能登半島地震をうけて

能登半島地震は、義実家の神戸に帰省している際に突然起こった。テレビの緊急地震速報を見ていると「震度5」と表示されていたと思う。でも、それは間違いなんだなと思ったのは、神戸でもゆっくりとマンションがゆれたときだった。

次の日でもすぐ家に帰って状況を確認しないとダメかな。と思っていましたが、どうもそれすらも難しいというのが徐々にわかってきた。翌日すぐに現地に行ってきた人や、逃げてきたという人からは「道路がボコボコでいつパンクするかわからないし、渋滞絶対にいかないほうがいい」と揃って言われる状況でした。

救援物資や装備はすぐに買い出しにいきスタンバイしていましたが、大阪から出発して金沢で給油して携行缶を準備しても、現地に行って帰ってこれる燃料が足りるかどうかわからないという状況でした。妻と子は置いていくつもりでしたが、僕一人で行ってもかなり厳しいというのが予想できる状況です。色々な状況から判断していくと、実家で待機というのがどう考えてもベストな選択肢でした。

僕の住んでる集落は、崩壊寸前の家が多いと聞いていますが、それでも近隣の他の集落よりもマシだと聞いています。しかし、津波で浸水した家もありますし、どこの家も中はグチャグチャだそう。現に家の玄関もトビラが外れガラスが割れていたそう。お隣さんが応急処置をしてくれたようで、厳しい状況のなか本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

水道管もバッキバキだそうで、復旧には数ヶ月以上かかるそうです。道路状況も最悪なので、帰って復興に向けて動き始めるのが数ヶ月先なんだろうなと思っています。

僕の住む集落は穴水町の外れ。人口も100人いるかどうかという集落です。そのほとんどが70歳前後なので、この雪が降る天候で水道が使えない状況を考えるとその場にとどまれる人はほとんどいないと思います。トイレをするために水を運ばなければならないのは若者でも大変です。多くの人は能登半島からでる二次避難をしないと厳しいでしょう。少なくとも僕は集落の人たちには二次避難してほしいと思っています。

復興へ向けて頑張ろうと言いたいところですが、僕は今のところ復興へ向けて動こうと思えません。10月に生まれた息子がいるし、息子が病気になったり、怪我をしたときのことを考えると、病院や保育所への道のりが現実的ではないなと思ってしまいます。

また、人口100人ほどで70歳前後の人ばかりの集落までの長い長い道路と水道管を復旧させるというのはかなり難しいのではないかと思ってしまいます。

同じような集落が沢山ある奥能登の現状を捉えると、震災後数ヶ月で人口は激減するでしょう。街中なら復旧させようと僕も思えたと思いますが、街から距離のある限界集落ではかなり厳しいと言わざるを得ません。

人口が激減すれば、もともと少ない息子の同級生も減るでしょう。一度6強の地震をうけてしまった家も次は耐えられるかわかりません。息子のことを考えれば考えるほど集落には戻れないなと思ってしまいます。

これまで野菜作りを2年ほどやってきて、ようやく土ができ、きれいな野菜ができるようになってきましたが、息子のこれからを考えればそれらを天秤にかけるまでもありません。僕の人生で最も大切なのは息子です。

ノウハウはできたので野菜作りはどこかで再開したいなとは思いますがいつになるでしょうか。応援していただいた方には申し訳ございませんが、また再開したら応援していただけると嬉しいです。

それとは関係がありませんが、震災をインプレッションを稼ぐために利用する政治家などへの怒りが止まりません。ツイッターでは感情に任せて反応してしまいましたが、少し落ち着いた今はもう触れないでおこうと考えています。

この教訓として一部の政党を盲目的に支持している人との関わりを避けようと心に決めました。政党の政策一つ一つを支持する・しないと判断するのが本来のあり方だと思います。政党自体を盲目的に支持する人の頭には論理がなく、想像力が欠如しており対話が成り立たないと心から思いました。このような人たちを自分の人生に近づけたくないです。

まだ奥能登では公的な支援が進められている段階であり、僕は現地へいくのはやめておこうと思っています。自宅へ帰るのはいつになるのかわかりませんし、ストレスもすごいのですが、仕事ができるわけでもなく暇なので、この際にこれまで読みたいと思っていた本をガンガン読もうと思います。タダでは転んでやりません。

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