8月31日

夏が終わる。

去年も一昨年も同じような気持ちになった気がする。
私はいつだって夏に置いていかれる。もはや夏に限ったことでもない。流れる時間に、季節に、置いていかれる。

苦しみから無理やりにでも距離を置くことを覚えた。
逃げることを覚えた。大人に甘えることを覚えた。
「お前は矢印が自分にしか向いていない」散々言われた言葉がいよいよ現実味を帯びた。思考が定まらない。
感情が暴れて、それを抑え込むことに体力を使う。

働いている時の自分が好きだ。
好きな仕事をしているからではなく。
店頭に立っている時、私は私の表面しか出さなくていい。そして自身も私の表面しか見なくていい。
表面というのは端的に言うと、私の中の「ある程度多数の人に受け入れられる部分」である。それなりに磨いた外見と、服を好きな気持ちと知識、接客スキル、お客様に対する好意的な気持ちと対応。マニュアル通りの接客を…という訳ではなくて、心を込めて働くからこその表面。たくさん褒められて自分でも好きだと思える自分。
結局何が言いたいかというと、うまくやっていくために隠した方がいい部分が多すぎるのだ。
感情に支配される自分が嫌いだ。感情を持ち込むべきでない時間はある種の現実逃避であって、自分から逃げられる時間であるとさえ思う。

よくわからないものが好きだ。
解釈がこちらに委ねられていることが心地良い。
抽象的な言葉や事象に形を持たせる作業が好きだし、敢えてそのままにしておくことで頭の中で世界が広がっていく瞬間も好き。音楽に恋する自分は好き。
強すぎる矢印がこちらに向いている時、私は私でいられなくなる。この前ナンパされたドバイ人に今日プロポーズされた話、早く聞いてもらっていい?この時まさにそうだったから。

来て欲しくない明日は必ず来るし、苦しい日も楽しい日も等しく終わる。どれだけ楽しみにしていて他のことなんて頭の中から消え去っていたって、終わった後の虚しさからは逃げられない。生きている限り生活は続く。
良くも悪くも明けない夜はない。
そんなことに何度も苦しんだ夏だった。

秋になっても変わらず、呼んでもないのに来た朝に毎日絶望しながらダラダラ生きるんだと思う。足りないのは衝動だから。諦めがついたのか、薬を正しく飲めるようになった。めばちこが痛い。右目が半分しか開かない。眼帯生活に全てのやる気を削がれてる。

あの日、夜の靭公園でクズ男が助けた蝉の赤ちゃんは、ちゃんと大人になれたんだろうか。この夏を生きられたのだろうか。

今日は本を読んでから寝よう。

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