宮本武蔵 五輪書 チャットボット用データ

宮本武蔵 五輪の書 地の巻 一 序 現代語訳 `兵法というものは武家の法である `将たる者はとりわけこの法を行い、兵卒たる者もこの 道を知るべきことである `今、世の中に、兵法の道をしかと弁えているという武士がいない `まず、道を示顕しているのは、仏法として人を助ける道 `また、儒道として文の道を正し、 医者といって諸病を治す道 `あるいは歌道者といって和歌の道を教え、あるいは数寄者、弓 法者、その他諸芸・諸能までも、思い思いに稽古し、各々心を寄せるものである `兵法の道 には心を寄せる人が稀である `まず、武士は `文武両道 `といって、二つの道を嗜むこと、これ道である `たといこの道 が不器用なりとも、武士たるものは各々の分際程度には兵法を勤めるべきものである `お およそ武士の心を測るに `武士はただ `死ぬ `という道を嗜むこと `と認識している程度 のものである `死する道においては武士ばかりに限らない `出家者でも、女でも、百姓以下 に至るまで、義理を知り、恥を思い、死するべきを思い切ることにその差はないものである `武士が兵法を行う道は、何事においても他者より大いに優れるところを本とし、あるいは 差しの斬り合いに勝ち、あるいは数人の戦に勝ち、主君のため、己の身のため、名を上げ身 を立てようと思う、これ兵法の徳を以て成せるものである `また、世の中に `兵法の道を習っても実際のときの役には立つことなどない `と思う向き もあろう `その件においては、いつでも役に立つように稽古し、万事に至り役に立つように 教えること、これ兵法の実の道である 地の巻 二 一 兵法の道という事 現代語訳 `漢土や本朝までも、この道を行う者を `兵法の達者 `と言い伝えている `武士としてこの 法を学ばずということがあってはならない `近頃 `兵法者 `と称して世を渡る者があるが、これは剣術がひと通りできるだけのことで ある `常陸国鹿島・下総国香取の社人達が、明神の伝え `として諸々の流派を立てて国々を 回り、人に伝えているが、これは近年のはなしである `昔から十能・七芸とある中で `利方 すなわち利をもたらす方法や手段 `といって、芸に該当してはいるが `利方 `と言い出す 以上は剣術ひと通りに限ってはならない `剣術一辺の利に留まっていてはその剣術も知り 難い `もちろん兵の法には敵うべくもない `世の中を見るに、諸芸を売物に仕立て、己の身を売物のように思い、諸道具にしても売物 に拵える、といった心算が窺えるが、それでは花と実との対にして、花よりも実が少ないよ うなものである `とりわけ、この兵法の道に、色を飾り、花を咲かせて、術を衒い、あるい は `一の道場 `あるいは `二の道場 `などと言って、師はこの道を教え、弟子はこの道を習 って `利を得よう `と思うのは、誰かの言った `生兵法は大怪我の基 `そのとおりであろ う `およそ人の世を渡ることとは、士農工商という四つの道である `一つには、農の道 `農民 は色々な農具を設け、四季の移ろいへの心配りに暇なくして春秋を送ること、これ農の道で ある `二つには、商の道 `酒を作る者は、それぞれの道具を求め、その品の善し悪しの利を 得て渡世を送る、いずれも商の道 `その身その身の稼ぎ、その利を以て世を渡るのである、 これ商の道 `三つには、士の道 `武士においては、様々な兵具を拵え、兵具品々の徳すなわ ち特長を弁えることこそ武士の道であろう `兵具をも嗜まず、その具々の利をも覚えぬの は、武家として少々嗜みが浅くあるまいか `四つには、工の道 `大工の道においては、種々 様々の道具を工夫して拵え、その具々をよく使い覚え、墨矩を以てその指図すなわち設計を 正し、暇もなくそのわざをして世を渡る、これ士農工商四つの道である `兵法を大工の道に譬えて言い表してみる `大工に譬えるのは `家 `というものに紐付け てのはなしだからである `公家、武家、藤原氏の南家・北家・式家・京家の四家、その家の 滅亡、家の存続、といったことを `何流 `何風 `何家 `などと言うので `家 `という言葉か ら大工の道に譬えたのである `大工 `は `大いにたくむ `と書くが、兵法の道は `大いな るたくみ `であるから、大工に言い準えて書き表すのである `兵の法を学ぼうと思ったならば、この書を読んで思案して、師は針、弟子は糸となって、 絶えず稽古あるべきものである 地の巻 三 一 兵法の道を大工に譬えた事 現代語訳 `大将は大工の統領(棟梁)として天下の矩すなわち尺度を弁え、その国の矩を正し、その 家の矩を知ることが統領の道である `大工の統領は、堂塔伽藍の墨矩を覚え、宮殿楼閣の指 図を知り、人々を使い家々を建てること `大工の統領も武家の統領も同じことである `家 を建てるのに木配りすなわち適材の適所への配置をすること `真っ直ぐにして節もなく見 栄えの良いのを表側の柱とし、少し節があっても真っ直ぐで強いのを内側の柱とし、たとい か弱くとも節のない木の格好がよいのを、敷居、鴨居、戸、障子とそれぞれに使い、節があ っても歪んでいても、強い木をその家の強み強みを見分けて、よく吟味して使うにおいては、 その家は長く崩壊しにくくなる `また、材木のうちにしても、節が多く歪んで弱いのを足場 にでもし、後には薪などにできよう `統領が大工を使うこと `その上・中・下を知り、あるいは床まわり、あるいは戸、障子、 あるいは敷居、鴨居、天井、以下腕に合わせてそれぞれに使って、下手には根太を張らせ、 なお下手には楔を削らせ、人を見分けて使えば、それは捗が行って手際よいものである `捗 が行き、手際よい、というのは `何事にも気を緩めぬこと `大勇を知ること `気すなわち気 宇や気質などの上・中・下を知ること `勇みをつけるすなわち意欲を促すということ `無体 すなわち無理や限界を知るということ `このような事々が統領の心持にあることをいう `兵法の利、かくの如し 地の巻 四 一 兵法の道 現代語訳 `士卒たる者は大工にして、自らの手でその道具を研ぎ、色々な責め道具すなわち手に馴染 み使い込める道具を拵え、大工の箱に入れて持ち、統領(棟梁)の言い付けるところを受け、 柱や虹梁などを手斧で削り、床棚をも鉋で削り、透かし物・彫り物をもして、よく矩を正し すなわち調整し、隅々の面取りまでも手際よく仕立てるところが大工の法すなわち職分で ある `大工のわざを手掛けてよく仕覚え、墨矩をよく知って後は統領となるのである `大 工の嗜みとして、よく切れる道具を持ち、暇々に研ぐことが肝要である `その道具をとって、 御厨子、書棚、机、卓または行燈、俎、鍋の蓋までも達者に作るところが大工の専一である `士卒たる者もこの如くである `よくよく吟味あるべし `大工の嗜みは `歪まぬこと `留すなわち接合部分を合わせること `鉋でよく削ること ` 材を擦過せぬこと `後に干て透かさぬすなわち乾いた後、隙間を生じさせぬこと `肝要で ある `この道を学ぼうと思ったならば、ここに書き表すところの一つ一つに心を入れてよく吟味 あるべきものである 地の巻 五 一 この兵法の書を五巻に仕立てる事 現代語訳 `五つに道を分かち、一巻一巻にしてその利を知らしめんがために `地 `水 `火 `風 `空 ` として五巻に書き表すものである `地の巻 `においては、兵法の道の概要、我が流の見立て `剣術ひと通りでは実の道を得難 い `大きな所から小さい所を知り、浅きから深きに至る真っ直ぐな道の地形を均すことか ら、初めを `地の巻 `と名付けた `第二 `水の巻 `水を手本として、心も水になるのである `水は方形・円形の器物に従い、 一滴となり、蒼海となる `水には碧潭の色がある `この清いところを用いて我が流のこと をこの巻に書き表すものである `剣術ひと通りの理を定かに見分け、一人の敵に自由に勝つときは、世界の人にみな勝つと ころである `人に勝つという心は千万の敵にも同じである `将たる者の兵法では、小さい のを大きくすることは尺という単位の型を用いて大仏を建立するに等しい `このような事 柄はこまやかには書き分け難い `一を以て万を知ることが兵法の理である `我が流のこと をこの `水の巻 `に書き記すものである `第三 `火の巻 `この巻に戦のことを書き記す `火は、大となり、小となり、尋常ならぬ性 質のあることから、合戦のことを書くのである `合戦の道は、一人と一人との戦いも、万と 万との戦いも、同じ道である `心を大きなものにし、心を小さくして、よく吟味して見るべ し `大きな所は見えやすい `小さな所は見えにくい `その子細であるが、大隊の場合は即 座に動き回り難く、一人の場合は心一つで変わることがはやいために小さなところを知る ことが難しい `よく吟味あるべし `この火の巻のことは、はやい間のことである故に、日々手馴れて常の如く思い、心の変わ らぬところが兵法では肝要である `したがって、戦勝負のところを `火の巻 `に書き表す のである `第四 `風の巻 `この巻を風の巻として記すものは我が流のことではない `世の中の兵法、 その流派流派のことを書き載せるところである `風 `と言うにおいては `昔の風 `今の風 `その家々の風 `などとあることから、世間の兵法、その流派のしわざを定かに書き表す、 これ風である `他のことをよく知らずしては自らの身の程は知り難い `道の事々を行う中 に `外道 `という心がある `日々その道を勤めるといっても、心が背けば、自身がよい道と 思っても、真っ直ぐな所から見れば実の道ではない `実の道を極めねば、わずかな心の歪み に外道の心が付いて、後には大きく歪むものである `吟味すべし `他流の兵法は `剣術ばかり `と世間が思うのももっともである `我が兵法の利やわざに おいては全くの別物である `世間の兵法を知らしめんがために `風の巻 `として他流のこ とを書き表すのである `第五 `空の巻 `この巻を `空 `と書き表すことについて `空 `と言い出すからには `何 を `奥 `と言い `何を `口 `と言おうか `道理を得ては道理を離れ、兵法の道におのずと 自由があって、おのずと奇特を得る `時機に合っては拍子を知り、自ら打ち、自ら当たる、 これみな空の道である `おのずと実の道に入ることを `空の巻 `にして書き留めるもので ある 地の巻 六 一 我が流を二刀と名付ける事 現代語訳 `二刀 `と言い出したのは、武士は将・兵卒共に直接二刀を腰に付ける役目だからである ` 昔は `太刀・刀 `と言い、今は `刀・脇差 `と言う `武士たる者がこの両腰を持つことは細 かく書き表すに及ばない `本朝においては、知るも知らぬも、腰に帯びることが武士の道で ある `この二つの利を知らしめんがために `二刀一流 `と言うのである `槍・薙刀からす れば `外の物 `と言うが、武道具のうちである `我が流の道は、初心の者においては太刀・刀を両手に持って道を仕習うことが実のところ である `一命を捨てるときは道具を残さず役に立てたいものである `道具を役に立てず腰 に納めて死ぬことは本意ではあるまい `しかしながら、両手に物を持った場合、左右共に自 由にはなり難い `二刀は太刀を片手で扱うことを習わせるためである `槍・薙刀といった大道具は是非に及ばず、刀・脇差においては、いずれも片手で持つ道具 である `太刀を両手で持つと障る場合 `馬上において障る `駆け走るとき障る `沼、池、石 原、険しい道、人込みで障る `左に弓・槍を持って、その他いずれの道具を持っても、みな 片手で太刀を使うのであるから、両手に太刀を構えるのは実の道ではない `もし片手で打 ち殺しにくいときは両手で打ち止めればよい `手間のかかることでもあるまい `まず、片手で太刀を振り習うために、二刀として太刀を片手で振り覚える道である `誰し も初めて取るときは太刀が重くて振り回しにくいものであるが、万事初めてとりかかると きは、弓も引きにくい、薙刀も振りにくい `いずれもその道具道具に慣れて後は弓も力強く なり、太刀も振り慣れれば道の力を得て振りよくなるものである `太刀の道というものは、 はやく振るのではない `第二 `水の巻 `で知れよう `太刀は広い所で振り、脇差は狭い所 で振ること、まず道の本意である `我が流においては、長くても勝ち、短くても勝つ `それ故に太刀の寸法を定めない `何に おいても勝つことを得る心、我が流の道である `太刀一つ持っているよりも二つ持つほう がよいところであるが、大勢を一人して戦うとき、また、立籠り者などのとき、具合のよい ことがある `このような事柄は今委しく書き表すに及ばない `一を以て万を知るべし `兵法の道を修 得して後は、一つも見えずということはない `よくよく吟味あるべきである 地の巻 七 一 兵法二つの字の利を知る事 現代語訳 `この道において、太刀を振りこなせる者を `兵法者 `と世間では言い伝えている `武芸の 道に達して弓をよく射れば `射手 `と言い、鉄砲を体得した者は `鉄砲打 `と言う `槍を 使いこなしては `槍使い `と言い、薙刀を覚えては `薙刀使い `と言う `それならば、太刀 の道を覚えた者を `太刀使い `脇差使い `と言うことになる `弓、鉄砲、槍、薙刀、みなこ れ武家の道具であるから、いずれも兵法の道である `にもかかわらず、太刀に限って `兵法 `と言うのには道理がある `太刀の徳によって世を治め身を修めるのであるから、太刀は兵法の起こる所である `太刀 の徳を得て後は一人して十人に勝つものである `一人にして十人に勝てば、百人して千人 に勝ち、千人にして万人に勝つ `したがって、我が流の兵法においては、一人も万人も同じ ことにして、武士の法を残らず `兵法 `と言うのである `道において、儒者、仏者、数寄者、躾者すなわち礼法を教える者、乱舞者すなわち能役者 等などあるが、これらのことは武士の道にはない `その道にないとはいえ、道を広く知れば 物事に役立つものである `いずれも人間すなわち世の中において、各々己の道をよく研鑽 することが肝要である 地の巻 八 一 兵法に武具の利を知るという事 現代語訳 `武道具の利を弁えていれば、いずれの道具でも、折に触れ、時にしたがい、用いる時機が 訪れるものである `脇差は座の狭い所、敵の身際へ寄ったとき、その利が多い `太刀はいず れの所においても大抵役立つ利がある `薙刀は戦場では槍に劣るきらいがある `槍は先手 である `薙刀は後手である `同じ位の腕前では、槍を持つ方は少し強く、槍・薙刀も、場合 により、窮屈な所ではその利が少ない `立籠り者などにも具合が悪い `戦場専用の道具で あろう `合戦の場では肝要な道具である `しかし、座敷での利を覚え、些事にこだわり、実 の道を忘れるにおいては、用いる好機は捉えにくいであろう `弓は、合戦の場において、駆け引きにも役立ち、槍の脇その他様々な物の脇ではやく取っ て使うものであるから、野合のすなわち平地における合戦などにとりわけよい物である ` 城攻めなど、また敵との間合二十間を超えては短所が出るものである `当世においては、弓 は申すに及ばず、諸芸花多くして実少なし `そのような芸能は肝心なとき役に立ち難い ` 鉄砲はその利が多い `城廓の内部では鉄砲に勝るものはない `野合などにおいても、合戦 の始まらぬうちはその利が多い `戦が始まっては短所が出てこよう `弓の一つの徳は、放 つ矢が人の目に見えるのでよい `鉄砲の玉は目に見えぬところが短所である `この件をよ くよく吟味あるべきである `馬のこと `強く、応えてまた堪えて、癖のないことが肝要である `総じて、武道具については、馬も大方歩け、刀・脇差も大方切れ、槍・薙刀も大方貫け、 弓・鉄砲も、強く、壊れぬようにしておくべし `道具全般にも偏って好むことがあってはな らない `余っているのは足らぬと同じことである `人真似をせずとも、己の身に従って、武 道具は手に合うようにしておくべし `将・兵卒共に物に好き嫌いがあるのはまずい `工夫が肝要である 地の巻 九 一 兵法の拍子の事 現代語訳 `物毎に拍子はあるものであるが、とりわけ兵法の拍子は鍛錬がなくては達し難いところで ある `世の中の拍子が表れていることといえば、乱舞の道、伶人・管絃の拍子など、これみ なよく合うところの歪みのない正しい拍子である `武芸の道全般にわたって、弓を射、鉄砲 を放ち、馬に乗ることまでも拍子・調子はあり、諸芸・諸能にいたっても拍子を背くことは あってはならない `また、空なることにおいても拍子はある `武士の身の上では、奉公にお いて、出世に導く拍子、失路に導く拍子、筈すなわち道理や都合の合う・筈の違う拍子があ る `あるいは商の道においては、富者になる拍子 `富者なりとも絶える拍子 `その道その 道につけて拍子の相違がある `物毎の盛える拍子、衰える拍子 `よくよく分別すべし `兵法の拍子においても様々あるものである `まず、合う拍子を知って、違う拍子を弁え、 大小遅速の拍子の中にも、当たる拍子を知り、間の拍子を知り、背く拍子を知ることが兵法 の専一である `この背く拍子を弁えずしては兵法はおぼつかない `兵法の戦で、その敵そ の敵の拍子を知り、敵の思いもよらぬ拍子を以て、空の拍子を知恵の拍子から発して勝つと ころとなる `いずれの巻にも拍子のことを専ら書き記してある `その書付の吟味をしてよ くよく鍛錬すべきものである `右に述べた我が流の兵法の道における、朝な朝な夕な夕な勤め行うことによって、おのず と広い心になって、多分(大分)すなわち軍隊・一分すなわち単独の兵法として世に伝える ところを初めて書き表したものが `地 `水 `火 `風 `空 `この五巻である `我が兵法を学ぼうと思う人には、道を行う法がある `第一に、邪でないことを思うところ `第二に、道の鍛錬をするところ `第三に、諸芸に触れるところ `第四に、諸職の道を知ること `第五に、物毎の損と徳を弁えること `第六に、諸事の目利を仕覚えること `第七に、目に見えぬ所を悟って知ること `第八に、些細なことにも気をつけること `第九に、役に立たぬ事をせぬこと `おおよそかくの如く理を心がけて兵法の道を鍛錬すべきである `この道に限定して真っ 直ぐなところを広く見立てねば兵法の達者とはなり難い `この法を学び得て後は、身一つ とて二十・三十の敵にも負ける道にあらず `まず、気持に兵法を絶やさず、真っ直ぐな道を 勤めて後は、手で打ち勝ち、目を利かせることも人に勝ち、また、鍛錬を以て全身自由にな れば身体でも人に勝ち、また、この道に慣れていれば心すなわち精神を以ても人に勝ち、こ こに至っては、どうして人に負ける道などあろうか `また、大分の兵法にあっては、よい人 材を持つことにおいて勝ち、大隊を使うことにおいて勝ち、身を正しく修める道において勝 ち、国を治めることにおいて勝ち、民を養うことにおいて勝ち、世の慣いや法を行う上で勝 つ `いずれの道においても人に負けぬところを知って、身を助け名を助けるところ、これ兵 法の道である `正保二年五月十二日 新免武蔵 `寺尾孫之丞殿 `寛文七年二月五日 寺尾夢世勝延 花押 `山本源介殿 宮本武蔵 五輪書 水の巻 一 序 現代語訳 `兵法・二天一流の心は水を手本として、利方の法すなわち利のある手段や方法を行うこと から `水の巻 `として我が流の太刀筋をこの書に書き表すものである `この道はいずれも こまやかに心のままには書き分け難い `たとい言葉は続かなくとも利はおのずと解せよう `この書に書付けた内容を一言一言一字一字に至るまで思案すべし `大雑把に考えては道 を間違えることが多くなろう `兵法の利において、一人と一人との勝負のように書付けて ある所なりとも、万人と万人との合戦の利と心得て、大きく見立るところが肝要である `こ の道に限って、少しなりとも道を見違えたり道の迷いがあっては悪道へ落ちるものである `この書付ばかりを見て兵法の道に達することはない `この書に書付けたのを己の身の中 に取り込んで、書付を見ると思わず、習うと思わず、借り物にせずに、すなわち己の心から 見い出した利となして、常にその身になってよくよく工夫すべし 水の巻 二 一 兵法心持の事 現代語訳 `兵法の道において、心の持ち様は常の心と変わることがあってはならない `常にも兵法の ときにも少しも変わらずに、心を広く真っ直ぐにして、きつく引っ張らず、少しも弛まず、 心が偏らぬように心を真ん中に置いて、心を静かに揺らして、その揺るぎが刹那も揺るぎ止 まぬようによくよく吟味すべし `静かなときも心は静かならず、いかにはやいときでも心 は少しもはやからず、心は体につれず、体は心につれず、心に用心して、身は用心せず、心 の足らぬことなくして、心を少しも誤らさず、上の心は弱くとも底の心を強く、心を人に見 分けられぬようにして、小柄な者は心に大きな事を残らず知り、大柄な者は心に小さな事を よく知って、大柄な者も小柄な者も心を真っ直ぐにして、己の身に都合よくせぬように心を 持つことが肝要である `心の中は、濁らず、広くして、広い所へ知恵を置くべきである `知 恵も心もひたすら磨くことが専一である `知恵を磨ぎ、天下の理非を弁え、物毎の善悪を知 り、各種の芸能、その道その道を体験し、世間の人に少しも騙されぬようにして後、兵法の 知恵となるのである `兵法の知恵においては、とりわけ違う事があるものである `戦の場 は万事慌しいときではあるが、兵法の道理をきわめ、不動心をよくよく吟味すべし 水の巻 三 一 兵法の身なりの事 現代語訳 `身の構えは、顔は俯かず、仰向かず、傾かず、歪まず、目に力を込めず、額に皺を寄せず、 