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20240511

今週の平日いっぱいがあんまり良くない気持ちの状態だったせいもあって、本当は行こうと思ってたイベントとかお誘いがいくつもあったんだけどいずれにもごめんなさいを念じてひとりだけで動く時間を作った。結果として良かったのかな。

午後からのんびり西洋美術館に行った。行った目的は、
“Does the Future Sleep Here?-ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?-”

帰り際。
夕方は上野公園が空いてて嬉しい

会期が明日5/12までとのことで、明日はキンスパDay2だから今日しかないかと思って足を運んだ。

内容、色々あったが個人的にすごく良かった。何よりも布施琳太郎さんと〜離さんの展示が凄く焼き付いてる。内藤礼さんのcolor beginningも見て良かったと思った作品のひとつ。
展示作品を見て色々思ったこと考えたことがあり、自分自身としての現状の考えをポロっと出してしまうのは野暮なことかもと思いつつ、乱雑でもいいから今の気持ちは色々書き留めておきたいとも思った。今感じたことと、この後考えることはだいぶ違うだろうし、違うのだということは自分にしか分からないのだからその観察のためにも。その大きなまとまりや形が展示された作品たちであったり、作品たちを収容している美術館自体(コルビジェはこれが無限に増設されるような思想で設計していて果ては無いらしい)だということであったから、その最小単位であるところ、原子、もっともっと小さい単位かもしれない、の出現を少しでも大事に思わなければいけないかもしれない。ただ、これは誰にでも見えるところに置くものでもないな。

にしても久々に美術館に来たがやっぱり定期的に来たいし、ひとりじゃないとこういうところはこれないなぁ。会社の同期の子とこの展示に行こうと以前話していて、結局今日ひとりで来てしまったが、ひとりでやっぱり正解だったと感じてしまった。でもごめんなさいの気持ちはある。うーん。

キンスパ用の買い物もひと通りする。重い。
WMも見る。萌えがデカすぎる。スクショが増えすぎた。

日野下花帆さんの誕生日配信はスリブだけで行われるらしい。自分としての本当の気持ちは村野さやかさんや大沢瑠璃乃さんにもお祝いしてほしいというところにあるのだが、やっぱりいろいろ鑑みても難しいのだろうし、それよりも観測しているこちら側があまりに余白を埋めようとしすぎているのかもしれない。「ここから先はイマジナリーの領分である」ことに対しての想像すらできなくなってるのだと考えたらちょっと自分に衰えが発生しているようで恐ろしくなった。同時に、今回のことは変化に対する反発心でもあると思う。去年までクラブ6人フルメンバーでお祝いしていたこともあり、その記憶から皮算用していた気持ちを取り上げられたような心持ち。本当にただの皮算用でしかなくて、こういう皮算用はリアルタイムコンテンツに横たわってる時間に対しての敬意と、それから他者に対しての誠意と相性が悪いのだと思う。
真摯でありたいし、どっちつかずで居たくないのでとてもモヤモヤする。モヤモヤした。

別の考えごとで、モヤモヤがちょっと晴れたこともあった。なので今日は結果オーライの日。

明日はキンスパでちょっと緊張してきた。何に?

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