無題

僕は脳に酸素がいかず確かな苦しさを感じながら頭がくらくらとする妙な快感に安心して眠りにつく。

徐に一本のひもを手に取り首にかける。
それを交差させ僕の力最大に引っ張るとその快感は得る事が出来た。
上京して何年の月日がたった時だろうか。
僕は死と生の狭間にいた。

気づけば真っ暗だったんだ。
雑踏の中をかきわけ予定通りのバスに乗り次に電車に乗る。
ヘットフォンをし、周りの音を遮断し携帯を開く。
何の情報にも興味がわかない。
ただ僕はひたすらに死について検索し続け、その度に出てくる心の健康相談みたいなのに若干の苛立ちを覚えるのだ。
今日こそは死んでしまおう。
そう思い朝が来る。
そして、それは繰り返された。
僕は決して本気でそうなることを望んだわけではなかったのだろう。

僕の中を流れる血液を鋭利なものを利用し解放してやる。
それは確かにこの世界に存在している証拠の様なもので、僕はまた頭がくらくらする感覚を思い出し
世界が歪んで見えたタイミングで自分の腕を吸い上げ口に独特な風味を広げさせた。
そして、吐き気を催し胃酸とともに口から吐き出される。 
トイレの便器に顔を突っ込み跳ね返る水に不快感を覚えないわけではなかったが
それを気にしている余裕というものは持ち合わしてはいなかった。
僕が本当に死を望むのであれば
酸で歯が溶けてしまうのを恐れはしなかっただろうし
鼻水や涙で汚れた顔を洗ったりはしなかっただろう。
きっとめんどくさがりな僕はカピカピになり目があかなくなるまで放置する方が自然な流れのように思える。
それでも僕はその後に丁寧に歯を磨いたし顔も洗い、おまけに保湿までした。

生きてほしいと言われて救われる人もいれば
死んだっていいよと言われて救われる人もいる。
相談される側が気の毒で仕方がない。
相談する方はなんて言ってほしいのか決まっているわけだ、つまり答えがあるってこと。
それがあれば悩んでいないじゃないか。
求めている答えが返って来なかったら、あの時こう言われたから心がもっと重く辛くなった、、なんてほざくのだろう。
腹が立つ。

僕はそんな考えを持ち、それはどんな状況であれぶれなかった。
確実な影を抱えてはいたが誰かに吐き出しはしなかった。
そして、気がつけば視界にはトラバーチン模様が広がり僕は体も動かず動かすことも諦め、眠りにつく。

今辛いのであれば自分のこだわりや考えを少し柔軟にしてみればいい。

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