眉間に皺を寄せて、目の玉が動かぬようにして、瞬きをせぬように意識して、目を少し細め るようにして、柔和に見える顔をし、鼻筋を真っ直ぐにして、少し下顎を出す感じにするの である `首は後ろの筋を真っ直ぐに、うなじに力を入れて、肩から下全体は均整を意識し、 両の肩を下げ、背筋を正しくして尻を出さず、膝から足先まで力を入れて腰の屈まぬように 腹を張り `楔を締める `といって、脇差の鞘に腹を凭せて帯が弛まぬように楔を締める、と いう教えがある `総じて、兵法の身において、常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身と することが肝要である `よくよく吟味すべし 水の巻 四 一 兵法の目付という事 現代語訳 `目の付け様すなわち目配りの仕方は大きく広く付けるものである `観 `見 `二つの事 ` 観の目は強く、見の目は弱く、遠い所を近く見、近い所を遠く見ること、兵法の専一である `敵の太刀を知りいささかも敵の太刀を見ず、ということが兵法の大事である `工夫あるべ し `この目付、一分すなわち単独の兵法でも大分すなわち軍隊の兵法でも同じことである `目 の玉は動かさずに両脇を見ることが肝要である `このようなことは忙しいとき俄には弁え 難い `この書付を覚え、常日頃この目付になって、何事にも目付が変わらぬようにするとこ ろをよくよく吟味あるべきものである 水の巻 五 一 太刀の持ち様の事 現代語訳 `太刀の取り様は、親指と人差し指を浮べ気味にして持ち `中指は締めず緩めず、薬指と小 指を締める感じにして持つのである `手の内側に余裕のあるのはまずい `敵を斬るもので ある `と思って太刀を取るべし `敵を斬るときも、手の内に変わりなく、手の竦まぬように 持つべし `もし敵の太刀を、張ること、受けること、当たること、おさえること、があって も、親指と人差し指だけを少し変える感じにして、兎にも角にも `斬る `と思って太刀を取 るべし `試し物などを斬るときの手の内も、兵法にして斬るときの手の内も `人を斬る ` といって、手の内に変わるところはない `総じて、太刀でも手でも `居着くすなわち固着する `ということを嫌う `居着く `は死ぬ 手である `居着かぬ `は生きる手である `よくよく心得るべきものである 水の巻 六 一 足使いの事 現代語訳 `足の運び様の事 `爪先を少し浮かせて踵を強く踏むべし `足使いは、場合によって大小遅 速はあるが、常に歩むが如し `足に、飛足、浮足、踏み据える足、とあって、この三つは嫌 う足である `この道の大事に曰く `陰陽の足 `とい、これ肝心である `陰陽の足とは、片足 ばかり動かさぬものである `斬るとき、退くとき、太刀を受けるときまでも `陰 `陽 `とい って、右・左・右・左、と踏む足である `返す返すも片足で踏むことがあってはならない ` よくよく吟味すべきものである 水の巻 七 一 五方の構えの事 現代語訳 `五方の構えは、上段、中段、下段、右の脇に構えること、左の脇に構えること、これ `五 方 `である `構えを五つに分けるといえども、みな人を斬るためである `構えは五つより 他はない `いずれの構えなりとも `構えるとは思わず斬ることである `と思うべし `構え の大小は場合により利に従うべし `上・中・下は体すなわちはたらきの本源の構えである ` 両脇は用すなわちはたらきより生ずる作用あるいは応用の構えである `右脇・左脇の構え は上が窮屈で脇の一方が窮屈な所などにおける構えである `右か左かは所によって判断す る `この道の大事に曰く `構えの究極は中段と心得るべし `中段は構えの本意である `兵 法を大きくして見よ `中段は大将の座である `大将に次いで、あと四段の構えがある `よ くよく吟味すべし 水の巻 八 一 太刀の道という事 現代語訳 `太刀の道を知る `ということについて `常に己の差す刀を薬指と小指の指二本で振ると きも、道筋をよく知って後は自由に振れるものである `太刀をはやく振ろうとすることに よって太刀の道筋が違って振りにくい `太刀は振りよい程度に静かに振るのである `ある いは扇あるいは小刀などを使うように `はやく振ろう `と思うが故に太刀の道が違って振 りにくい `それは `小刀きざみ `といって、そのような太刀では人を斬れぬものである ` 太刀を打ち下げては上げやすい道に上げ、横に振っては横に戻り、よい道へ戻し、極力大き く肘を伸ばして強く振ること、これ太刀の道である `我が兵法の五つの表を使い覚えれば、 太刀の道が定まって振りよいのである `よくよく鍛錬すべし 水の巻 九 一 五つのおもての次第 第一の事 現代語訳 `第一の構え、中段 `太刀先を敵の顔へ付けて、敵に行き合ったとき、敵が太刀を打ちかけ てくるとき、右へ太刀を外して乗りすなわち得た空間や状況の利を生かして、また敵が打ち かけてくるとき、切先返しで打ち、打ち下ろした己の太刀はそのままにしておき、また敵の 打ちかけてくるとき、下から敵の手を張る、これ第一の型である `総じて、この五つの表を 書付けるばかりでは合点が行き難い `五つの表それぞれのぶんは実際に手に取って太刀の 道を稽古するのである `この五つの太刀筋で己の太刀の道をも知り、いかようにも敵の打 つ太刀が知れるところ、これ `二刀の太刀の構えは五つより他にはない `と教える所以で ある `鍛錬すべきである 水の巻 一〇 一 おもての第二の次第の事 現代語訳 `第二の太刀 `上段に構え、敵が打ちかけてくるところを同時に敵を打つのである `敵を打 ち外した太刀はそのままにしておき、また敵の打ってきたところを下から掬い上げて打つ `もう一つ打つのも同じ事である `この表の中においては、様々な心持ち、色々な拍子があ るが、この表のうちを以て我が流の鍛錬をすれば、五つの太刀の道をこまやかに知って、い かようにも勝つところである `稽古すべきである 水の巻 一一 一 おもて第三の次第の事 現代語訳 `第三の構え `下段に持ち、引っ下げた感じにして、敵が打ちかけてくるところを下から手 を張るのである `己が手を張るところを、また敵がこの張る太刀を打ち落とそうとすると ころを、己が越すすなわち躱す拍子に、敵が打った後、己が二の腕を横に斬る感覚である ` 下段で敵の打つところを一度で打ち止めることである `下段の構えは、太刀を運ぶ際、はや いときも遅いときも役立つものである `太刀を取って鍛錬あるべきである 水の巻 一二 一 おもて第四の次第の事 現代語訳 `第四の構え `左の脇に横に構えて、敵の打ちかけてくる手を下から張るべし `己が下から 張るのを、敵が打ち落とそうとするのを、敵の手を張る感じでそのまま太刀の道筋を捉え、 己の肩の上方へ筋交いに斬るべし `これ太刀の道である `また、敵の打ちかけてくるとき も太刀の道を捉えて勝つ道である `よくよく吟味あるべし 水の巻 一三 一 おもて第五の次第の事 現代語訳 `第五の次第 `太刀の構え `己の右の脇に横に構えて、敵が打ちかけてくるところの形勢を 捉え、己の太刀の下の横から筋を変えて上段に振り上げ、上から真っ直ぐに斬るべし `これ も太刀の道をよく知るためである `この表で振り慣れていれば重い太刀も自由に振れるの である `この五つの表について細かく書付けることはしない `我が流のひと通りの太刀の 道を知り、また、大方拍子をも覚え、敵の太刀を見分けること `まずこの五つによって絶え ず手を涸らして鍛え覚えるのである `敵との戦いの中でも、この太刀筋を涸らして敵の心 を捉え、色々な拍子でいかようにも勝つところとなる `よくよく分別すべし 水の巻 一四 一 有構無構の数の事 現代語訳 `有㆑構無㆑構というのは、太刀を構えるということで、あるべきことではない `しかし、 五方すなわち上段、中段、下段、左脇、右脇に太刀を置くこともあるので、構えともなろう `太刀は、敵の出方により、所により、景気にしたがい、いずれの方に置こうとも、その敵 を斬りよいように持つ感覚である `上段も時にしたがい少し下がり気味になるため中段と なり、中段を利を得るのに少し上げれば上段となる `下段も折に触れ少し上げれば中段と なる `両脇の構えも形勢により少し中央へ出せば中段・下段ともなる感覚である `したが って `構えは有って、構えは無き `という理である `まず `太刀を取ったからにはいかにしてでも敵を斬る `という心である `もし敵の斬り かかる太刀を、受ける、張る、当たる、粘る、触る、などということがあっても、みなみな 敵を斬る機縁であると心得るべし `受ける `と思い `張る `と思い `当たる `と思い `粘 る `と思い `触る `と思うことによって、斬る際に短所が出てこよう `何事も斬る機縁 ` と思うことが肝要である `よくよく吟味すべし `兵法が大分にあっては、人数立てすなわち隊の配置というのも構えである `みな合戦に勝 つ機縁である `居着くすなわち固着するというのはまずい `よくよく工夫すべし 水の巻 一五 一 敵を打つに一拍子の打ちの事 現代語訳 `敵を打つ拍子に `一拍子 `というのがあって、敵と己が当たるほどの位置を得て、敵の態 勢が整わぬうちを読み取って、その身も動かさず、意識もせず、極力早く真っ直ぐに打つ拍 子をいう `敵が太刀を `引こう `外そう `打とう `と思う心の芽生えぬうちを打つ拍子、 これ一拍子である `この拍子をよく習得して、間の拍子を早く打つことを鍛錬すべし 水の巻 一六 一 二のこしの拍子の事 現代語訳 `二(マ)のこしの拍子 `己が打とうとするとき、敵が早く引き、早く張り、退けるような ときは、己が打つと見せて、敵が張って弛んだ間を打ち、引いて弛んだ間を打つ、これ間の こし(腰か)の打ちである `この書付ばかりではなかなか打ち得るようにはなり難いであろ う `教えを受けて後は忽ち合点のゆくところである 水の巻 一七 一 無念無想の打ちという事 現代語訳 `敵も打ち出そうとし、己も打ち出そうと思うとき、身も打つ身になり、心も打つ心になっ て、手は、いつとなく、空より、後になるほどはやく強く打つこと、これ `無念無想 `とい って、一大事の打ちである `この打ちは度々役立つ打ちである `よく習得して鍛錬あるべ き件である 水の巻 一八 一 流水の打ちという事 現代語訳 `流水の打ち `といって、敵と至近の間合になって競り合うとき、敵が `早く引こう `早く 外そう `早く太刀を張り退けよう `とするとき、己の身も心も大きくなって、太刀を己の身 の後ろから、極力ゆるゆると淀みのあるように大きく強く打つことである `この打ちを習 得して後は確実に打ちよいものである `敵の位置を見分けることが肝要である 水の巻 一九 一 縁の当たりという事 現代語訳 `己が打ち出すとき、敵が `打ち止めよう `張り退けよう `とするとき、己は打ち一つで、 頭をも打ち、足をも打ち、太刀の道筋一つを以てどこなりとも打つところ、これ `縁の打ち `である `この打ちをよくよく打ち習えばいつでも役立つ打ちである `まめに打ち合って 分別しておくべきことである 水の巻 二〇 一 石火の当たりという事 現代語訳 `石火の当たりは、敵の太刀と己の太刀とを触れ合うほどの間合において、己の太刀を少し も上げずに極力強く打つものである `これは足も強く、身も強く、手も強く、三か所を以て 早く打つべきである `この打ちは度々打ち習わずしては打ち難い `よく鍛錬すれば強く当 たるものである 水の巻 二一 一 紅葉の打という事 現代語訳 `紅葉の打ち `敵の太刀を打ち落とし、太刀を取り放す手法である `敵の前に太刀を構え ` 打とう `張ろう `受けよう `と思うとき、己の打つ心は、無念無想の打ち、また石火の打ち でも、敵の太刀を強く打ち、そのまま後を粘る感じで切先下がりに打てば敵の太刀は必ず落 ちるものである `この打ちを鍛練すれば打ち落とすことは容易い `よくよく稽古あるべし 水の巻 二二 一 太刀に替わる身という事 現代語訳 `身に替わる太刀 `とも言えよう `総じて、敵を打つ身では、太刀も身も同時には打たぬも のである `敵の打つ出方により、身は先に打つ姿勢になり、太刀は身に構わず打つのである `もしくは、身は揺るがず、太刀で打つことはあるが、大抵は、身を先に打って、太刀を後 から打つものである `よくよく吟味して打ち習うべきである 水の巻 二三 一 打つと当たるという事 現代語訳 `打つ `ということ `当たる `ということ、二つ別物である `打つという手法はいずれの打 ちでも意識して確実に打つことである `当たる `は `行き当たる `程度の感じで、いかに 強く当たり、忽ち敵が死ぬほどであっても、これは `当たる `である `打つ `というのは ` 心得て打つ `といったところである `吟味すべし `敵の手にでも足にでも `当たる `というのは、まず当たるのである `当たって後を強く打 つためである `当たる `は触る程度の感覚である `よく習得して後は全く別のこととわか る `工夫すべし 水の巻 二四 一 しゅうこうの身という事 現代語訳 `秋猴すなわち腕の短い猿の身 `とは `手を出さぬという意味である `敵へ入身にすなわ ち身を入れ込むときに、少しも手を出す心を持たず、敵が打つ前に身を先に入れる手法であ る `手を出そうと思えば必ず身は遠のくものであるから、全身をはやく移り入れる感覚で ある `手で受け合わせるすなわち互いの手が届く程度の間があれば身も入れやすいもので ある `よくよく吟味すべし 水の巻 二五 一 しっこうの身という事 現代語訳 `漆膠とは、漆や膠のように入身によく付いて離れぬという意味である `敵の身に入り込む とき、頭をも付け、身をも付け、足をも付け、強く付くのである `誰しも、顔や足は早く入 るものの、身は退くものである `敵の身へ己の身をよく付け、少しも身の隙間のないように 付くものである `よくよく吟味あるべし 水の巻 二六 一 たけくらべという事 現代語訳 `丈比べ `というのは `いかなる場合においても、敵へ入り込むときは、己の身が縮まぬよ うにして、足をも伸ばし、腰をも伸ばし、首をも伸ばして強く入り、敵の顔と己の顔とを並 べ、身の丈を比べて、比べ勝つと思うほどに高くなって強く入るところが肝心である `よく よく工夫すべし 水の巻 二七 一 粘りをかけるという事 現代語訳 `敵も打ちかけ、己も太刀を打ちかけて、敵が受けるとき、己の太刀を敵の太刀に付けて粘 る心で入るのである `粘るというのは太刀が離れにくい感じ、あまり強くない感じに入る べし `敵の太刀に己の太刀を付けて粘りをかけて入るときは、いかに静かに入っても差し 支えない `粘る `ということと `縺れる `ということ `粘る `は強く `縺れる `は弱い ` このこと分別あるべし 水の巻 二八 一 身の当たりという事 現代語訳 `身の当たりすなわち体当たり `は敵の際へ入り込んで身で敵に当たる手法である `少し 己の顔をそむけ、己の左の肩を出し、敵の胸に当たること `己の身を極力強く固め、当たる ときは、出会い頭のような拍子を以て、弾む気合で入るべし `この入ることを入り習い、体 得して後は、敵を二間も三間も撥ね除けるほど強くなるものである `敵が死んでしまうほ ども当たるのである `よくよく鍛錬あるべし 水の巻 二九 一 三つの受けの事 現代語訳 `三つの受け `というのは `敵へ入り込むとき、敵の打ち出す太刀を受けるには、己の太刀 で敵の目を突くようにして敵の太刀を己の右の肩へ引き流して受けるべし `また `突き受 け `といって、敵が打つ太刀を敵の右の目を突くようにして首を挟む感じで突きかけて、敵 の太刀を受けるのである `また、敵が打つときに短い太刀で入るには、受ける太刀はさほど 構わず、己の左の手で敵の顔面を突くようにして入り込む `これ三つの受けである `左の 手を握って拳で顔面を突くように意識すべし `よくよく鍛錬あるべきものである 水の巻 三〇 一 面を刺すという事 現代語訳 `面を刺す `とは `敵と太刀が互角になったとき、敵の太刀の合間、己の太刀の合間に、敵 の顔を己の太刀先で突く心を常に意識するところが肝心である `敵の顔を突く心があれば、 敵の顔も身も仰け反るものである `敵を仰け反らせるようにすれば色々勝つのに利がある `よくよく工夫すべし `戦の中で敵が身を仰け反らせる心があれば、はや勝つところとなる `それ故に面を刺すと いうことを忘れてはならない `兵法の稽古の中でこの利への鍛錬あるべきものである 水の巻 三一 一 心を刺すという事 現代語訳 `心(胸)を刺す `というのは `戦の中で、上も窮屈で脇も窮屈な所などにおいて、斬るこ とがどうにも困難なとき敵を突くこと `敵の打つ太刀を外すその心は、己の太刀のむね(棟) を真っ直ぐに敵に見せて、太刀を刀先が歪まぬように引いておいて、敵のむね(胸)を突く ことである `もし己がくたびれたときか、または刀が切れぬときなどに、この件はもっぱら 用いられる手法である `よくよく分別すべし 水の巻 三二 一 かっとつという事 現代語訳 `喝咄 `というのは `いずれも、己が打ちかけ敵を追い込むとき、敵がまた打ち返すような ところで、下から敵を突くように上げて、返しで打つこと `いずれも早い拍子を以て `喝咄 `と打つ `喝 `と突き上げ `咄 `と打つ手法である `この拍子、いつでも打ち合いの中では もっぱら役立つものである `喝咄の仕方は、切先を上げる感じにして、敵を `突くぞ `と思 い、上げると同時に打つ `拍子よく稽古して吟味あるべきことである 三三 一 張り受けという事 現代語訳 `張り受け `というのは `敵と打ち合うとき `とったん、とったん `という拍子になってき たら、敵が打つところを己の太刀で張り合わせて打つのである `張り合わせる感覚は、さほ どきつく張るでなく、また受けるでもない `敵の打つ太刀に応じてその打つ太刀を張って、 張るより早く敵を打つことである `張ることで先を取り、打つことで先をとるところが肝 要である `張る拍子がうまく合えば、敵がいかに強く打っても、少し張る心さえあれば己の 太刀先の落ちることはない `よく習得して吟味あるべし 水の巻 三四 一 多敵の位の事 現代語訳 `多敵の位 `というのは `身一つにして大勢と戦うときのものである `己の刀と脇差を抜 いて、左右へ広く太刀を横に放り出すように構えるのである `敵が四方からかかってきて も一方へ追い回す手法である `敵がかかってくる形勢や前に出て来る敵・後から出て来る 敵を見分けて、先に出て来る者に早く行き合い、大局に目を付けて、敵の打ち出す位置を捉 えて、右の太刀も左の太刀も同時に振り違えて、行く太刀で前の敵を斬り、戻る太刀で脇に 進む敵を斬る感覚である `太刀を振り違えて待つのはまずい `早く両脇の位置に構え、敵 が出たところを強く切り込み、追い崩して、そのまままた敵の出た方へかかって振り崩す感 覚である `どうにかして敵を一列に魚繋ぎにして追いやる感じで仕掛けて、敵が重なると 見たら、そのまま間をすかさず、強く薙ぎ払いに突っ込むべし `敵との間合が詰まったとこ ろでただ追い回してしまっては捗が行き難い `また `敵の出る方、出る方 `と思うと、待つ心が生じて捗行き難い `敵が拍子を受けて崩 れるところを知って勝つことである `折々稽古相手を数多く寄せ集め、追い込みに慣れて その感覚を得れば一人の敵も十・二十の敵も心安いものである `よく稽古して吟味あるべ きである 水の巻 三五 一 打ち合いの利の事 現代語訳 `これは `打ち合いの利 `ということで、兵法における太刀での勝利を弁えるところである `細かく書き記すことはしない `よく稽古して勝つところを知るべきものである `おおよ そ兵法の実の道を体現する太刀である `口伝 水の巻 三六 一 一つの打ちという事 現代語訳 `これは `一つの打ち `という心を以て確実に勝つところを得ることである `兵法をよく 学ばねば心得難い `この件をよく鍛錬すれば、兵法が心のままになって、思うままに勝つ道 である `よくよく稽古すべし 水の巻 三七 一 直通の位という事 現代語訳 `直通の心 `二刀一流の実の道を承けて伝えるところである `よくよく鍛錬してこの兵法 に身を入れることが肝要である `口伝 水の巻 三八 後書 現代語訳 `右に書付けた内容は、我が流の剣術を大方この巻に記し置くものである `兵法で太刀を取 って人に勝つことを覚えるには、まず五つの表を以て五方の構えを知り、太刀の道を覚えて、 全身自由になり、心によいはたらきが出て、道の拍子を知り、おのずと太刀も手が冴えて、 身も足も心のままに解けてゆく時にしたがって、一人に勝ち二人に勝ち、兵法の善悪を知る ほどになり、この一書の内容を一か条一か条稽古して、敵と戦い、次第次第に道の理を得て、 絶えず心がけ、急ぐ心なくして、折々手に触れてはその太刀の徳を覚え、いかなる人とも打 ち合い、その心を知って、千里の道も一足ずつ運ぶのである `ゆったりと心を構え `この法 を行うことは武士の役目である `と心得て `今日は昨日の己に勝ち、明日は下手に勝ち、後 は上手に勝つ `と思い、この書物の如くにして、少しも脇の道へ心が行かぬように意識すべ し `たとい何程の敵に打ち勝とうとも、習いに背くことがあっては実の道にあるとはいえ ない `この理が心に浮かぶようになって後は身一つを以て数十人にも勝つ心の弁えが持て よう `そうなれば、剣術の知力で大分・一分の兵法の道をも体得できよう `千日の稽古を ` 鍛 `とし、万日の稽古を `錬 `とする `よくよく吟味あるべきものである `正保二年五月十三日 新免武蔵 `寺尾孫之丞殿 `寛文七年二月五日 寺尾夢世勝延 花押 `山本源助殿 宮本武蔵 五輪書 火の巻 一 序 現代語訳 `二刀一流の兵法は、戦のことを火に見立てて、戦勝負のことを `火の巻 `としてこの巻に 書き表すものである `まず、世間の人は誰しも兵法の利を小さく見做して、ある者は指先で 手首五寸三寸の利を知り、ある者は扇を取って肘から先の先後すなわち小手先で勝つと弁 え、または竹刀などで僅かにはやいことの利を覚え、手を利かせ習い、足を利かせ習い、少 しの利の早いところを専一とするものである `我が兵法においては、数度の勝負に一命を 賭けて打ち合い、生と死二つの理を見分け、刀の道を覚え、敵の打つ太刀の強弱を知り、刀 の刃棟の道すなわち太刀筋を弁え、敵を打ち果たすところの鍛錬を得るのであって、小さい 事や弱い事など思いも寄らぬところである `殊に六具すなわち六種一揃の武具に身を固め ながら、どうして利に小さい事など思い出すことがあろうか `さらに、命懸けの打ち合いに おいて、一人して五人・十人とも戦い、その勝つ道を確実に知ることが我が道の兵法である `したがって、一人して十人に勝ち、千人を以て万人に勝つ、この道理に何の差があろうか `よくよく吟味あるべし `しかしながら、常々の稽古のときに千人・万人を集め、この道を仕習うことはできない ` たとい独り太刀を取ろうとも、その敵その敵の知略を測り、敵の強弱や手の内を知り、兵法 の知徳を以て万人に勝つところをきわめ、この道の達者となり、我が兵法の直道すなわち達 成への最短の道は世界において `己の他に誰が得られようか `また `いずれがきわめられ ようか `と、しかと心に留めて、朝夕鍛錬して磨き上げて後、独り自由を得、おのずと奇特 を得、神通力の不思議が起こるところ、これ兵として兵法を修行する息精すなわち心意気で ある 火の巻 二 一 場の次第という事 現代語訳 `場の立ち位置を見分けるのに、場において `日を負う `ということがある `日を後ろにし て構えるのである `もし所により日を後ろにすることができぬときは、右の脇へ日が来る ようにすべし `座敷においても灯を後ろ右脇にすること、前に同じである `後ろの場が窮 屈にならぬように左の場を寛げ、右の脇の場を詰めて構えたいものである `夜でも敵の見 える所では、火を後ろに負い、明かりを右脇にすること、前に同じと心得て構えるべきもの である `敵を見下ろす `といって、少しでも高い所に構えるように心得るべし `座敷にお いては、上座を高い所と思うべし `さて戦になって敵を追い回す場合、己の左の方へ追い回 す感じで難所を敵の後ろにさせ、いずれにおいても難所へ追いかけることが肝要である `難所は `敵に場を見せず `といって、敵に顔を振らせず、油断なく攻め詰める感覚である `座敷においても、敷居、鴨居、戸、障子、縁側など、また柱などの方へ追い詰めるにも場 を見せずということは前と同じである `いずれも、敵を追いかける方向は、足場の悪い所、 または脇に障害物のある所、いずれも場の徳すなわち優位性を用いて場の勝ちを得るとい う手法を専一にして、よくよく吟味し鍛錬あるべきものである 火の巻 三 一 三つの先という事 現代語訳 `三つの先 `一つは、我が方から敵へかかる先 `懸の先 `という `また一つは `敵から我が 方へかかるときの先 `これは `待の先 `という `また一つは、我もかかり、敵もかかり合う ときの先 `体々もしくは対々すなわち対等の先 `という `これが三つの先である `いずれ の戦い始めにもこの三つの先より他はない `先の次第を以て勝つことを得るものであるか ら、先というのは兵法の第一である `この先についての子細は様々あるといえども、その時 の理を先とし、敵の心を見、我が兵法の知恵を以て勝つことであるから、こまやかに書き分 けることはしない `第一、懸の先 `己がかかろうと思うとき、静かにしていて、俄にはやくかかる先 `うわべ を強くはやくして、底を残す心の先 `また、己の心を極力強くして、足は常の足より少しは やく、敵の脇へ寄ったら早く揉み立てるすなわち攻め立てる先 `また、心を解き放って、初 めも中も後も同様に敵をひしぐつもりで、底まで強い心で勝つ `これいずれも懸の先であ る `第二 待の先 `敵が我が方へかかるとき、少しも構わず弱いように見せて、敵が近くなった ところで `ずん `と強く離れて飛び付くように見せて、敵の弛みを見て、一気に強く勝つこ と、これ一つの先である `また、敵がかかってくるとき、己もなお強くなって出るとき、敵 のかかる拍子の変化する間を捉え、そのまま勝ちを得ること、これ待の先の理である `第三 体々の先 `敵がはやくかかるときには、己は静かに強くかかり、敵近くなって `ずん `と思い切る体勢にして、敵のゆとりが見えたとき、一気に強くかかって勝つ `また、敵が 静かにかかるときは、己の身を浮かし気味に少しはやくかかって、敵が近くなって、ひと揉 み揉み合って、敵の様子にしたがって強くかかって勝つこと、これ体々もしくは対々の先で ある `この事柄はこまやかには言い分け難い `この書付を以て十分に工夫あるべし `この三つ の先は、時に従い、理に従い、いつでもこちらからかかるものではないが、同じことならこ ちらからかかって敵を翻弄したいものである `いずれも先というものは兵法の知力を以て 必ず勝つことを得る心であるから、よくよく鍛錬あるべし 火の巻 四 一 枕をおさえるという事 現代語訳 `枕をおさえる `とは `頭を上げさせぬという意味である `兵法の勝負の道に限れば、人に 己の身を翻弄されて後につくのはまずい `どうにかして敵を自由に翻弄したいものである `したがって、敵もそのように思い、己もその心があるが、人のすることを受けたり躱した りしていては叶い難いために、兵法で敵の打つところを止め、突くところをおさえ、組むと ころをもぎ離しなどすることである `枕をおさえるというのは、我が兵法の実の道を得て、 敵にかかり合うとき、敵の何事なりとも思考する兆しを、敵がそれをせぬうちに察知して、 敵の `打 `という `うつ `の `う `の字の頭をおさえて後すなわち つ の字をさせぬ心が 枕をおさえる心である `たとえば敵の `かかる `という `か `の字をおさえ `とぶ `とい う `と `の字の頭をおさえ `きる `という `き `の字の頭をおさえる `すべて同じ心であ る `敵が己になにかわざを為すことがあったとき、役に立たぬことを敵にまかせ、役に立つ ことをおさえて、敵にさせぬようにするところが兵法の専一である `これも敵のすること を `おさえよう、おさえよう `とする心は後手である `まず、己は何事においても、兵法の 道に任せてわざを為す中で、敵も `わざをかけよう `と思う頭をおさえて、何事も役に立た せず、敵を砕くところ、これ兵法の達者、鍛錬あったが故である `枕をおさえること、よく よく吟味あるべきである 火の巻 五 一 とをこすという事 現代語訳 `渡を越す `というのは `たとえば、海を渡る際 `瀬戸すなわち流れの急な海の隘路 `とい う所もあり、または四十里・五十里もある長い海を越す所を `渡 `というのである `人間の 世を渡るにも一代のうちには渡を越すという所は多いであろう `船路では、その渡の所を 知り、船の性能を知り、日並を知って、伴船は出さずとも、そのときの状況を捉え、あるい は横風に頼り、あるいは追風をも受け、もし風が変わっても、二里・三里は艪を漕ぎ舵を握 ってでも港に着くのだと心得て、船を操り、渡を越すのである `その心を得て、人の世を渡 るにも一大事にかけて `渡を越す `と思う心を持つべし `兵法では、戦の中においても渡を越すことが肝要である `敵の力量を捉え、己の達者を自 覚し、その兵法の理を以て渡を越すことは腕利きの船頭が海路を越すのと同じであり、渡を 越して後はまた安心できるのである `渡を越すということは、敵に弱味を与え、己の身も優 位になって、大方はや勝つところとなる `大小の兵法の上でも渡を越すという心が肝要で ある `よくよく吟味あるべし 火の巻 六 一 景気を知るという事 現代語訳 `景気を見る `というのは `大分の兵法にあっては、敵の盛衰を知り、相手の隊の心を知り、 その場の形勢を捉え、敵の景気をよく見受け、己の隊をどう仕掛ければこの兵法の理によっ て確実に勝てるかというところを飲み込んで、先の形勢を見通して戦うのである `また一 分の兵法も、敵の流派を弁え、相手の人柄を見受け、人の強い所・弱い所を見つけ、敵の想 定と違うことを仕掛け、敵の具合の抑揚を知り、その間の拍子をよく知って、先を仕掛ける ところが肝要である `物事の景気というものは己の知力が強ければ必ず見えるところであ る `兵法が自在の身になって後は、敵の心をよく測れて勝つ道が多くなるものである `工 夫あるべし 火の巻 七 一 剣を踏むという事 現代語訳 `剣を踏む `という手法は兵法に専ら用いられる件である `まず、大分の兵法にあっては、 弓・鉄砲においても、敵がこちらへ打ちかけ何でも仕掛けてくるとき、敵は弓でも鉄砲でも 放っておいてその後にかかってくることから、こちらがまた弓を使ったり、また鉄砲に火薬 を込めたりしていては、かかって行くとき突入しにくい `弓でも鉄砲でも敵が放っている うちにはやくかかる感覚である `早くかかれば矢も番えにくい `鉄砲も撃ち得ぬ感覚であ る `何か物事を敵が仕掛けたら、そのままそこに生ずるその利を生かして、敵のすることを 踏み付けて勝つ手法である `また、一分の兵法も、敵の打ち出す太刀の後へ打てば `とったん、とったん `となって捗 行かぬところである `敵の打ち出す太刀は、足で踏み付ける感じで打ち出すところを打ち、 二度目を敵が打ち得ぬようにすべし `踏む `というのは足には限らない `胴体でも踏み、 心でも踏み、もちろん太刀でも踏み付けて、二度目を敵に打たせぬように心得るべし `これ すなわち物事の先の心である `敵と同時にといっても衝突するという意味ではない `その まま後に付く感覚である `よくよく吟味あるべし 火の巻 八 一 くづれを知るという事 現代語訳 `崩れ `ということは物毎にあるものである `その家が崩れる、身が崩れる、敵が崩れるこ とも、その時機に中って拍子が狂って崩れるのである `大分の兵法にあっても、敵の崩れる 拍子に乗じて、その間を逃がさぬように追いたてることが肝要である `崩れるところの息 すなわち呼吸を逃がしては、敵は立て直すところがあろう `また、一分の兵法でも、戦の中 で敵の拍子が違って崩れ目が生ずるものである `そのあたりを油断すれば、また敵が立ち 直り、勢い新たになって、捗行かなくなるのである `その崩れ目に付け込み、敵が顔を立て 直さぬように確実に追いかけるところが肝要である `追いかけるというのは真っ直ぐに強い心である `敵が立て直れぬように打ち放すもので ある `打ち放すということ、よくよく分別あるべし `離れねば後までぐずりかねない `工 夫すべきものである 火の巻 九 一 敵になるという事 現代語訳 `敵になる `というのは `己が敵に成り代わったつもりで思考すべきということである ` 世の中を見るに、盗みなどして家の内へ立籠るような者をも、その敵を強いと思い込むもの である `敵になって思えば、世の中の人を皆相手とし、逃げ込んで、抜き差しならぬ心であ る `立籠る者は雉子である `打ち果たしに入る人は鷹である `よくよく工夫あるべし `大 分の兵法にあっても、敵といえば強く思って大事にしてかかるものである `優れた隊を持ち、兵法の道理をよく知り、敵に勝つというところをよく捉えて後は気遣い する必要はない `一分の兵法でも敵の身になって思うべし `兵法をよく心得て、道理も強 く、その道に達者な者であれば、必ず `負ける `と思うところである `よくよく吟味すべし 火の巻 一〇 一 四手を放すという事 現代語訳 `四手を放す `とは `敵も己も同じ心で張り合うすなわち四つに組む感じになっては戦が 捗行かぬものである `張り合う感じになると思ったならば、そのままその情態を捨てて、別 の利を以て勝つことを知る、というものである `大分の兵法にあっても、四手気味になると 捗行かず、兵を損ずることになる `はやくその情態を捨てて、敵の思いもつかぬ利を以て勝 つことが専一である `また、一分の兵法においても、四手になると思ったならば、そのまま 情態を変えて、敵の形勢を捕らえて、全く別の利を以て勝ちを弁えることが肝要である `よ くよく分別すべし 火の巻 一一 一 かげをうごかすという事 現代語訳 `陰を動かす `というのは `敵の心が窺い知れぬときの手法である `大分の兵法にあって も、なんとも敵の状況が判らぬときは、こちらから強く仕掛けるように見せて、敵の手立て を見るものである `手立てを見てしまえば、それと全く別の利によって勝つことは容易い ところである `また、一分の兵法にあっても、敵が後ろに太刀を構えたり、脇に構えたよう なときは `ふっ `と打とうとすれば、敵は心算を太刀に表すものである `表れ、知れるにお いては、そのまま利を生かして、確実に勝ちを知れるものである `油断すれば拍子が抜ける ものである `よくよく吟味あるべし 火の巻 一二 一 かげをおさえるという事 現代語訳 `影をおさえる `というのは `敵の方から仕掛けてくる心が見えたときの手法である `大 分の兵法にあっては、敵がなにかわざをしようとするところを `おさえる `といって、こち らからその利をおさえるところを敵に強く見せれば、強さに気圧されて、敵の心は変わるも のである `己も、心を違えて、空なる心から先を仕掛けて勝つところである `一分の兵法に あっても、敵の起こす強い気ざしを利の拍子を以て止めさせ、止んだ拍子に己は勝つ利を生 かして先を仕掛けるものである `よくよく工夫あるべし 火の巻 一三 一 うつらかすという事 現代語訳 `うつらかす `というのは `物毎にあるものである `あるいは眠りなどもうつり、あるいは 欠伸などもうつるものである `時がうつるというのもある `大分の兵法にあっては、敵が うわついて事を急ぐ心の見えるときは、少しもそれに構わぬようにして、いかにもゆるりと なって見せれば、敵も我が事のように受けてその気分になり、弛むものである `その `うつ った `と思ったとき、こちらから空の心にして、はやく強く仕掛けて勝利を得るものである `一分の兵法にあっても、己の身も心もゆるりとして、敵の弛みの間を捉えて、強くはやく 先に仕掛けて勝つのが専一である `また `よわせる `といって、これに似ていることがある `一つは、無気力の心 `一つは、浮かれる心 `一つは、弱くなる心 `よくよく工夫あるべし 火の巻 一四 一 むかつかせるという事 現代語訳 `むかつかせる `というのは `物毎にある `一つには、切迫した心 `二つには、無理な心 `三つには、思いがけぬ心 `よく吟味あるべし `大分の兵法にあっては、むかつかせることが肝要である `敵の思いがけぬところへ息苦し いほどに仕掛けて、敵の心が定まらぬうちに己が利を以て先を仕掛けて勝つことが肝要で ある `また、一分の兵法にあっても、はじめはゆるりと見せて、俄に強くかかり、敵の心が 動揺するにしたがい、息つく暇も与えず、そのまま利を生かして勝ちを弁えることが肝要で ある `よくよく吟味あるべきである 火の巻 一五 一 おびやかすという事 現代語訳 `おびえる `ということ `物毎にあることである `思いもい寄らぬことにおびえる心であ る `大分の兵法にあっても、敵をおびやかすのは眼前のことではない `あるいは物の声で もおびやかし、あるいは小を大にしておびやかし、また傍らからふとおびやかすこと、これ おびえるところである `そのおびえる拍子に乗じて、その利を以て勝つべし `一分の兵法 にあっても、身を以ておびやかし、太刀を以ておびやかし、声を以ておびやかし、敵の心に ないことを仕掛けて、おびえるところの利を生かしてそのまま勝を得ることが肝要である `よくよく吟味あるべし 火の巻 一六 一 まぶれるという事 現代語訳 `まぶれる `というのは `敵味方が近くなって、互いに強く張り合って、捗行かぬと見れば、 そのまま敵と一つにまみれ合って、まみれ合っているそのうちに利を以て勝つことが肝要 である `大分・小分の兵法でも、敵味方分かれて対峙しては互いに心が張り合って、勝負の つかぬときは、そのまま敵にまみれて互いに見分けられぬようにして、その中にいることの 徳を得て、その中の勝機を知って、強く勝つことが専一である `よくよく吟味あるべし 火の巻 一七 一 かどにさわるという事 現代語訳 `角にさわる `というのは `何事も、強い物を押すと、そのまま真っ直ぐには押し込みにく いものである `大分の兵法にあっても、敵の隊を見て、張り出しの強い所の角に当たってそ の利を得るべし `角が減るにしたがい、どこもみな減る感覚である `その減る中にあって も、角々に気を配って勝つ利を生かすことが肝要である `一分の兵法にあっても、敵の体の 角に痛みを付け、その体が少しでも弱くなり、崩れる体になってしまえば勝つことは容易い ものである `この事をよくよく吟味して勝つところを弁えることが専一である 火の巻 一八 一 うろめかすという事 現代語訳 `うろめかすすなわちおろおろさせる `というのは `敵に揺るがぬ心を保たせぬようにす るところである `大分の兵法にあっても、戦の場において敵の心を測り、こちらの兵法の知 力を以て敵の心をそこここと弄し `どれか `あれか `と思わせ `遅い `はやい `と思わせ、 敵がうろめく心になる拍子に乗じて確実に勝つところを弁えることである `また、一分の 兵法にあって、こちらの好機に臨んでは色々なわざを仕掛け、あるいは `打つ `と見せ `あ るいは `突く `と見せ `または `入り込む `と思わせ、敵のうろめく気ざしを捕らえて自 由に勝つところ、これ戦の専一である `よくよく吟味あるべし 火の巻 一九 一 三つの声という事 現代語訳 `三つの声 `とは `初・中・後の声 `といって `三つにかけ分けることである `時と所によ り声をかけるということが専一である `声は勢いであるから、火事などでもかけ、風・波で もかけ、声は勢力を見せるものである `大分の兵法にあっても、戦において初めにかける声 は極力威圧する勢いで声をかけ、また戦う間の声は調子を引き下げて底から出る声でかか り、勝って後背後に大きく強くかける、これ三つの声である `また、一分の兵法にあっても、敵を動かすため、打つと見せて、頭から `えい `と声をか け、声の後ろから太刀を打ち出すものである `また、敵を打って後に声をかけるものは勝ち を知らせる声である `これを `先後の声 `という `太刀と同時に大きく声をかけることは ない `もし戦の中でかけるとすれば、拍子に乗る声を引き下げてかけるのである `よくよ く吟味あるべし 火の巻 二〇 一 まぎれるという事 現代語訳 `紛れる `というのは `大分の戦にあっては、隊を互いに立て合い、敵が強いとき `紛れる `といって、敵の一方へかかり、敵の崩れるのを見たら捨て置いて、また強い方へかかる、 概ね九十九折のようにしてかかる手法である `一分の兵法にあって敵を大勢引き寄せるの もこの手法が専一である `方々へかからず、一方が逃げたらまた強い方へかかり、敵の拍子 に乗じて、いい拍子に `左 `右 `と九十九折のような感じで敵の気色を見合ってかかるも のである `その敵の形勢を把握し、敵中を打ち通るにおいては、少しも引く心なく、強く勝 つ利である `一分での入身のすなわち敵の身に己の身を入れ込むときも、敵の強さに対す るにはこの心が要る `紛れるということは、一足も引くことを知らず紛れゆくという意味 である `よくよく分別すべし 火の巻 二一 一 ひしぐという事 現代語訳 `ひしぐ `というのは `たとえば、敵を弱く見做して、己が強めになって、ひしぐという意 識が専一である `大分の兵法にあっても、敵の隊の形勢を見抜き、または大勢なりとも敵が うろめいて気弱になりかけているところであれば `ひしぐ `といって、頭から嵩にかかっ て押しひしぐ手法である `ひしぐことが弱ければ敵が盛り返すことがある `手の中に握っ てひしぐ感覚をよくよく分別すべし `また、一分の兵法のときも、己の腕より劣る者、または敵の拍子が違って後ずさり気味に なるとき、少しも息つく暇を与えず、目を見合わせぬようにし、一気にひしぐ格好にするこ とが肝要である `少しも立ち直らせぬところが第一である `よくよく吟味あるべし 火の巻 二二 一 さんかいのかわりという事 現代語訳 `山海の心もしくはかわり `というのは `敵味方の戦の中で同じ事を度々することはまず いところである `同じ事二度までは是非に及ばず、三度すべきではない `敵にわざを仕掛 ける際、一度で用いねば、もう一つ攻めかけてもその利は得られない `全く別の変わったこ とを `ふっ `と仕掛け、それでも捗行かねば、また全く別の事を仕掛けるべし `したがって `敵が `山 `と思ったならば `海 `と仕掛け `海 `と思ったならば `山 `と仕掛ける心が 兵法の道なのである `よくよく吟味あるべきことである 火の巻 二三 一 そこをぬくという事 現代語訳 `底を抜く `というのは `敵と戦う際、兵法の道の利を以てうわべでは勝つと見えても、敵 は不屈の心を絶やさぬことで、うわべでは負けても下すなわち底の心は負けぬことがある `その件においては、己が俄に変わった心になって敵の心を絶やし、底から負ける心に敵が