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はじめて飲んだ富士山のお茶

富士山のお茶を飲んだ事がある。

茶師の在り方を変え、自らを富士山の茶師でありたいと思うきっかけとなったお茶を戴いたのは、富士山表富士宮口山道に山室(山小屋)を構える赤池さんとの出会いの時。
このお茶の香味は今でも忘れる事がない。

標高300m弱、富士宮市粟倉にある自宅裏で育った茶葉を山梨県の南部まで運んで作ったお茶は、毎夏富士山に訪れる登山者の為の、おもてなしのお茶だった。
それは何重もの袋に包まれ一斗缶に入っていた。見た目は色が沈み、香りは劣化した茶葉特有のものがある。いかにも古くなった様相だ。
だが、これがとびきり美味かった…。

話を聞くと、山室のお茶は夏の終わりに小屋を閉める時に余ったものを富士山で寝かせ、翌年新茶を持参して良く混ぜて使われていた。数百年続くこの方法、時に二年三年と室に残る茶葉もあるのだろう。
これを酸化や劣化と言われたら確かにそうだ。
しかし、劣化と切り捨てるには余りある深みを目の当たりにして、『お茶は鮮度が全て』との既成概念は疑問となった。

日本茶の熟成は有り得るのか?赤池家の茶園管理を調べるうちにそれは確信に変わり、当たり前に信じていた栽培方法が未来永劫に続くただ一つの道じゃない事に気づいた。
それは、今思えば土と、風と、茶の木との関係を大きく変えるきっかけになった。

富士山でもてなすために作るお茶は、富士山を体現する熟成のお茶だった。無理な施肥もなく、自然に任せて育てた葉でないと熟成は始まらず、茶はただ劣化していくだけなのだと気づいた時、未来に繋がる新しい価値観がいくつも思い浮かんだ。富士山の自然と対話し、時の中で価値が育つお茶が裏山で出来るのならそう有りたい。
その思いは様々な富士山のお茶を生み出す原動力になった。

土を見て、季節を見て、品種を見て、製法を変え、様々なコンセプトのお茶を生み出すのは、富士山のお茶が百年千年先に価値を持つための基礎を創りたいからだ。
一杯の茶碗が教えてくれた富士山のお茶の価値。私はこれを守り、生み出し、育てていく富士山の茶師で有りたい。

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