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『いろはうた』試し読み

   序

甘い匂いを滴らせる花はやがて散るように、金色の斜陽に充たされた放課後はやがて夜になるように、死の気配は現実のすぐ隣に佇んでいるものだった。それでもふたたび春を祈り夜明けを願う。くりかえす潮の満ち干き。淵に眠るうたかた。葬送の野辺に霜を置く朝。七つの鐘が鳴る時刻、わたしたちが思考することは、生きることと、死ぬことと、
これは復讐だ。
「かたちあるものは」と腐りかけた文句で苛む現実に、消えない爪痕を。


いろはうた

いつか見た夢が現実を伴って
果実を啄むようにやってきたようだった
眼を閉じることが
どうしようもなく恐ろしくて
夜明けが憂鬱に思えて仕方がない
一瞬のうちに過ぎ去った
降り注ぐ極小の星々
透過する指先

窓際の席は空白に座したまま
「幾星霜」と
腐りかけの殺し台詞で
お望みのとおり死んであげるよ


ロンドン塔には不可解な噂がある
黒い石畳にとざされて
迷宮へと続く物語
月のない夜に魔道の書
収束する虚構と夢のそと
静寂をたたえた水際の
四辻にまどう、たましい
とらわれの暖炉に
いのちの火を燃やす夜明け


ハイド・アンド・シーク
遠く、遠く、見つからないところへ往こう
僕らを探すくらいなら置いてきた花たちを愛でていて
赤いゼラニウムの花殻を摘み取った
群青色の竜胆に別れを告げて
きみの頬を撫でるよ
もういいよ、僕らのことは忘れておいて。
かなしいことは忘れていて
もういいかい、それじゃ、往こうか。


においたつ、くれないの花
知らず手折った恋の枝
芽が出るまえに ほころぶまえに
叶わぬものなら叶わぬままに
塗り固めた嘘は脆く剥がれていることも
気付かないふりで重ねていて
色褪せた現実が喉笛に刃をかざすなら
掻き切られるまえにとらえて
こぼれた鋒では、真実は見えない



『いろはうた』は文学フリマ東京36にて頒布予定です

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