なるところを見ることが専一である `この底を抜くこと、太刀でも抜き、また身体でも抜き、 心でも抜くのである `ひと道に弁えてはならない `敵が底から崩れたときは、己は心に残 す必要はない `そうでないときは残す感覚である `己に残す心があると敵は崩れにくいも のである `大分・一分の兵法にあっても底を抜くところをよくよく鍛錬あるべし 火の巻 二四 一 あらたになるという事 現代語訳 `新たになる `とは `敵と己が戦うとき、縺れる感じになって捗行かぬとき、己の気分を振 り捨て、物事を新しく始めるつもりになって、その拍子を捉えて勝ちを弁えることである ` 新たになる場合はいつでも `敵と己とが軋む情態になる `と思ったならば、そのまま情態 を変えて、全く別の利を以て勝ちを得るのである `大分の兵法においても、新たになるとい うところを弁えることが肝要である `兵法の知力では忽ち見えるところである `よくよく 吟味あるべし 火の巻 二五 一 そとうごしゅという事 現代語訳 `鼠頭午(牛)首 `というのは `敵との戦の中で、互いに細かい所を探り合って縺れる情態 になるとき、兵法の道を常に `鼠頭午(牛)首、鼠頭午(牛)首(鼠の頭から牛の首を思い 浮かべよ) `と思って、ごく小さな心のうちに俄に大きな心にして、大小を変えることであ る `兵法の一つの心立てである `平生 `人の心も鼠頭午(牛)首 `と思うべきところが武士 の肝心である `兵法の大分・小分にあってもこの心を離れてはならない `このことはよく よく吟味あるべきものである 火の巻 二六 一 しょうそつをしるという事 現代語訳 `将、兵卒を知る `とは `誰しも戦に及ぶとき、己の思う道に達して後は絶えずこの兵卒を 知るという法を行い、兵法の知力を得て、己の敵たる者を `皆、己の兵卒である `と思い做 して `やりたいようにやろう `と心得 `敵を自由に振り回そう `と思うところ、己は将で ある `敵は兵卒である `工夫あるべし 火の巻 二七 一 つかをはなすという事 現代語訳 `柄を放す `というが、色々な意味のあることである `無刀で勝つという意味もある `また、 太刀で勝たぬという意味もある `様々心ゆくまで書付けることはしない `よくよく鍛錬す べし 火の巻 二八 一 いわおの身という事 現代語訳 `巌の身 `ということ `兵法の道を体得して、忽ち巌の如くになって、万事打ちにも当たら ぬところ `攻めにも動かぬところ `口伝 火の巻 二九 後書 現代語訳 `右に書付けた内容は、我が流剣術の場にあって絶えず思い当たることのみ言い表し置くも のである `今初めてこの利すなわち有効性や優位性を書き記すものであるから、後先と書 き紛れる心があって、こまやかに言い分け難い `しかしながら、この道を学ぼうとする人に とっては心の標になるはずである `我は若年より以来、兵法の道に心がけて、剣術ひと通り のことにも手を涸らし身を涸らして鍛え、色々様々の心になり、他の流派をも調べてきたが、 あるいは口で言い託け、あるいは小手先で細かなわざをして人目によさそうに見せている が、それらは一つも実の心ではない `もちろん、そのような流派の事を仕習っても、身体を 利かせ習い、心を利かせ修めていることと思いはするが、みなそれらは道の病弊となって、 後々までも失せ難くして、兵法の直道が世に朽ちて道の廃る根源なのである `剣術が実の 道になって敵と戦い勝つこと、この法といささかも変わることがあってはならない `我が 兵法の知力を得て真っ直ぐなところを行うにおいては、勝つことは疑いのないものである `正保二年五月十二日 新免武蔵 `寺尾孫之丞殿 `寛文七年二月五日 寺尾夢世勝延 花押 `山本源介殿 五輪書 風の巻 一 他流の兵法の道を知る事 現代語訳 `他流の兵法を書付け `風の巻 `としてこの巻に表すところである `他流の道を知らずし ては我が流の道は正確には弁え難く、他の兵法を調べてみるに、大きな太刀を取って、強い ことを専一にして、そのわざをする流派もある `あるいは小太刀といって短い太刀を以て 道を勤める流派もある `あるいは太刀数を多く産み出し、太刀の構えを以て `おもて `と 言い `奥 `として道を伝える流派もある `これみな実の道でないことをこの巻の奥にしか と書き表し、善悪理非を知らせるのである `我が流の道理は全く別物である `他の流派は、 芸の域になって、生業の手段にして、色を飾り花を咲かせ、売物として拵えたものであるか ら、実の道ではないのではあるまいか `また、世の中の兵法は、剣術のみに小さく見立てて、 太刀を振り習い、身体を利かせて、手の涸れるほど鍛えるところを以て勝つことを弁えてい るが、いずれも確かな道ではない `他流の短所となるところを一つ一つこの書に書き表す ものである `よくよく吟味して二刀一流の利を弁えるべきものである 風の巻 二 一 他流に大きな太刀を持つ事 現代語訳 `他流に大きな太刀を好む流派がある `我が流派の兵法からすれば、これを弱い流派と見立 てるのである `そのわけであるが、他の兵法は、なんとしても人に勝つ、という理を知らず に、太刀の長いことを徳として、敵との間合の遠い所から勝とうと思うが故に長い太刀を好 む心になるのであろう `世に言うところの `一寸手まさりすなわち一寸でも手の長い方が 有利 `といって、兵法を知らぬ者の沙汰である `したがって、兵法の利なくして長いことを 以て遠くから勝とうとする、それは心が弱いせいであることから弱い兵法と見立てるので ある `もし敵との間合が近く、組み合うほどのときは、太刀が長いほど、打つことも利かず、太 刀の振れる範囲も狭く、太刀を荷物にしてしまい、小脇差や素手の人に劣るのである `長い 太刀を好む身にしてみれば、それへの言い分もあろうが、それはその者一人の理である `世 の中の実の道から見るときは、道理のないことである `長い太刀を持たずに短い太刀で戦 えば、必ず負けるのではあるまいか `あるいはその場により上・下・脇などの窮屈な所、あ るいは脇差ばかりの座においても、長いのを好む心は `兵法の疑い `といってまずい心で ある `人により、力の弱い者もあり、その身体により長い刀を差すことのできぬ者もある `昔か ら `大は小を兼ねる `と言うし、むやみに長いのを嫌うのではない `長いのに偏る心を嫌 うというはなしである `大分の兵法にあっては、長太刀は大隊である `短いのは小隊であ る `小隊と大隊で合戦は成り立たぬのであろうか `小隊で大隊に勝った例は多い `我が流 においては、そのように偏る狭い心を嫌うのである `よくよく吟味あるべし 風の巻 三 一 他流において強みの太刀という事 現代語訳 `太刀に `強い太刀 `弱い太刀 `ということのあるはずがない `強い心で振る太刀は荒い ものである `荒いばかりでは勝ち難い `また `強い太刀 `といって、人を斬るときにあっ て無理に強く斬ろうとすれば、斬れぬのである `試し物などを斬るのにも、強く斬ろうとす るのはまずい `誰においても、敵と斬り合うとき `弱く斬ろう `強く斬ろう `と思う者は いない `ただ人を `斬り殺そう `と思うときは、強い心もなく、もちろん弱い心でもなく ` 敵が死ぬほど `と思うだけである `また、強みの太刀で人の太刀を強く張れば、張り過ぎて、 必ずまずい感じになる `人の太刀に強く当たれば己の太刀も折れ砕けるところである `し たがって、強みの太刀などどいうものはないのである `大分の兵法にあっても、強い隊を持ち、合戦において `強く勝とう `と思えば、敵も強い 人を持ち、戦も `強くしよう `と思う `それはどちらも同じことである `何事にも勝つ、と いうことであるが、道理なくしては勝つことはできない `我が兵法の道においては、少しも 無理なことを思わず、兵法の知力を以ていかようにも勝つところを得るのである `よくよ く工夫あるべし 風の巻 四 一 他流で短い太刀を用いる事 現代語訳 `短い太刀ばかりで `勝とう `と思うのは実の道ではない `昔から `太刀 `刀 `と言って `長い `と `短い `ということを表現している `世の中の強力な者は、大きな太刀をも軽く 振るため、無理に短いのを好むことはしない `そのわけであるが、長さの利を活用するのに 槍や長太刀をも持つのである `短い太刀を以て人の振る太刀の隙間を `斬ろう `飛び込も う `掴もう `などと思う心は偏ってまずい `また、隙間を狙うのは、万事後手に見え、縺れるという感覚があって、我が流では嫌うこ とである `もしくは、短い物で `敵へ入り組もう `捕らえよう `とすること、これも大勢の 敵の中では役に立たぬ手法である `短いので体得した者は `大勢をも斬り払おう `自由に 飛ぼう `暴れよう `と思っても、みな `受け太刀 `というものになり、取り紛れるきらいが あって、確かな道ではないことである `同じことならば、己の身は強く真っ直ぐにして、人 を追い回し、人に飛び跳ねさせ、人がうろめくように仕掛けて、確実に勝つところを専一と するのが道である `大分の兵法においてもその理はある `同じことならば、大隊を以て敵 を矢場に通し、即時に攻め潰すのが兵法の専一である `世の中、人が物を仕習う場合、平生も受けつ躱しつ抜けつ潜りつ仕習っていると、心がそ の道に引きずられて、人に振り回される心が生ずる `兵法の道は真っ直ぐに正しいところ であるから、正しい理を以て人を追い回し、人を従える心が肝要である `よく吟味あるべし 風の巻 五 一 他流で太刀数の多い事 現代語訳 `太刀の扱い方の数を多くして人に伝える行為は、道を売物に仕立てて、太刀数を多く知っ ていることを初心の者に感心させようとするためであろう `兵法で嫌う心である `そのわ けであるが `人を斬ることには色々ある `と思うところが迷う心なのである `世の中にお いて、人を斬ることに代わりの道はない `知る者も知らぬ者も、女・童子も、打ち、叩き斬 る、という道は多くないのである `もし代わりがあるとすれば `突く `薙ぐ `以外はない `まず斬るところの道であるから、数の多くあるべき理由がない `しかし、場により、道すなわち成り行きにしたがい、上や脇などが窮屈な所などにいたな らば、太刀がつかえぬ(支えぬ・使えぬ)ように持つのが道であるから `五方 `という五つ の数の構えはあるはずである `それよりほかに付け加えての、手をねじ、身体をひねって、 飛び、よけて、人を斬ること、は実の道ではない `人を斬るのに、ねじって斬れず、ひねっ て斬れず、飛んで斬れず、よけて斬れず、ではまるで役に立たぬものである `我が兵法にお いては、身なりも心も真っ直ぐにして、敵をひずませゆがませて、敵の心がねじひねれると ころを勝つことが肝心である `よくよく吟味あるべし 風の巻 六 一 他流に太刀の構えを用いる事 