大学での成績はあまり褒められるものではなかったからである。
 最後の日に先生たちの前に座っていても自分の学生としての成績を思うとどうも居心地が悪かった。しかし、僕の隣では講師の安西水丸先生が僕よりずっと居心地の悪い顔をして座っていたので僕は救われた気がした。安西先生はシャイな人なのでこういった席が苦手なのだと思う。
 謝恩会の会場では写真を撮ったり、ビンゴ大会をしたりと大にぎわいだったが、僕はそのにぎわいに入っていかなくても安西先生のほうにちょっと耳をすましてみるだけで、とてもその場を楽しむことができた。雑踏の中で耳をすますと、聞こえるのである。
「ちっ」
 始め僕はこれが何を意味しているのかよくわからなかった。
「ちっ」「ちっ、なんだよ」「ちっ、ち」
 良く聞いてみると安西先生の発するその音は舌打ちだった。焼いたチキンが堅くて食べにくいことに対して舌打ちし、どこかの席で乾杯をする騒がしい声を聞いて、舌打ちした。それは多くの場合照れ隠しだとは思うが、それでもパスタの茹で具合がお気に召したときには「本田、これはうまいよね」などとおっしゃったのですべてが照れ隠しの舌打ちというわけでもないらしい。
 ビンゴゲームで安西先生のカードがビンゴになったときも先生は舌打ちした。、先生の他に、もう一人同時に学生がビンゴしたのでジャンケンになったのだが、これにも先生は舌打ちして
「こういうの決まって当っちゃうんだよ。いらないよ、本田行ってこいよ」
とおっしゃるので、僕が代打でジャンケンをしたのだが、相手にまんまと負けてしまった。申し訳なく思って席に戻り先生に謝ると、やはりここでも先生は言った。
「ち。なんだよ、負けたのかよ」
「くやしがるくらいなら初めから自分で行ってくださいよ」
と思ったが口には出せなかった。

