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あおいはる

中学生時代、拙宅の家では一時期同居していた祖父の意向で、漫画とアニメとゲームが禁止になった事がある。

勿論それについて当方はメロスと同じ位激怒したのだが、【朝食は午前六時半・白米と味噌汁と焼き魚、漬物は糠漬け】という無理難題を突き付けられた母親の憔悴っぷりを見ていると何も言う事は出来なかった。

町内会でも(本人にとっては不名誉なことに)短気で有名な母が『3ヶ月だから、アンタも我慢して』と苦虫を噛み潰したような顔で言われた日にはこちらも言葉を飲み込むしかない。
それに、3ヶ月後には祖父は我が家から車で片道3時間の温泉しか娯楽のないド田舎の老人ホームへと送還されるのだ。

なお、実の息子である父は自分の父、つまり当方にとっての祖父に対して大変苦手意識を持っており、祖父と暮らした3ヶ月間、借りてきた猫というより屋根裏の鼠、床下のアライグマ、昼間のドラキュラのように静かだった。

分からんでもない。
元警官で剣道師範、堅物でまっすぐ根性論の祖父の事をMr.オクレ似のSF特撮アニメマニアの父が分かり合う事は天動説が証明されても無理だろう、というか本当に祖父の遺伝子を父が受け継いでいるのかを疑う。

斯くして、居間にあった本棚の漫画やラノベ、雑誌は納戸に一次避難し、アニメビデオやゲームの類は書斎の押し入れに隠され、その代わりに池波正太郎や司馬遼太郎、全日本剣道選手権の録画ビデオが並ぶ事になった。
剣客商売なんてジジイが幼妻迎えて毎回事件解決する話なんだからラノベと大して変わらんかろうと思っていたのだが(ぶっ飛ばされるぞ)まぁ、人の好みはそれぞれである。

突如として行われた模様替えは勿論居間だけでは飽き足らず『日当たりが良い』という理由だけで我が城である六畳の部屋を祖父に明け渡すことになり、さながら引っ越しのような体で漫画とゲームと攻略本を車庫まで運ぶ事になった。
当方、収集癖があるので、ゲーム雑誌やアニメ雑誌なんて当時スクラップして何冊も抱えていたものだから重さにあっぷあっぷした記憶がある。
あの情熱を勉強に向けていたら少なくとも国立は受かっただろう。向けなかったので国立には行っていない。

自室がないのは不便だが、広い居間で布団敷いて寝るのは開放感があったし、後、でかいテレビでイヤホンして深夜アニメ観れるなんてのは中々あるシチュエーションじゃないので心が踊った。
あの時代は地方でアニメやるつったら猫も杓子も深夜である。今の若い子が聞いたら卒倒するだろうが、当方が十代そこそこの頃は午前二時に部屋真っ暗にしてぼそぼそアニメ見るのと声優がパーソナリティのラジオを聞くのが青春だったのだ。

しかし困ったのが週刊連載漫画をどこで読むか、という事だった。
当時は父親が毎週買って帰ってきた雑誌のお溢れを頂戴するハゲタカ戦法を取っていたが、祖父がいる今そんな事できる訳もなく、じゃあどこで父が読んでいるのかと聞いたらわざわざ朝早く出て会社で読んで会社のロッカーで保管しているらしい。
そんな大人いるんだ、と当時思ったが成人した今でもそんな大人見たことがないので、拙宅の父が希少種だったのだろう。

わざわざ小遣いはたいて買っても保管する場所がなければ無駄という物である。一時置き場にしている車庫もいっぱいだし、友達の家に乗り込むとしても発売日当日に読めないのは口惜しい。勿論当時は漫画喫茶なんてのはなかった。

そんな時救世主が現れた。
美術部の田崎さん家の高校生のお姉ちゃんである。

田崎さんは同じクラスで近所に住む女子生徒なのだが、過去、絶賛吹雪いている真冬の夕方に『お姉ちゃんが鍵持ってコンビニバイト行っちゃって』という理由で遭難しかけている所を我が母親が連れてきて風呂に入れて飯食わせた事から縁が出来た。
これはもう当方ではなく世話焼きの母の徳であるが、何故か田崎さんは拙者にも恩義を感じているらしく、事あるごとに良くしてくれた。

『姉ちゃんがバイト終わるまで待てるならジャンプ読ませてやるって』という大変ありがたい提案をしてくれた。
姉様のバイト終了時間は夜の八時。


今でも覚えている。

2つ上、身長が170センチ、くらいしか情報がなくてこっそりレジに立つその人を外から盗み見たら、色が白くて線が細くて泣きぼくろがあって、市松人形の様な髪型をしていた。
今で言う、ワイドバングのロングヘアというやつだ。

ジャンプに気を取られていたが、想像していた『姉ちゃん』とは違っていて(じゃあどんなの想像してたんだと言われたら困るんだが)物凄くドギマギしたのを覚えている。

田崎姉の第一声は『ああ、はいこれジャンプ』だった。次の言葉は『帰ったら読むからここで読んで欲しいんだけど』である。挨拶も何もなかったが、愛想がないとかぶっきらぼうとか、そんな感じではなかった。
近くで見ると大人の女の人みたいだな、と思った。
落ち着いていて、子供っぽいまるさがなく、こんな人でもジャンプ読むんだな、と頭の何処かでつぶやいたのを覚えている。

それから三ヶ月の間、アイドルの出待ちのごとくお姉様を待ち、駐車場でジャンプを読み、帰宅は姉様のチャリにニケツした。
最初は自分が漕ぐと申し出たのだが『人の運転信用してない』と言い切られてしまい、大人しく後ろに乗ることにした。

季節は春だった。海から流れてくるぬるい風が顔に当たって気持ちが良かった。
ロシアから来た船が淡く響くような汽笛をあげていた。何を運んでいるんだろうと後頭部の奥の方で考えていたのを覚えている。

おろした黒くて長い髪が、海藻の様に当方の腕や顔に絡みついて、海の底のようだなと思った。
シャンプーか整髪剤の香りか、百合のような匂いがした。

最初は本当に自転車がパンクして徒歩できていたのだけど、それをずっと言い訳にして、結局3ヶ月の間ずっと自転車で送ってもらった。きっと気がついていたのだろうが、何も言われなかった。

青い春、というといつもこれを思い出す。

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