現代語訳 `太刀の構えを専一にするのは僻事である `世の中で、構えのある場合とは、敵のないとき のことであろう `その子細であるが、昔からの慣例・今の世の法などとして定まった法や例 を立てることなど勝負の道にはあるべくもない `その相手に都合の悪いように企むもので ある `何事も構えというものは動揺せぬところを用いる心である `あるいは城を構える、 あるいは陣を構える、などは、人に仕掛けられても強く動かぬ心、これ常のはなしである ` 兵法の勝負の道においては、何事も先手先手と心がけることである `構えるという心は先 手を待つ心である `よくよく工夫あるべし `兵法の勝負の道は、人の構えを動かし、敵の心にない事を仕掛け、あるいは敵をうろめか せ、あるいはむかつかせ、またはおびやかし、敵の紛れるところの拍子の利を生かして勝つ ことであるから、構えという後手の心を嫌うのである `そうしたことから、我が兵法の道で は `有構無構 `といって `構えは有って構えは無き `と言うのである `大分の兵法でも、敵の隊の多少を覚え、その戦場の所を捉え、こちらの隊の形勢を知り、 その徳すなわち優位性を得て、隊を立て、戦を始めること、それ合戦の専一である `人に先 を仕掛けられた場合と、己が人に仕掛けるときではその徳は倍も変わる感じである `太刀 をよく構え、敵の太刀をよく捉え、よく張ろうと意識するのは、槍や長太刀を持って柵越し に振っているに等しい `敵を打つときは、また柵木を抜いて槍や長太刀に使うくらいの心 意気である `よくよく吟味あるべきことである 風の巻 七 一 他流に目付という事 現代語訳 `目付すなわち目の付けどころ `といって、その流派により敵の太刀に目を付けるのもあり、 または手に目を付ける流派もある `あるいは顔に目を付け、あるいは足などに目を付ける こともある `その如く、とりわけて一つの所に目を付けようとしては紛れる心が生じて兵 法の病というものになるのである `その子細であるが、たとえば鞠を蹴る人は、鞠によく目 を付けずとも鬢摺を蹴り、負鞠を仕流しても、蹴り回っても、蹴っている `物に慣れている ところがあるため、しかと目で見る必要がない `また、田楽法師の伝統を継承する大道芸の 放下などをする者のわざでも、その道に慣れてしまえば、扉を鼻に立て、刀を幾振りも手玉 にとったりなどするものである `これみな、しかと目付しているわけではないが、常々手に 触れているため、おのずと見えるのである `兵法の道においても、あの敵この敵と戦い慣れ、 人の心の軽重を覚え、道を行い体得して後は太刀の遠近遅速までもみな見えるものである `兵法の目付は大方相手の心に付けた眼である `大分の兵法にいたっても、その敵の隊の形 勢に付けた眼である `観 `見 `二つの見方のうち、観の目は強くして、敵の心を見、その場 の形勢を見、大きく目を付けて、その戦の景気を見、その折節の強弱を見て、まさしく勝ち を得ることが専一である `大小の兵法において小さく目を付けることはない `前にも記し た如く、こまやかに小さく目を付けることによって、大きな事を取り忘れ、迷う心が出てき て、確実な勝ちを逃がすものである `この利をよくよく吟味して鍛錬すべきである 風の巻 八 一 他流に足使いのある事 現代語訳 `足の踏み方に `浮足 `飛足 `跳ねる足 `踏みつめる足 `からす足 `などといって色々早 足を踏むすなわち軽快な足捌きをすることあり、これみな我が兵法から見れば短所に思う ところである `浮足を嫌うこと `そのわけであるが、戦になれば必ず足は浮きがちになる ものであるから、極力確実に踏むのが正しい道である `また、飛足を好まぬこと `飛足は、 飛ぶ起こりすなわち踏み切るまでの溜めがあって、飛んで居着くすなわち着地直後動けぬ 間がある `幾飛びも飛ぶという理もない故に飛足はまずい `また、跳ね足 `跳ねるという 意識によって捗行かなくなるものである `踏みつめる足 `待ちの足といって、殊に嫌うこ とである `その他、からす足、色々な早足などがある `あるいは沼、湿地、あるいは山、川、 石原、細道においても敵と斬り合うものであるから、所により飛び跳ねることもならず、早 足の踏めぬ所もあるものである `我が兵法において、足に変わることはない `常の道を歩むが如しである `敵の拍子にした がい、急ぐときや静かなときの体勢をとって、足らず、余らず、足がよろよろせぬようにあ るべきである `大分の兵法にあっても足を運ぶことは肝要である `そのわけは、敵の心を 知らず、むやみにはやくかかれば拍子が狂い、勝ち難いものである `また、足踏みが悠長で は、敵がうろめき合って崩れるといったところを見い出せずに、勝つことを逃がして、はや く勝負がつけられぬものである `うろめき崩れる場を見分けて、少しも敵を寛がせぬよう に勝つことが肝要である `よくよく鍛錬あるべし 風の巻 九 一 他の兵法にはやきを用いる事 現代語訳 `兵法の `はやい `というのは、実の道ではない `はやい `というものは、物事の拍子の間 と合わぬために `はやい `遅い `というのである `その道の上手になって後は、はやく見 えぬものである `たとえば人には `はや道すなわち道急または飛脚 `といって四十里・五十里行く者もある `これも朝から晩まではやく走るわけではない `道の不堪な者は一日走るようであっても 捗行かぬものである `乱舞すなわち能・猿楽等の道で、上手の謡う曲に下手が付けて謡えば、 遅れがちになっていそがしいものである `また、鼓・太鼓で `能の老松 `を打つ際、静かな 調子であっても、下手はこれにも遅れ、焦って急ぎがちになる `高砂 `は急な調子であるが、 はやいというのはまずい `はやきはこける `といって、間に合わない `もちろん遅いのも まずい `これも上手のすることはゆったりと見えて間が抜けていないのである `諸事仕慣 れた者のすることはいそがしく見えぬものである `この譬えを以て道の理を知るべし `殊に兵法の道において、はやいというのはまずい `そ の子細であるが、これも所によって、沼・湿地などにおいて身体・足共にはやく行きにくい `太刀はいよいよはやく斬ることができない `はやく斬ろうとすれば扇・小刀のようにはい かず、ちゃっと手早く斬れば少しも斬れぬものである `よくよく分別すべし `大分の兵法にあっても `はやく急ぐのはまずい `枕をおさえる `つもりであれば少しも 遅いことはないのである `人のむやみにはやいことなどには `背く `といって、静かにな り、人に合わせぬところが肝要である `これは心の工夫鍛錬あるべきことである 風の巻 一〇 一 他流に奥表という事 現代語訳 `兵法のことにおいて `いずれを `表 `といい、いずれを `奥 `というのか `芸によっては、 事に触れて `極意 `秘伝 `などといって、奥義や入口があるが、敵と打ち合うときの理にお いては、表で戦い、奥を以て斬る、などということはない `我が兵法の教え方であるが、初 めて道を学ぶ人には、そのわざの成し易いところをさせ習わせ、合点の早くゆく理を先に教 え、理解の及び難いことを、その人が理解の糸口を掴める所を見分けて、次第次第に深い所 の理を後に教えるようにしている `しかし、大抵はその事すなわち実践に対する様々を覚 えさせるのであるから `奥 `口 `というのはないものである `さて世の中では、山の奥を 尋ねる際 `もっと奥へ行こう `と思えば、また口に出るものである `何事の道においても、 奥の役立つところもあり、口を出してよいこともある `この戦の理において、何を隠して、 何を表に出そうというのか `したがって、我は道を伝える際、誓紙や罰文を書くなどいうことを好まない `この道を学 ぶ人の知力を窺い、真っ直ぐな道を教え、兵法の五道・六道の悪しき所を捨てさせ、おのず と武士の法の実の道に入り、疑いない心にすることが我が兵法の教えの道である `よくよ く鍛錬あるべし 風の巻 一一 後書 現代語訳 `以上、他流の兵法を九か条として `風の巻 `にあらまし書付けた内容は一つ一つの流派の 口から奥に至るまで定かに書き表すべきものであるが、わざと `何流の何の大事 `とも名 を書き記さなかった `そのわけは、流派流派の見立て、その道その道の見解、人に依り、心 に任せて、それぞれの考えがあるものであるから、同じ流派でも少々変わるものであるから、 後々までのために `何流、何の筋 `などとも書き載せない `他流を概ね九つに言い分けた が、世の中の道や人の真っ直ぐな道理から見れば、長さに偏り、短いのを利にし、強い弱い も偏り、あらい細かいということもみな偏った道であるから `他流の口、奥 `と表現せずと も、みな人の知れるはなしである `我が流において、太刀に奥口なし `構えにきわまりなし `ただ心を以てその徳を弁えるこ と、これ兵法の肝心である `正保二年五月十二目 新免武蔵 `寺尾孫之丞殿 `寛文七年二月五日 寺尾夢世勝延 花押 `山本源介殿 宮本武蔵 五輪の書 空の巻 補足)空の巻は未完につき、序文のみになります。 空の巻 一 (段) 序文 現代語訳 `二刀一流の兵法の道を `空の巻 `として書き表すこと `空 `という心は、物毎の無いとこ ろや知れぬことを `空 `と見立てるのである `もちろん `空 `は `無き `である `有ると ころを知って無いところを知る、これすなわち空である `世の中において、低俗な見方からは、ものを弁えぬところを空と見るところがあるが、実 の空ではなく、みな迷う心である `この兵法の道においても、武士として道を行う際、士の 法を知らぬところを、空などではなく色々迷いがあって仕方のないところを `空 `と言っ ているが、これは実の空ではないのである `武士は兵法の道を確実に覚え、その他武芸をよ く勤め、武士の行う道少しも暗からず、心の迷うところなく、朝々時々に怠らず、心・意、 二つの心を磨き、観・見、二つの眼を研ぎ、少しも曇りなく迷いの雲の晴れたところこそ実 の空と知るべきである `実の道を知らぬ間は、仏法に依らず、世法に依らず、各々己は `確かな道 `と思い `よい 事 `と思っているが、心の直道からすれば、世の大矩すなわち基準に合わせて見るときは、 その身その身の心の贔屓、その目その目の歪みによって、実の道には背くものである `その 心を知って、真っ直ぐなところを本とし、実の心を道として、兵法を広く行い、正しく明ら かに大きなところを心に留めて、空を道とし、道を空と見るべきである `空には善有りて悪無し `知は有なり `利は有なり `道は有なり `心は空なり `正保二年五月十二日 新免武蔵 `寺尾孫之丞殿 `寛文七年二月五日 寺尾夢世勝延 花押 `山本源介殿

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