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この先の時代はすべての人が
カルマの精算時期に突入していきます。

そもそもカルマってなに?
徳積みってなに?

ココががわかっていないと
「清算」ってなに?となってしまい
結局「カルマの清算ができない」なんてことになりかねません。

この記事では
徳積みとは何か?
カルマはこんなふうに考えよう。
徳積みすると結局どうなる?
日常で徳積みする方法、などを
わかりやすくお伝えしていきます。

そもそも徳積みとは?

そもそも「徳積み」って
わかるような?わからないような??

コチラの記事を
読んでいけばおわかりいただけますので
最後まで読んでくださいまし。


徳とか業とかカルマとか前世とか
スピリチュアルてきにイロイロあるのですが

共通して大事なことは
「この人生をより良く生きるために何をするのか?」

と言うことです


そもそも徳積みの目指すところは
「徳積み」ではありません。

「徳積みの目指すところは
 
目の前の現実に左右されることなく、
フラットに前を向いて、
人生を進むことが出来る自分になること

 つまり、
自分自身の波動を上げ、強くすることです。

 波動が上がり、強く成れば
周囲への影響力は良き方に高まります 

良き方に影響力が高まると
ますます「徳」を積みやすくなり。
周囲だけでなく、子々孫々に良き影響を及ぼすことで
ひいては地球全体の波動があがります。

ちょっくら大きな話になったねww

 でもそうゆうことなんです。
簡単に言ってしまえば
「この人生をより良く生きるために何をするのか?」
「この人生をより良く生きるためにどうなりたいのか?」

これが「徳積みの目指すところ」です。

カルマと徳積み??と思われるかもしれませんが

マイナスカルマを解消するための行動や考え方は
「徳積み行動」とかなり近い

どっちか片方に影響するのではなく
どちらにも影響する

一粒で二度おいしい的な感じなのです。

わたしには「マイナスのカルマ」は無い!
と言う人もあまりいません。

そもそもカルマってなんでしょう?

 

知ってるようで知らない「カルマ」


カルマにも「良いカルマ」と「悪いカルマ」があり 
これを「徳」と「業」と言います

 徳とは良きカルマのことです。
業とは悪しきカルマのことです。

このカルマに3種類あって
*魂由来のモノ
*家系・血脈的なモノ
*今世自分が積み上げてきたモノ

良し悪しと掛けて
個人が持つ「カルマ」が6種類があります。

これに、
土地の持つカルマや
民族の持つカルマ
昨今では「地球全体のカルマ」などとも
言われるようになってきていて

結構複雑になってますね。


まずは個人の持つ3種類を知ってください

前世のカルマ・・・といえば魂由来のもの

・・・初対面なのに懐かしい、初めての場所なのに懐かしい感覚
・・・特定のスキルや才能の発現  
・・・どうしても好きになれないモノコト、人 などです

この「魂由来のカルマ」ですが
「受肉」する時にみんな魂にくっつけてきます。

この時くっつけた「カルマ」の
マイナスの量、プラスの量で
それに見合った「肉体」目指して「受肉」し
血脈のカルマの解消も背負うので
ある意味「親を選んで」生まれてきます。

・・・

ちなみにわたくしは前世の一つで
埼玉県周辺の川っぺりで
「人柱」に立ったというものがありまして・・・
いまだに埼玉も埼玉県民も、少々苦手でございます。

・・・

魂由来のカルマは
こんなふうに今世でも影響されます。

「魂」とはなんでしょう?という話は
それだけで10000字行ってしまうので
別記事でお伝えしましょう。

 
家系の因縁・・・といえは家系的なカルマになります

 ・・・繰り返しやってしまう生き方のクセ
・・・認知のゆがみ、独自の価値観
・・・親族の仲が悪い 
・・・女子しか生まれない、男子は早世する  などです

ちなみに我が家は少々古めの家系でして。
鎌倉時代の家督争いでヤられちゃった方
お兄さんが悪霊化して血脈についていて。
わたしの母親と祖父の確執はココ由来、
娘の変なウツもココ由来
なんてことももありました・・・。

