雨の日のフライトと空の上のロマンの話

皆さんは飛行機に乗ったことがあるだろうか。
私は実家が鹿児島なので、帰省の度に乗っている。
特に夏などは季節柄フライトの日があいにくの雨ということも珍しくない。
今回はそんな日の話である。

しとしとと雨が降る中、格安航空機の狭苦しいシートの中で離陸を待つ。
飛行機という乗り物はそれ自体が大変喧しいもので、そこに乗客の話し声と乗務員のアナウンスが忙しなく響くのだから落ち着く暇はない。
特に子供など、元気なのは大変よろしいが 、元気を発揮する場はおそらくここではない。
毎度毎度うんざりするところである。
私の座席を蹴り続けるクソガキには身長が伸びない呪いを掛けておいた。
ついでにその親には便秘に苦しむ呪いを掛けた。

離陸に向けて滑走路を走る頃には待ちくたびれているところである。
蝸牛のごとくのろりのろりと地上を走る。
走り始めから所定の位置まで動くこの時間が実のところ一番長いのではないかと感じる。
背後でドラミングされているから尚更のことである。

さて、離陸。
もう何十回乗ったかわからないが、離陸の瞬間に訪れる内臓が浮く感覚は未だに気持ち悪い。
誰に対してでもなく寝たフリを決め込みながら音楽を聞く。
最近のお気に入りの曲はシシド・カフカと横山剣の「羽田ブルース」。
シシド・カフカは良い。
来世はシシド・カフカのような女に生まれたい。

しばらくすると雲を抜ける。
雨の降ったあとなどは厚い雲のせいか大きく揺れる。
そして次に見えるのは眼下いっぱいの雲海である。

雲の上には何もない。
地上は淀んだ空気であったのに、どこまでも白く、綺麗に見通せる。
雲海は、海のようであり、山脈のようであり、平野のようであり、あらゆる地形を模したかのようである。
いや、あるいは雲海の姿こそがある種イデア的であって、地上がそのパロディかもしれない。
宗教学的に言えば、光は神のあり方の説明としてよく用いられる。
光に満ちた雲の上が神の次元というのはなんともそれっぽくて楽しくなる。
雲の隙間からちっぽけな地上が見えると、蓮の池から地獄を見ていた釈迦のイメージも湧いてくる。
こういうことに安易にロマンを感じてしまうのはもう職業病のようなものである。

そうこうしているうちに今度は着陸の準備に入る。
最初に雲を突き抜けたのだから最後も突き抜ける。
ああ、私は堕ちていくのだなぁと思う。
ちょうど聞いていたのが椎名林檎の「神様、仏様」であったのは何かしらの意図を感じなくもない。
椎名林檎は良い。
来世は椎名林檎のような女に生まれたい。

着陸すれば皆忙しなく動き出す。
何をそんなに急ぐことがあるのか不思議である。
おそらくトイレだろう。
後ろの親子もそのようであったので、呪いがうまくいったようである。
就活に失敗したら呪術師になろう。

私はと言えば、機内で食ったポテトチップスのゴミを乗務員に押し付けて悠々とトイレに向かう。
飛行機に乗る前と乗ったあとにちゃんとトイレに行く。
飛行機に乗るときの最重要な所作である。
人間そんなものである。

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