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残夏、群青へ問う

それは夏の日だった。
それは薄い雲が浮かぶ夏の日だった。
それは薄い雲が浮かぶ空の下、蜃気楼の中を歩いた夏の日だった。
入道雲の陽のあたらないところのようなぼくらは、光をうけた空の彼方に夢を見た。
そう、あれは薄い雲が遠くの空に浮かぶ夏、蜃気楼の中を歩いた日の出来事だ。

夏の終わり、あの群青は答えを教えてくれるだろうか。

海鳴りが遠く近く響いている。白く波の砕ける音。水際をなぞる透明。傾きはじめた陽光が水面に反射する。どこまでも歩いていけるかもしれなかった。どこまでも歩いていきたかった。どこまでも遠くへ歩いて、生きたかった。

「あの青の向うにこたえがあるのだろうか」
「完璧な答えなんて存在はしないさ」
「それじゃあ、ぼくらは何をめざして生きていけばいいのだろう」
「めざす場所を探すために生きていけば見つかるんじゃないかな」
はるか天空から鳶の音がきこえる。
「鳥はいいよな。どこまでも自由にいけるんだから」
「そうかもしれないな」
「比べて人間ときたら、いつまでも生き急いで、自由なんて言葉はまるで忘れてしまったみたいだ」
「自由は与えられるものではなくて手に入れるものなんだ。だから、鳥がどこへも居場所を持たないことを自由と呼ぶなら、それは自由ではなく孤独なんだよ」
「この社会で孤独でない人間なんか、どこにいるっていうんだよ。誰もが孤独で、自らの孤独を隠して生きている」
「知らなければ望みも生まれないものだ。知ることの不幸、知らないことの幸。結局のところ人間が原初に犯した罪は『知りたいと願ったこと』なのかもしれない」
「それでも、知らないことは不幸せだ。そうだろ」
「幸か不幸かを決めるのは個人だ。もっといえば、個人の刹那的な感情であり、長い年月を経て得た結論は当初の感情とかけ離れていることだってある。きみは、そうだね、たとえ傷つくとしても真実らしきものの断片を得ることを望むんだ。それがきみの自由だから」
「傷つく、って表現は避けるようにしているんだ。まるで心に形があって、一定の形状を成していなければならないようにきこえるから」
「さては、きみ、いじめに遭っていながらそれをやり過ごしていることを『強い』と言われたくないたちだろう。あるいは、窮地に立たされている状態をして『つらい』だとか『苦しんでいる』だとか、その類の言葉で形容されることを拒む」
「当たり前だろ。他人から自分の心境を定義され、分類されることほど不快なことはない。言ってしまえば放っておいてほしいんだよ。それは、例えば思春期特有の根拠なく顕在化したエゴによる個人主義とは違うもので、個の境界を維持するためには、ある一定の心理的なパーソナルスペースが不可欠なんだ」
「だから、人間はどこまでいっても個でしかない。どれだけ大衆が増大しても、蝟集・充満という現象が加速しても、無数の個が構成する集団以上にはなり得ない」
「孤独と孤独との距離の問題で、それが遠いか近いかの差でしかない。いずれにせよ人間はひとりで生きていくものだ」
「その孤独の堆積の果てに、あるいは」
「他者の力なくして生きられないことは、孤独であることと両立する概念さ。孤独であっても扶助は叶う」
「たましい、などと呼ぶものの存在があるとするなら」
「社会というものは人間が作り出した欠陥品の最たるものだ。幾重にも枷をかけ、煩雑なシステムに同化できない存在を取り残して続く永久機関。永久だと信じていたかったんだろう。でなければ死を迎えるのみだから」
「あの青の向うにこたえがあるのだろうか」
「教えてくれよ、群青」

「行こうとさえ思えるなら、きっとどこまででも行けるはずさ」

残夏。陽射しは傾き、あたりを染める。
遠く海鳴りの低い音が響く。
白く砕ける波が水際を凪へとさそう。

あの青の向うへ。あの青の向うへ。

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