 
今世作ってしまうカルマ
産まれてからこの年になるまでに
自分で作り出してしまうカルマもあります。

ここがまた、
何が徳で何がカルマなのかが
むっちゃ分かりにくいのです。

・・・執着や嫉妬
・・・子どもへの行き過ぎた過保護、ネグレスト虐待
・・・社会貢献やボランティア
・・・人のためになる仕事 などなど

生きている中で何が「徳」になり
何が「業」になるかは
わたし達レベルでは本当にわかりません。

 けれど
「業(マイナスのカルマ)」を解消することと
「徳」を積むことは切り離しては考えません。

 

人生万事塞翁が馬


人生万事塞翁が馬(じんせいばんじさいおうがうま)
という話があります。

出来事の幸せが不幸に、
不幸が幸せにいつどう転じるかは、
わたし達では判断できないという教訓の話

 
人生万事塞翁が馬

昔、中国北の方に「塞(さい)」というおじいさんがいました。
ある時、飼っていた馬が逃げてしまいました。

 しばらくするとその馬は
立派な馬を連れて帰ってきました

 ところが今度は彼の息子がその馬から落ちて脚を折り
身体が不自由になってしまいます

 けれどもそのおかげで息子は戦争に行かずに済みました。
という話。

結局、「良かったかのか悪かったのか」は
事が終ってみないとわからない、ということです。

 それはカルマも同じで
生きている中で何が「徳」になり
何が「業」になるかは
生きている間は自分ではわからないものなのです

自分は良かれと思ってした行動が
相手を大きく傷付けていたり

大事に育てていたつもりが
子どもには「縛り付けられた」と思われていたり。

それを理解した上で「徳積み」について
考えていってみましょう。

「徳」と「業」カルマとは

 
誰でも、持って生まれた「徳」があります。
なんせ、「魂・家系・今世」と3つもあるので
差し引きしたりしても
今生きているということは

・徳貯金が多く、やらなければならないことがある
・解消しないといけないことがある
のだと思います。

どちらも「使命」に通じるものですね。


資産家のもとに生まれる人もいれば、
貧乏な家、借金を抱えた家に生まれる人もいるように、
生まれ持って生まれてくる「徳」は、人によって違います。

徳分は、目に見えない世界(ダークエネルギー)
に貯まっているものです。

そして今世でも
貯めていくことが出来るものです。

 幸運な人生を歩むためには、
「徳積み」は欠かせません。

徳は、世のため、人のためになる
善い行いをすれば貯まっていきます。

 うまくいっているように見える人でも、
長年(‥もしかすると前世から)貯めてきた
徳貯金を切り崩しているだけで
実は、目に見えない世界は「借金まみれ」という方もいます。

この「借金」が「業」ですね。


 良いカルマが悪いカルマ


「徳」ではなく「業」の方が圧倒的に多くなると
いわゆる「不幸」に見舞われます。

 外側からはうまくいっているように見えても、
家庭内では苦しんでいる人が居たり・・・

仕事は上手く行っても
孤独の中で生涯を終えることになってしまったり。

 今だけ、本人だけよく見えても
一番身近な人はどうなのか?で見えてきたりします。 

「因果応報」という考え方をすると
わかりやすいかもしれません。

 自分の行う善いことも悪いことも
巡り巡って自分に返ってくるというものです。

 過去やさらには前世での行い、
先祖の行いに
「徳の貯金」が多いのか?
「業の貯金」が多いのか?ということで、
今どんな状態なのかが
ある程度はわかります。

世の中には
本当に性格の悪い人、
意地悪な人、
本当に運の無い人というのは少なからず居ます。

 そのような人は、
前世で徳を積まなかった、
一族に徳の貯金が無い、
今世で自分が今まで徳ではなく業を積んできた、
もしくは「全部背負って帰る」役目
などなど、さまざまに考えることも出来ます。

