見出し画像

【腎臓クロニクル】


【ワクチンを打った人からの二次感染が怖いから
接種された方は受付しない】

というクリニックやサロンが目に入ってきて「そうなのかあ・・・」
とふむふむしていると
彼(高次元家庭教師)が
『なぜ人は病気になるのでしょうか?』
と訊いてきた。

私「病気は自分で作ってるんです(きっぱり)」

『じゃあおかしくないですか?感染怖いって』

・・・勉強してきたこととリアルが明らかに知らぬうちに分離していたのを
さりげなくスマートに静かに「ハンカチ落とされましたよ」くらいの
優しい声で気づかされた瞬間だった。

病気は自分が作っている。
何度聞かされ伝えてきた言葉だろう。
それがどんな病気であっても心であっても体であっても絶対法則だ。
だったらなぜ今回のウイルスだけが特別なんだ?
「そうなのかあ」じゃないじゃん!!!!
何を振り回されそうになっているんだ。しっかりせんかい。

『あなたにあてはめたらどうなりますか?』
優しい声は続いた。

ゆっくり深呼吸して自分を顧みる。
「病気」というものは何十年も縁遠く生きてきた。
そして浮かんだのは小学生の時突然始まった「無症性腎炎」というやつだった。それは私の「虚弱」という体質になり
今でも「やや腎臓弱めのヘタレ」としての個性を支えている。

なぜそのとき、私は自分の腎臓を壊してしまったのか。
自分に問う。
母親が起業し、父はキレて遊び、私は小5~中3までほぼほぼ一人暮らしになった。母からの愛情は感じていたし「あんたが非行にでも走ったら仕事なんか全部やめるぞ」というなかなかの脅しも渡され、「全然大丈夫だよ」と答えていた。
しかし、小5の冬から謎の血尿が出始めて、小児科に毎週行っても原因はわからなかった。バスで30分行かないと小児科がなかったから、連れていくのはけっこう面倒だったはずだ。「扁桃腺を切ったら治るかもしれない」と言われ、扁桃腺も切った。生まれて初めて
入院した。両親もばあちゃんも心配した。マラソン大会は全部欠席、予防注射も拒否。
体育の授業も半分くらいでないで一人図工室で版画を掘っていた。

「大丈夫だよ」の裏で
「さみしい」「かまって」「わかって」が暴走していたのではないか。
そうかあ。頑張っていたんだな。昔のわたし。よしよーし。


『今も必要ですか?』
「え?今は・・・寂しくないし、かまってほしいとも思わないです」
『でも今も腎臓弱いですよね?なぜですか?』

特に症状は出ない。今も「無症状」。
だけど「腎臓弱いから体力ないのでヘラヘラ生きています」ときゃら設定している。
だって「あんたは腎臓弱いから無理しちゃいけない」って母に言われてきた。
実際すぐ眠いし、人の倍くらい眠いし、集中力も1日15分のポンコツぶりだ。
これは腎臓のでしょう。そうでしょう。病気じゃなくて体質ですもの。

『物事がうまくいかなかったときの言い訳にしていませんか?』

あいたたたたたたたたたたたたたた。
優しいのに秘孔を突かれたような声が出た。
違う。「あたたた」は突く側の雄たけびだった。
いやどっちでもいい。思い切りどっちでもいい。

「ど・・・・どうしたらいいですか」

『私は満ちているので腎臓の不具合は必要ないと認めて宣言すればどうでしょう』


+++

私は今大好きな両親と、大好きな息子に囲まれ
うるさすぎるくらいかまわれて賑やかに生きています。
心配をかけるために「腎臓虚弱」は必要なくなりました。
言い訳をするための「腎臓虚弱」もやめます。
これまで、私の寂しさと怠慢につきあってくれてありがとう。
大好きで大事な腎臓。これからもよろしく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?