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『〈新装版〉群青に染めた』試し読み

群青に染めた

   序

 あるところに、ひとつの星がありました
いまに堕ちようとする、ほのかな、ちいさな星でした
星は、いつか地上と名をつけられた檻のひとつとなることを知っていました
永劫、無辺の空へ還ることはできないとしても
この身がばらばらに砕けて風に吹き消えるとしても
自らを灯す星あかりだけは、消えてほしくないと思いました
ある夜――いよいよさよならを告げる刻が迫ってきた夜です――
星は、星あかりを集めて言いました

いつかわたしがいなくなって、寄る辺のない思いをしても
星のあかりだけが孤独に漂う夜がきても
けして寂しくないように
けしてひとりにならぬように
それがわたしの願いです
ひとびとが星に願いを託すなら
わたしはわたしに願いましょう
いつか土へ還ったあとも
星あかりの空が永遠であることを

星のあかりたちは、星が消えてしまったら
自分たちも消えるしかないことを知っていました
けれども、星の最後の願いをききました
なぜなら、彼らはとても優しいので、そうしたのでした

目次

星の降る夜………六
Lilium candidum………一三  
青いインク………二二
花瓶の底………三一
朝焼けの庭………四〇
White Lilac………四六
天の海に………五四
境界のアリア………五九
Nemophila menziesii………七四
群青に染めた………八一
おわりに………九二


   星の降る夜

星の降る夜、それは永遠よりも永遠だった。青い丘のはるか向う、夢と記憶のその先へ、行けるのならば行けばいいよ。
淡いゆるしの丘の向うへ。

 青い夜だった。星あかりが、黒ぐろとした丘に、かすかなかげを落としている。静かな青い夜だった。人々は深い眠りの園へゆき、あたたかなガウンのなかに微睡みを包んでいる。梟の羽ばたきも息をひそめ、わずかにささめいて沈黙に波紋を生んでゆく。
 天頂のいっとう明るい星が、少しだけ西へ傾いたころだった。にわかに明るい光が群青色の夜空をつらぬいて、まっすぐに降りそそぐ。つぎつぎと幾筋もの尾を引きながら、あちらへ、こちらへ。絶え間なく降りそそぐ。星々の歌声は響きわたり、地を満たし、やがて消えた。あとには沈黙が、なにも知らないかのように横たわる。
 夜はまだ明けない。
 ライラックは、窓際の椅子に体をあずけて本を開いていた。銀の箔を押された題がランプの灯りを反射する。紙面を彩る鮮やかな挿絵は、しかし、文字を追うにはいささか深すぎる闇に溶けかかっているのだった。
 夜は更けていた。細い月はすでに丘の向こうへ沈み、星あかりだけが地面を青く染めている。栞を挟んだ本を置いて、ライラックは立ち上がった。ふと──なぜかそうしなければならない気がして──窓の外を見る。そのとき歌声があたりを満たした。星の声だ。ライラックは思った。呆然と見送るうちに、ひときわ白い光がひとつ、森の影のほうへ落ちて、見えなくなった。
 ――なんて悲しい輝きだろう。あの光は地上と名をつけられた檻のひとつとなって、永劫、無辺の空へ還ることはできないのだ。


『〈新装版〉群青に染めた』は文学フリマ東京36にて頒布予定です

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