 そんな謝恩会がお開きになり、多くの学生が2次会の段取りをすすめる中で目黒と安西先生は別口で酒を飲むことになり、目黒は僕にも声をかけてくれた。
 安西先生は翌日の出張があり、その支度のために、一度僕たちと別れた。あとで原宿駅の前で待ち合わせて、駅の近くで飲むことになったので僕と目黒は時間を潰すために夜の青山近辺を卒業式のままのスーツ姿で歩き回った。
 そして、その散歩のとき、僕はついに彼女と出逢ったのである。
 僕と目黒は散歩の途中で表参道のまん中あたりにあるローソンに立ち寄った。目黒はそこで飲み物かなにかを買い、僕は日頃から良く買って食べているクランキーチョコレートを買おうかどうか迷っていた。しかし僕はこの日めずらしくクランキーを思いとどまり、店を出たのだった。このときに、僕たちとすれ違いで店に入った女の子の2人連れがいた。
 すれ違った瞬間には僕はそれが誰だかわからなかったのだが、一瞬の間を置いて僕は彼女が誰であるかに気がつき、目黒に尋ねた。
「ねえ、あれヒロミックスじゃない?」
「うん。おれもそう思うんだよね」
 僕たちはその時、コンビニですれ違った2人の女の子の1人をフォトグラファーのヒロミックスだと認識した。
 90年代に写真のコンテストでアラーキーに見い出されて、写真家としてデビューし、高校卒業と同時に目覚ましい活躍をしていたヒロミックスについては、美術大学に通っていながらもアートやファッションに疎い僕や目黒も、さすがに知っていた。
 その女の子について目黒に確認をとったあとで、すぐに僕は再びコンビニに戻り、クランキーを手にした。どんなことでも自分の運命に感じてしまう僕は、先程なぜかクランキーを購入しなかったのはこのためだと解釈した。
「迷った末にクランキーを買わず、店を出たところでやっぱり食べたくなって、戻ったところで彼女と出逢う」と言うのが神様の描いた運命のシナリオである(と僕は勝手に解釈した)。チョコレートによる出逢い。なかなか素敵な感じである。
 店内で商品の棚ごしに確認するとやはりそれはあのヒロミックスだった。
 しかし、僕はあまり長いこと彼女を見つめてしまって変に意識してしまうのも嫌だったので、運を天に任せてクランキーをレジへと持っていった。このあと彼女達が数分店に留まるなら僕には出逢いの機会はない。しかしだからといって、店の前で出てくるのを待つのでは、どうも運命の出会いという感じが薄まってしまう。
 ところが、神は僕を見捨てなかった。僕のすぐ後につづいて女の子2人もレジを済ませた。タイミングはぴったりだった。店を出た僕が外で待っていた目黒に「やっぱりそうだったよ」と告げているところに2人が出てきた気配がしたので、僕は振り返って声をかけてみた。僕はこのときの自分の第一声がちょっと気に入っている。
「こんばんは。あの…ヒロミックスさんじゃ、ないですよね?」
 この奥ゆかしさ、今思い出しても自分でうっとりしてしまう。
 普通なら「ですよね?」と訪ねるところをこの時は「じゃないですよね?」と尋ねたのである。英語で言うところのisn’t it?である。なかなかシャイな感じでいいと思いませんか? 思いませんね。はい。どうも。
「いいえ、ヒロミックスです」
 彼女は笑顔で言った。
 それを聞いた僕は、彼女が誰なのかわかっていたにも関わらず驚いたが、続いて自分が言った言葉にも驚いた。
「チョコ食べます?」
 僕は店から出て封を切ったばかりのクランキーを彼女たちの前に差し出した。
あー、ばかばか、僕のばか!初めて会っていきなりチョコなんかあげたらまるで変態みたいじゃないか! チョコには媚薬効果もあるっていうし…。
 しかし、僕の心配をよそに彼女たちは笑顔のまま僕が手に持っている板チョコのひとかけらを折り取って、その場で食べた。
 目黒は、僕たちが卒業式の後であるということなど、ちょっと世間話をした。それで少し話をして彼女たちと別れた。
 それから僕たちは安西先生と原宿の駅付近で再会し、近くの飲み屋に入った。そしてさらにそのあと新宿で飲んでいたクラスメイトと合流し、朝まで酒を飲んだのだった。
 新宿の飲み屋では僕は眠くなってしまい、ベンチのようになっている座席で横になってうたた寝をした。このとき僕の頭の中でリピートされていたのは
♪きっと〜、これが最後の恋にな〜る♪
 というフレーズだった。高校を卒業する頃に良く聞いていた東京スカパラダイスオーケストラの「ウォーターメロン」という曲の一節である。
 そう、この時僕はすでに「ヒロミさんと結婚したい!」と思っていたのだ。初めて話した時のあの感じ。初めてなのに初めてではないようなあの感じ。僕はあの感じが気になって仕方がないのであった。


 吉川光司、小堺一機、篠原ともえ、ヒロミックス、そして僕、本田まさゆき。
この5人で「ス・シスターズ」というアイドルグループを結成する。
活動のメインはライブではなくレコーディングで、曲は歌謡曲調、歌詞については寿司に関係したもののみを歌う。ほとんどがグループ内で作詞作曲されたものだが、やはりシブがき隊の「スシ食いねえ」のカバーは外せないところなのでデビューシングルのカップリングにはこの曲を収めることでグループの認知度アップをはかる。ポップなデビュー曲「SHOW YOU」の話題性や、名の売れた実力派のメンバーのおかげで話題を集め、デビュー後はなかなかの評判を得る。しかし、デビュー半年にして致命的な問題が発生する。多くのリスナーから
「ス・シスターズなのにヒロミックスの実家は寿司屋じゃないじゃないか!」
という意見が事務所及び所属レコード会社に殺到。グループは解散の危機へと追い込まれるのだった。そんな騒動の中、事務所もメンバーもしばらくは沈黙を続けるが、周囲の不満が最高潮に達したところで、ある日突然にメンバー全員による記者会見を開く。このときの会見内容は次のようなものである。
「今回、メンバーのひとりであるヒロミックスの実家が寿司屋でないことについて多くの皆様に多くの御心配と御迷惑をおかけしました。今回の騒動により、あちらこちらでメンバーの脱退、解散など諸説が飛び交っておりますがス・シスターズについて、今後そういった予定は一切ありません。ただし、メンバーの1人であるヒロミックスの実家が寿司店ではないことに対する皆様からの意見に対して、わたくしたちなりの誠意ある答えを示すべきだと、メンバー一同今日まで真剣に考えてまいりました。そして今回この問題を解決する方法としてわたくしたちは、脱退でも解散でもなく、グループのメンバーであるヒロミックスと本田まさゆきの入籍をもってこの問題に終止符を打ちたいと考え、すでに入籍の手続きを済ませております。この対応に対する異論反論も多々あるかと思われますが、メンバー全員で出した答えですのでぜひこれからもス・シスターズを暖かい目で見守ってください」
 ヒロミックスと本田まさゆきの結婚という形で締めくくられたこの騒動は当初、結婚のありかたに対して大きな物議を醸すかと思われたが、思いのほか異論反論は少なく、社会的にもグループのこの対応を支持する声が多くあがった。
 そしてこの頃からグループの奏でる音楽の方向性も大きな転換期を迎え、それまでの歌謡曲的なスタイルから、よりアーティスティックな楽曲へと変化していった。こうしてス・シスターズは、解散の危機とグループ内での結婚を機にその円熟機を迎えたのだった。

