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『言葉集』試し読み


言葉集 げんようしゅう


  序


深い海のような群青色、甘い瑠璃色の大河、静寂を孕んだ深緑色。すべてを呑みこみ、凪いだ淵を彩るもの。たそがれる空の橙色、夜明け前の薄紫、燃えたつ朱い地平線。黒いモノトーンに一撃を与えるもの。寄せては返す波が洗った、透明な石の数々と、テトラポットに咲いた名前のない菫色の花。何処へも行くことは許されなくて、境界線の向こうを夢見るもの。(けれどその先には何もない)
遠い過去に忘れ去った瞬間や、いつか起こるかもしれない無数の事象は存在しない。物語の登場人物、彼らの住む舞台は、世界のどこにも存在しない。不明瞭な思考を遡って、曖昧な意識に彷徨って、非現実の壁を打ち壊せ。
現実にとらわれた生温い感情では、わたしたちはここから逃げられない。


目次

巻第一 歌 ………………5
巻第二 詩 ………………17
巻第三 散文 
 積み上げた砂の行方は誰も知らない ………………40
 海に行こうと言った君は、海のような人でした ………………43
 Syringa vulgaris ………………45
 涙の日/沈黙 ………………47
 追想 ………………48
 継承 ………………51
 回帰 ………………53
 赤く流れる生命の上に ………………57
 家路 ………………59
 透明な水底に殺される夢を見る ………………62
 群青に染めた ………………61

言葉集巻第一  歌

 
   終りの四季
 
あかねさす君を待ちにし梅が枝に薄きくれなゐ
たつみえて人影絶えし み吉野の道往くときぞ
樂浪の淡海の子らは山の間に雲のたなびく
花霞流るるとてもももづたふ磐余の池に春は終りぬ
 
透き通るラムネの瓶に青褪めた雫がつたう
陽炎の立ちのぼる坂 あの影に息づく記憶
境界と 永遠の離別 燈籠の浮かぶ川辺にて
閑やかに死に絶える夢
廻らない時計の針と終りゆく夏

金色と重い穂先に たそがれの灯る落陽
藍深く沈む野辺より音もなく吹き送る風
哀愁と穿つ空白 遠くかなた雲居を越えて
往く方は遥けき朧
来し方は莫と名もなく秋は過ぎ去る
 
暗きより降りつむ六花 静寂に久遠をうたう
青い夜の更けては深く眠る地にわだかまる影
奥山に白くかすみし細道の果ては知らじと
往き惑う くまなき孤影
ひさかたの高き雲間に溶け消える冬
 
   反歌
繰り返し寄せては返す波のごと落ちて戻らぬ終りゆく四季

 
巻第二  詩


  隣は空席のまま
 
   春
嘘みたいに青い空だ
かすかに甘い大気
あざやかに彩る木々
湿った土の匂い
遠退く景色と君の声
並木道を歩く約束は
果たされることはない
朝焼けに薄れる記憶と想いと
夜が更けるごとにとらわれる思考
取り残された季節は巡るままに過ぎゆく

   夏
あの夏へ行こう
虫の声と人々の喧騒が
囃し太鼓と笛の音が
忽然と掻き消えた夏へ
灯籠が浮かぶ石段を
奥まで重なる赤い鳥居を
無邪気に飛び越えたあの夏へ
わたしたちは
いいや、わたしは
還るのだ
ふたり走った細い道を
今はひとりで歩いている
 

巻第三  散文


   積み上げた砂の行方は誰も知らない
 
 白い砂を積み上げて城を作った。嘘みたいに青い空が、波打ち際の向こうまで続いている、静かな午さがりのことだった。たまに転がる骨は――不自然なほどに白くて――かさり、と音をたてながら、まるで太古のむかしからここにいたような顔をしているのだ。
「ねえ」
 君は、しなやかな脚を水際にあそばせながら言う。
「明日は何を作ろうか」
 横顔が影に沈んで、君の思う答えを見つけることができない。ワンピースの裾が水に濡れていて、歩くごとに纏わりついては離れるのが、視界の隅にちらついている。落ちてきた沈黙を水の底に沈めるように、君は一つだけ嘆息を落とした。
「それじゃあ、ね、また明日」
 その声が遠くから響いてくるような気がして、首筋を灼く光が温度を失いかけたように錯覚する。いつの間にか傾いた橙色がわざとらしく夕焼け空を描き出した。君が去った砂浜に、また明日、とくりかえす。
 波打ち際の向こうで青が溶けている。僕はひとり、あてもなく砂を積み上げる。結局、君の答えは永遠に聞けないままだったから、僕はこうして意味もなく砂を寄せては集めているしかないのだ。さらさらと零れる音が絶え間なく鼓膜を揺らす。白い砂が流れる。白い骨が崩れて、まるで砂のようだ。
 
 
君が来ないことなんて、とうの昔にわかっていた
君の目に僕が映ったことがないなんて、言われなくても知っていた
それでも僕らが積み上げた白い砂だけは現実に残されている
 
なんて、都合のいい話が存在するはずはないのだ


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