鋼の錬金術師

竹内真依

はじめに
皆さんは『鋼の錬金術師』(通称はがれん)を読んだことがあるだろうか? とにかく面白い漫画で、読み始めたら最後、続きが気になって何も手につかなくなった。

あらすじ
舞台は19世紀の産業革命期のヨーロッパ。錬金術が社会に広く浸透している時代だ。そもそも錬金術とは、科学的技術を用いて非金属から貴金属を錬成することを指す。作品で描かれる錬金術は金属だけでなく、様々な物質をより完全な状態に変えることができるものとして描かれている。一見無敵のように聞こえる錬金術だが、幾つかの絶対的な掟があった。質量保存の法則から「等価交換」を根幹とし、何かを得るには同等の代価を払わなければいけないとされている。また人と金の錬成は禁止され、軍への忠誠も約束させられていた。
主人公のエドワードとアルフォンス(エルリック兄弟)は幼い頃父が家を出て行き、女手一つで育てられた。エルリック兄弟は母を慕い、彼女を喜ばせるため必死に錬金術を学んでいた。三人は温かい家庭を築いていたが、最愛の母は過労のため亡くなってしまう。遺された二人は、錬金術を用いて彼女と再会しようと試みる。だが最大の禁忌を犯した彼らの前に現れたそれは人の形をもしていなかった。さらに等価交換の代償としてエドは右腕と左足を、アルフォンスは全身を失った。
生きる目的を無くした二人だったが、焔の錬金術師ロイ・マスタングと出会い、元の体に戻る手がかりとなる賢者の石の存在を教えられ、長い旅に出る覚悟を決めた。

魅力
作品を読み始めてすぐ、錬金術という怪しい響きに惹かれた。作中の錬金術は錬成陣一つで新しい物体を生み出してしまう魔法のような力で、胸が高鳴った。昔から妄想好きな私はそういった類のものが好きだった。なので作品を読みながらネットを覗いて驚いた。現実世界にも少し違った形で錬金術は存在したと書いてあったのだ。どんな物語も完全な「フィクション」と「実話を基にしたフィクション」ではその輝きが違うと思う。時代や場所は違えど、この世界のどこかで確かに存在していたという息遣いのようなものに惹かれる。はがれんは少なからず後者で、その魅力の一つとなっている。
古代ギリシアのアリストテレスは万物の構成元を火、金、水、土と考え、非金属を貴金属に変えようとする錬金術が生まれた。その過程で硫酸、塩酸、硝酸や実験道具も開発され、現代の化学の発展に大きく寄与している。また兄弟の最大の敵として描かれる人造人間の父のモデル、パラケルススは史実に名を残している。彼はルネサンス期に治療の手段としての化学を生み出したスイス人の医師であり、錬金術師であった。周囲にはその功績を認められながらも、陰では魔術師とも揶揄されていたという。作品に出てきたような錬金術もどこかで実在していたのだろうか。そう信じたい。
また登場人物一人一人が深い過去を抱えていて、作品の奥深さを生み出している。例えばエルリック兄弟に生きる道を示したロイ・マスタング大佐が挙げられる。彼は国民を守りたいという思いから国家錬金術師の資格を取得したのだが、上述したとおり有事の際は国家への忠誠のため軍の狗にならなくてはいけない。かつてイシュバールという地で民族紛争が勃発し、錬金術師たちは民族を殲滅することを命じられた。仲間を守るため、人間兵器として多くの罪なき市民の命を奪ったのだ。一方で、彼の錬金術の師の娘であるリザ・ホークアイは彼の背中を追って士官学校に入り、狙撃の腕前を評価され紛争の前線に送られた。結果としてイシュバール民族は殲滅され、マスタングは無意味な戦争と自分たちの罪に絶望し、人々が幸せになれる国を作るため軍のトップを目指すことを決意した。リザは「道を誤ることがあれば撃ち殺してくれ」と背中を任され、彼の右腕となって支えていくことを決めたのだ。彼らの強い絆は作品のなかで随所に描かれ、それに触れるたび心を動かされる。それは仲間への信頼なのか、同じ罪を背負う者同士の絆なのか、深い愛なのか、もしくはその全部なのかは描かれていない。だが私は二人が結ばれることを願っている。
作品では民族紛争による悲しみと憎しみの連鎖は途切れることなく続いていく。その絶望でさえ丁寧に描かれている。作者は現実の紛争と重ねながら作品を生み出したのではないだろうか。緻密に考えられたストーリーと散りばめられた登場人物の熱い想いこそが私がはがれんに魅せられ続ける理由だろう。

先日、鋼の錬金術師の原画展に行った。実写映画化に伴って等身大のアルフォンスがいた。最近好きな原作のものが実写化されすぎて嫌気がさしていたが、紙上に生きていたアルが目の前に立っている光景は興奮した。

参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93

最新27刊 2010/11/22第一刷 スクウェア・エニックスより


あとがき
好きなものは数えきれないくらいあっても、その熱量を文章で伝えるのは難しい。表情や声に無意識に出る感情の昂りを、私の辞書で書くことに限界を感じた。だからこそ、もっと好きなものに溺れて、感性とそれを言葉にする術を磨きたくなった。

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