 しかし、そのわずか1年後、問題は起きた。多くのリスナーから「ス・シスターズなのに3人も男がいるじゃないか!」という意見が寄せられたのだった。そしてこの意義申し立てについてはメンバー、所属事務所ともに前回以上に思案を重ねたが突破口を見つけることができずにス・シスターズはあえなく解散の道を辿ったのだった。
 わずか1年半という短い活動期間にス・シスターズが残したものは7枚のシングルと4枚のアルバム、そしてヒロミックスと本田の結婚によるささやかだが暖かい家庭だった。


 以上が、ヒロミックスさんと出逢ってから1年あまりの間、僕が彼女と結婚するためのもっとも現実的な方法として妄想し続けたシナリオである。
 これを読んだ人の多くは、きっとこれを現実とはかけ離れたただの妄想だと思うかもしれない。しかし、道でただ1度だけ逢った女の子と結婚するということ自体が非常に困難なことなのである。だから、もしそれが実現するならこのくらいの大きな出来事は僕と彼女との結婚に不可欠なのではないだろうか。


 以前、雑誌かなにかで、向井千秋さんの夫である向井万起男さんの文章にとても共感したことがある。彼は「奥さんが宇宙飛行士でいつもNASAにいるのが平気ですか?」という質問に対して「僕は待つのが好きなんです」ということを言っていた。素敵な返答だなあと思った。
 しかし、実は僕も待つことは好きなので、世界中を飛び回って(いると僕は思っている)フォトグラファーと結ばれた暁には、僕もまたいつも彼女を待つ男になるわけで、やはりそれ自体を楽しめなければダメだと思う。
 僕はその辺りに関してなら、珍しく少々自信がある。たぶん僕は彼女の帰りを楽しみながら待つことができる。僕は女の子を待つのは大の大好物なのである。

 たとえば、僕とヒロミックスさんがつきあいはじめたとする。その後、彼女が仕事でパリに数週間、ロンドンにも数週間滞在し、長い間お互いに会えなかったとする。
 そして、ひさしぶりの帰国のその日、僕は彼女と数カ月ぶりに西麻布のバー(そんな所まだ一度も行ったことないけど)で酒を飲む。彼女の海外での仕事の話を聞き、僕は自分が相変わらずだと答える。
 ひさしぶりの割にはいつもの会話の内容と変わらないのだが、それが僕には妙にうれしい。もちろん彼女もそんな会話に満足である。そういった雰囲気に酔いしれていると店の奥で大人数で飲んでいた若者の1人が彼女の存在に気がつき、こちらへ近付いてきて僕にも聞こえる声で彼女に声をかける。
「あー、ヒロミックスさんだ! オレ最近ファッション誌でモデルやってるんですけど、今モデル仲間と飲んでるんです。多分知ってる奴もいっぱいいるからこっちで一緒にのみましょうよー、そんな冴えない奴と飲んでいないで僕の写真とか撮ってくださいよー」
 その言葉は僕の耳にも入るが僕は何を言うでもない。彼女だってあちらへ行ったほうが本当は楽しいのかも知れない。
 そんなことを思っている僕に視線を向けないまま、彼女はモデルに小さく微笑み、カメラをバッグから取り出して立ち上がる。カメラは普段は持ち歩かないようにしているが、この日はたまたま持っていたようだ。彼女は行ってしまうんだな、と僕は思いながら遠慮がちに彼女の遠ざかって行く背中を見つめて、グラスに口をつける。
 と、その瞬間、彼女は振り返り、僕に向かってフラッシュが瞬く。そして、彼女はそのまま再び僕の横に戻ってきてカクテルのお代りを注文する。
 こんな時、僕は彼女に長い間逢わずにいたことなどすっかり忘れてしまうどころか、逢えない時間があって良かったとさえ思うのである。長い間逢わなくてもなにも変化しない僕たち2人に心から喜びを感じる。
 うう。今この原稿を書いていてもウキウキしてしまう。粋な人だなぁヒロミさんは。