 なんにせよ、どこかに原因があるから、
そのような結果がでるのです。

 現世でのおこないが、
次に生まれ変わってからの幸、不幸。
子孫の幸、不幸
それらに影響があるとしたら・・・

現世をどのように生きるべきかは
真剣に考えなければいけないのです。

 今この世での生き様が、
次の世代にまで継承されることもあるかもしれない
・・・かもしれない、のです。

わたし自身も
まだ生きているので、
死後の世界がどうなっているのかは
よくわかりません。

けれども、
丸っとそのままでは無いにしても
魂は生まれ変わっているようです。

前世というものがあるとしたら・・・
なるほど、だからか、と
納得できる出来事も数多くあります。

現世で人に常時暴力行為をおこなっている人は、
次の世代では反対の側に立たされる事になるかもしれないし 

大金持ちでも、貧乏人を見下すような言動をとったりすれば、
次の世代には逆に見下されたり、 

人の命を殺めれば、
いつか自分も同じ目に遭うかもしれない。

 では逆に
今暴力行為にさらされてる人は
前世で暴力を働いたのでしょうか?

 そうかもしれないし、そうでないかもしれません。

 大切なことは
「じゃあ、これからどうしていこうか?」ということです。

 

徳・業(カルマの考え方)

 
徳・業(カルマの考え方)

・先祖代々積み重ねてきた「想念の塊」と「自分の魂の約束」の総称

・「魂の部分」に持っている

・不定業カルマは置き変えられる(先祖のやらかしたカルマ)

・定業カルマは置き換えられない(自分の魂の約束)

・思考癖・習慣から客観的に分析して見つけ、書き換えることが出来る

・誰にでもあるもの、因果応報の「因」であり「業」

・徳も業も一族・子孫に引き継がれる

「業」を「徳」へと置き換えるという「行動による選択権」を
わたしたち自身が持っています。


「徳を積む」の由来

 仏教の教考え方の一つでもあります
人が見ていない所で善いことを行い続ければ、
天がそれを見ていて
幸福を授けてくださるという教えからきています。

 目に見えない徳、喜びのエネルギーは
目に見える物質的な面ではお金の流れとなって返ってくる
という考えもあります

 良いモノを出したところには
物質的なリターンとなって返ってくる、という見方ですね。

 これは単なる観念論ではなく、
目に見える部分と見えない部分の全体を含めて、
「徳」が「ある時はお金」「ある時は幸せ」となって
社会や人間同士の間を流れている、からなのです。

 
人様を幸せにした分、自分も幸せになれる。
待っているだけでは「しあわせ」はやってこない。

 出した分だけ入ってくる、
まずは自分から出しましょう、ということです。

 欲しいから出すでは、またちょっと話が違ってきます
過分な見返りを求めない日々の良い行いが大事なのです。

ここら辺がなかなか難しいところですね。 

意識を「正しい方向」へ向けましょう。
「愛」であったらどうするのか?
その行動は「愛」から来ているだろうか?

