見出し画像

夫が入院した妻が考えていること その後

昨年の夫の入院から、自分が飽和状態になってしまって、書きたいという気持ちもありつつ、文章にして自分の気持ちを整理するような余裕もなく、日々やるべきことに追われ、自分自身を保つことに必死の一年間を過ごしてきた。

〇夫のこと
ペースメーカーを付けてその後、尿路感染か何かで熱を出し、少し退院が延びたが、無事退院できた。
しかしその後がひどかった。事故を起こしてしまったので、車の運転と外回りを禁止され、あげくZOOMで新規顧客開拓・商談をする部署に回されそうになり、軽く適応障害を発症した。夫の会社内のことを私がどうにかできるわけでもなく、かといって夫を元気づけようというような内助を発揮できる妻でもなく、こんな状態なら転職しようとか独立しようとかおよそ無謀なことを言い出す夫をとにかく制止し、退職は転職先が見つかったら!休職して家にいるなら実家に帰って!とか、その場をしのぎ…って書いてて泣きそうになってきた。こんな状態が1年続いたら離婚だわとかちらっと考えた。

結局命が助かってよかったじゃないという妻のシンプルな考え方は夫にはなく、障害者になって車も運転できなくなって、今まで通りの仕事もできない俺なんか価値ない、みたいな考え方に凝り固まっちゃって、妻の言葉は夫を上滑りするばかり。
まあ、結局昔懇意だった上司で今社長という人が何とか手を回してくれて、部署移動はなし、外回りも車を使わないならOKという形に落ち着き、段々気持ちも落ち着いてきて今は本当に回復したなと思う。
何より去年はかなり私も体調が悪くて、どよーんとした夫に引きずられまいと自分を保つのに体力を消耗していたと今になって思う。だって最近すごく体が楽なんだもの。
ちなみに夫は明日から、尿管結石を除くためにまた入院します(笑)。

〇フラメンコのこと
夫のことがあって、一時期は11月のライブ出演無理かもしれないと思っていたけど、諦めたくなかった。できるところまではやろうと思って、去年の反省も踏まえて自分だったら「こういう風に踊りたい」という部分をすごく追求した。踊らなくちゃではなくて、自分がどう踊りたいかすごく考えた。技術的に追いつかない部分もあったけど、ある人にすごく褒めてもらえて刺激をもらったって言ってもらえて涙が出た。
私はフラメンコに自分を支えてもらっている部分がすごく大きい。6月にはまた発表会だ。今度はグアヒーラを優雅に踊る予定(笑)。

PTAとか子ども会とか
夫のことがあったけど、PTAをやるのは当然昨年4月から開始だったので、広報委員会のお仕事頑張りました!くじで当たっちゃった委員長が10月出産だというので、常任委員会だけお任せして、編集作業はツチダメインで頑張りましたよ。7月と2月とみんなから原稿と写真集めて、私がイラレでデータを作りました。
学校行事の写真を撮りに行ったり、知り合いが増えたり、学年行事で伊達武将隊を呼んだりと大変だったけど、楽しい一年間でした。
子ども会は、今年はクジで健全担当の役員を引き当てちゃいました…。というわけで旗振りの当番やら、巡視活動の当番を皆さんにお願いする管理をしております。来年は会長かな…という気配もありつつ、そしてさ来年は地区の子ども会連合会の当番年なので、子ども会連合会も色々課題あるので、解決するなら自分が中心に飛び込んでしまった方がいいのかも!とか考えつつ。
ちなみに今年のPTA本部役員に誰か推薦してくれた模様で「やらない?」という勧誘が来ましたが、速攻断りました!無理でーす!
だけど、娘2号が今年度で卒園なので、恩返しというほどの仕事はないけど保育園の保護者の会の役員をすることにしました。本当に0歳6カ月からお世話になって、楽しく過ごさせてもらって、心置きなく仕事ができたことに感謝しております。

またノートに書きたいことも山のようにあるので、少しずつでも書いていきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?