 などと、ヒロミさんについていろいろ想いを馳せながらも、再び逢うこともなく僕は日々を送っていた。心のどこかでまた会えると思いながら、再び彼女に会うことは僕の単調な生活においてとても大きな楽しみになった。これを多くの人は自分勝手な妄想だと言うかもしれない。しかし9ヶ月の月日が過ぎたある日、僕はちゃんとヒロミさんと会ったのである。
 青山のデザイン事務所に短期間だけ仕事を手伝いに行っていたときのことである。昼休みに青山通りにある自然食品専門のスーパーでランチのお弁当を買った僕はその店の入り口付近にある電子レンジで買ったばかりのお弁当を温めていた。そのときにあとからレジを済ませた女性が、僕の方に向かって歩いて来て僕の目の前を右に折れて店を出ていった。その女性は黒い帽子を深くかぶり、また顔を覆うように目のすぐ下まで分厚い黒のマフラーをしていた。

 そのようにほとんど顔を隠した状況でも僕が彼女を見間違うはずはない。彼女のあの切れ長の目を見間違える僕ではない。
 一瞬、ただの知り合いかな、と思ったが彼女が店を出てしまうその直前に僕は彼女が9ヶ月前に僕のチョコレートを食べたあの女性と同一人物であると気がついたのだった。
 そして彼女がスーパーを出るぎりぎりで僕が彼女の方を振り返ったとき、なんと彼女もまた僕の方を振り返り、ほんの一瞬だけ視線が交わったのだった。
 わかりますか?このトキメキが。とても伝わらんでしょう。しかし、いいのである。あの日あの場所でのあのトキメキは誰に伝わらなくとも僕と彼女の(あるいは僕のみの)心に深く残っているのである。

その数日後の晩、僕はなぜか初めて思いついて彼女のHPを見た。
彼女はそこに日記を書いていた。まだ書き初めたばかりで、そんなに数がない彼女の日記を僕はすべて読んだ。そこに書かれていたこんなフレーズが印象的だった。

-------私の恋人になる人はもう日本にはいないのかもしれない----------

 そう、彼女は彼女で恋愛を思い描き、「本当の相手」を探し求めているのだった。
 僕は、「ここにいるよ」と、思った。「ここにいる僕がもしあなたの相手じゃないのならあなたは本当に国外に相手を求めるしかないかもしれませんね」と思った。
 また、日記には「最近めぞん一刻が好きでよく読んでいる」と書かれていた。「お金がない男の人もいいかな、と最近思う」と、そんなことも書かれていた。僕は、その数日後に愛蔵版の「めぞん一刻・全10巻」を揃えて読んだ。とてもハマッてしまい、2カ月の間に全十巻を4回通して読んだ。主人公の五代君はお金がなくて、浪人生で、これといって取り得がない。僕は彼にとても共感を覚え、ヒロミさんが五代君を好きなら僕にもチャンスがあるような気がした。
 僕が三日ほど日記をチェックしたあとで彼女のHPはアクセス不能になっていた。この絶妙なタイミングに、また僕は勝手に運命を感じた。

※このテキストは2000年頃に執筆し、2005年頃に某出版社から発行される予定だったものです。15章ほど書いた後で出版が中止になりお蔵入りしていましたが久しぶりにnoteにて公開させていただきます。


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