・・・「愛」とか言い始めると
また抽象度が上がってしまいますねww 

徳を積むとは、
日々の良き行動を重ねることを表します。

 徳は人間の道徳性や社会性が発揮された結果です。

そしてずばり、
その人の生きざま=魂の使命に通じます

 徳は積めば積むほど
自分自身の霊格(魂のキャパ)が上がります。
器が大きく成る、
とも言えます

霊格が上がるとその後の人生にも影響して
大きな問題や困難がなくなります。

 自分の特徴や性格を知り、
もっともやりやすい方法で徳積みしていきましょう。

日々徳を積んでいくと開運のレベルも飛躍します。


「徳積み」の基本

 徳積みの基本は3つです。

・人の命を救う

・人の苦しみを減らす

・人の役に立つ

 しつこいようですが、
何が誰のためになるかはわたし達レベルではわからないので
「品性・良識・人のため」
が基本です。

「何もしない」ことは
「不徳」といって「業」を作ることに繋がってしまいますが

 「何もしていない人」は世の中に居ません。

 引きこもりも「引きこもり」をしている、のです。
そのことによって
家族の誰かが自分の言動を見なおしたり
先祖供養云々に目が行ったりすることがあります。

生きているのであれば、
心臓が動いているのであれば
「誰かのために何かをしている」のです。

徳の種類*陽徳と陰徳


相手や周囲にわかる善行のことを「陽徳」といい、
相手からの見返りや礼を求めない善行を「陰徳」といいます。

 「陽徳(ようとく)」 見える善行。
個人一代とされているが「人の記憶」には残る。
子の代に威力を発揮する。
「ああ、〇〇さんの息子さん?」みたいなやつです。

「陰徳(いんとく)」人に知らせず行う善行。
目に見えない・・というのは
わたし達の理解が及ばない、と思ってください。
そして、これが「器」を広げてくれます。

何が、誰のためになるのかは
わたし達レベルではわかりません

「陰徳」は貯金となり、
一族に、血脈に引き継がれていきますし

「自身の器」が広がるので
自分自身は運気が上がります。

「徳を積む」の意味する良い行いは、
この「陰徳」を指します

 人に知られずとも、良い行いを積み重ねていくことが
「徳の貯金」につながっていきます。

その貯まった分が器の大きさとなり
自分自身の仕事の成果や良い人間関係、
良い出会いがあったりという
良いことに変換されていくのです。


*天徳:日本のため、世の中のため
*地徳:地域や業界のため
*人徳:人のため とこれも3つあって

天徳、地徳、人徳によって、
一度に貯まる徳の量に違いが出ると言われます。

日本のため、世界のための方が
そりゃあ、器も大きく成る、と言うのは
お分かりいただけると思います


「徳を積む」具体的な方法

 
仏教的には
日々徳を積むための方法はどれもささやかな行為です。

ぜひ習慣にして徳を積み重ねていってください。
継続することで人間性も高まっていきますし
器も多きくなっていきます

 【体施(たいせ)】
【物施(ぶっせ)】
【顔施(がんせ)】
【念施(ねんせ)】
【法施(ほっせ)】


・・【体施(たいせ)】

 
人のために身体を動かすこと
掃除をする・汚れているところをキレイにする
自宅だけでなく、
会社の清掃、家の掃除の手伝い

誰も見ていないところでゴミを拾う
人に親切にする・困っている人に親切にする

損得勘定のない親切な振る舞い
働く・仕事をすること
ボランティア活動や清掃活動など

・・【物施(ぶっせ)】

人が欲するものをプレゼントしたり、
自分が持っているものをあげること
募金や寄付をする(大金でなくても)
コンビニで買い物をした際におつりを募金するだけでも

被災地や貧困に苦しむ人たちを手助けする
自分は不必要なものを必要としている人に贈る

リサイクルやバザーなんかもココに入りますよ

・・【顔施(がんせ)】

 
日々笑顔で機嫌よく過ごすことで周りに良い影響を与える
綺麗な言葉を使う、汚い言葉は周囲を不快にする原因となります

周囲を明るくする、
誰に対しても笑顔で振る舞う

 作り笑いをする必要はありませんが、
普段から柔らかい態度や表情で人に接すること

 身だしなみを整える、女性はきちんとお化粧をする
存在することで周囲を気分良くさせること

攻撃的な言葉や怖い表情、
イライラした態度は
周囲にマイナスの感情を生んでしまいます。
それは「不徳」になります。

・・【念施(ねんせ)】

 
世の中の幸せを祈る
人の幸せを祈る
自分の幸せを忘れないことも大事

直接手を差し伸べられなくても、
相手の幸せ、誰かの幸せを願うことが大切です

 神さまや祖先、親に感謝する、敬い大切にする
自分以外の人や世間の幸せを考えて行動する

神社仏閣の参拝
お墓参り、法事、
お経を読む、真言を唱える、祝詞を読む
これらも念施に入ります

・・【法施(ほっせ)】

 
人生が豊かになるように教えを説くこと
親が子どものために教え諭すこと

専門的知識のある人が求める人達のために教えること
自分の知識を出し惜しみせずに伝えていくこと

車屋さんで考えると
車を販売することは体施で
こういう風にしたらガソリン持ちますよ
洗車するにはコレが良いですよ、
と車について教えてあげる。
それによって、その人の人生が良くなるのが法施になります。

だれに対しても礼儀正しく、真摯な態度で居ること

 

徳を積むための心得


徳を積むためには、
「正しい心持ち」で励むことが大切です。

でも最初は無理なんでww
「これをすることで徳積みになる」と思いながらでも良いです

そこから「習慣」にしていきましょう。
そうなればしめたものです。

 生活の一部になるまでコツコツ繰り返していきましょう。

陰徳はとくに
「人に自慢しない」というのがポイントです

自慢した時点でものによっては「業」となる
と言われます。

陰徳したのに、しゃべったら業になるとか・・・
このあたりは
心理学でいう「承認欲求」が満たされていないと
やりがちなので、
トラウマやインナーチャイルドを見直していきましょう。

 

・・自分の気持ち、自分自身をないがしろにしない

 
徳を積むことと、
自分を犠牲にすることはイコールではありません、

まずは自分自身が幸せになることも
徳積みと心得て生活していきましょう。

 自分自身を大切にできないと、
他人を大切にすることはできません。

徳を積むことは本来、
自分も他人もハッピーな気持ちになること。

 自分の気持ちと正直に向き合い、
自分が心からやりたいことをやるのが大切です。

モヤモヤしたり、イライラしたりは
トラウマやインナーチャイルドを見直してください。

・・誰かの何かの役に立ちたい気持ち


誰かの何かの役に立ちたいという気持ち。
その気持ちの起こることから始めましょう。

徳を積むような行為を行うときは、
人の役に立ちたいという思いで行動することが大切。 

役に立ちたいということが動機であれば、
困っている人の気持ちをキャッチしやすくなるし、
そうすることで人に感謝されることが
喜びにつながっていきます。

大げさに考えず
「コレやっとくとこの後の作業がスムーズかな?」とか
「自分もお茶を飲むから隣の人にも聞いてみよう」とか

駅のトイレを使う時にはキレイに使うとか
お化粧直しをしたら拭いておくとか

そんなささいなことで良いのです。

・・過分な見返りは求めない

 
「せっかくこれだけしてやったのに!」と思ってしまうなら、
見返りを求めていたに過ぎません。

「助けてやった」
「やってやったのに」と、
過分な物やお金を求めるのは押し付けであり、
残念ながら不徳になります。

 見返りを求めない、というところと
正当な報酬を要求する、というのも違うのです

 仕事として行う中で
正当な報酬をいただくことは正しいことです。

お金をもらえない、
正当な対価を請求できない

そんな場合は「お金のブロック」を
見ていきましょう。

 
なんにせよ
相手の気持ちや状況を重んじ、尊重する
それとともに
自分の気持ちも尊重します。

場合によっては、親切のつもりでも
迷惑がられてしまうこともあります。

自分の意見を押し付けていないか?
大きなお世話なのではないか?を考えるようにしましょう。

そして人からの親切は
「ありがとう」といって受け取れる自分であることも
とても大事なことです。

・・・高校生の頃・・・
都内に出る電車に乗っていて
ちょっと離れたところにお婆さんが居たので
席を譲ろうとしたら
「みんな疲れてて、みんな座りたいんです!
わたしは結構です!」と
すごい剣幕で断られてしまったことがあって・・・・

年より扱いされたくなかったのかなあ、とも思ったけど
むっちゃ気分悪くなった記憶がいまだにあります
(覚えてるわたしもしつこいなww)

・・・・・・

人は誰もが個々人の価値観や大事なものをもっています。

相手を否定しない、
傷つけるような言動はしないのが基本ですし、
受けた親切を受け取ることも
「相手を傷つけない」につながっていきます。

・・不平不満・人の悪口を言わない


思い通りにいかないと、
ついつい不平不満や悪口が出てしまうものです。

不平不満や悪口・陰口は、
行き過ぎると自分や周りにネガティブな影響をもたらします。

 せっかくこれまで徳を積んで
がんばって呼び寄せた運気や良い縁も遠ざかってしまいますし

器もひび割れてしまいます。

自分からは悪口は言わず、
周囲に悪く言われたときも聞き流すことが大切

不平不満や悪口・陰口を言う前に

自分がどうしたら快適になるのだろう?
と考えてみてください。

 ただしここでも注意があって
不平不満や悪口・陰口を言うというのと
「感情を無視する」というのとは違う、ということです

 自分の中に湧いてきた怒りや悲しみの感情を
見ないふりをするのは良いことではありません。

自分の中に湧いてきた感情はしっかりと感じ切り、
「じゃあ、これからどうしようか?」と考えて行きます。

 例えば石につまづいて転んだとします。
「イタイ」の次に
「なんでこんなところに石が(怒)」となっても
おかしくないよね、ということです。

 最初は怒りがわいたとしても
「転んだけど特に怪我も無くてよかった」と
いうのを着地点にする。

 その石を悪く言ったり、
それを人に吹聴したり、
石を恨んだりはしないということです。

人は生きていれば色々なことがあり、
時には他人に多大な迷惑をかけたり、
助けてもらわなくてはならないようなことがあるのです。

そして
誰かにあるいは世の中に助けてもらったからといって、
必ずしも
「してくれた相手に何かを返さなくてはならない」かというと、
そうゆうことでもありません。

自分ができる時に、
できることを、
誰かにしてあげよう、

巡り巡って、という気持ちを忘れないことです。

・・刻石流水(こくせきりゅうすい)

 刻石流水(こくせきりゅうすい)と言う言葉があります

「受けた恩は石に刻め、与えた恩は水に流せ」という
仏教の言葉です。

与えた恩にいつまでも固執していると、
相手からの報いを期待してしまうもの、

「これくらい当たり前でしょ?」
「長い付き合いなんだから・・」などは危険信号で
「業作り」になりかねません。

自分が「してあげたこと」は
水に流して執着しないこと

相手から受けた恩は
決して忘れないように心に刻むことが大切です。

 

徳を積むことで得られる効果

陰徳を積み上げることで
 器が広がって運気があがると
こういったことが起こります

目に見えるモノとしての代表例は

・お金に困らない
・すばらしい人脈を手に入れる
・健康で過ごせる
・やりたい仕事で成功をおさめる

目に見えない内側の代表例としては

・幸福感や多幸感で日々穏やかに過ごせる
・才能が開花していく
・自分の天命・使命に気付く

とにかく「良い事」というか
自分の人生でプラスになるようなことがおこります

・トラブルのとき必ず助けの手が入る
・良い出会いが訪れる
・前向きになる
・欲しかったものが手に入る
・お金に困らない
・困ったときも臨時収入が入りやすくなる
・思ったように物事が動くようになる
・たくさんの人に信頼されていく
・物事を冷静に判断できる
・自分の意見を大事にできる
・感謝の言葉が口にでるようになる
・嫌なことも嫌なことでなくなるので率先してできるようになる
・人の話を聞けるようになる
・自己コントロールが出来るようになる

 

つまり・・・
陰徳を積んでいくと
「運がよくて、強運で
周りに慕われる、おだやかな良い人」になっていくので

ますます徳が積めるし
ますます運の良い人になっていくという
善循環がおこるようになるのです。

 これが最初にお伝えした
徳積みの目指すところは
「徳積み」だけでは無く

この地球で肉体を持った状態で
如いかにして幸せに生きるか・・・
と言うことですね。

 

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