見出し画像

書評『あなたは尊い 残念な世界を肯定する8つの物語』

 昨年令和3年は日蓮聖人御生誕八百年の正当だった。門下各宗派は記念大法要を始めさまざまな事業を計画していた。しかし新型コロナウイルス感染症の流行の只中で、法要など人の集まる企画については縮小や延期を余儀なくされている。

 そんな中、日蓮宗が日蓮聖人のコミックを製作中とTwitterで耳にしたのは、いつ頃だったろうか。へえ、それは楽しみだ、と素で思った。昭和40年生まれの私は、小三で宇宙戦艦ヤマト、中一で未来少年コナン、中二でガンダム(山陰は放映が遅いのだ)と、アニメ&コミック文化の只中で成長した。日蓮聖人を描いた漫画はこれまでにもいろいろとあるが、さて新たにどのような作品が世に出るのだろうと、しかしそれほど期待せずに待っていた。

 そんな時、突然Twitterのタイムラインにひとつのツイートが現れた。3月4日、アカウントは「やじまけんじ」、本文は「死んだらあの世で死んだ人に会えるの?」のひとこと。それにお坊さんが登場するコミック画像が添付されていた。

 スレッドに第一話が丸ごと連なっていた。読んだ。惹き込まれた。揺さぶられた。これが、先に耳にしていた日蓮聖人のコミックスだった。

 宗教者を主人公に据えたコミックは数多い。仏教に限っても手塚治虫『ブッダ』、坂口尚『あっかんべえ一休』、ジョージ秋山『弘法大師空海』、近年ではおかざき真里『阿・吽』と優れた作品揃いだ。お釈迦様を始め「キャラの立った」僧侶が各作家の力量により更にドライブされて、護教的意図を離れ普遍的な物語として価値のある作品として成立している。

 しかし──キャラの立ち具合では、日蓮聖人は飛び抜けている筈だ。しかし「単純にコミックとして面白いかどうか」という点で上記各作品に太刀打ち出来るものを、漫画読みを自負する私も知らない。

 ひとまず手元にあるものを探してみた。

画像1

■『学研まんが人物日本史 新しい仏教を開く 日蓮』(田中正雄画/学研/1984年)
 なんとこの日本史学習マンガシリーズで唯一の宗教者が日蓮聖人だ。絵柄・コマ割りなど昭和のイメージが色濃いが、親しみやすい絵柄と絵巻物のような演出で現在でも通用する一冊。
■『教育まんが日蓮さま』(関根義人画/法華宗(本門流)宗務院/1981年頃)
 日蓮聖人第七百遠忌記念出版。これも昭和の絵柄だ。
■『まんが日蓮さま』(松原宏宣画/法華宗(本門流)宗務院/2021年)
 グッと劇画調に寄せた個性的な絵柄、演出も日蓮聖人の生き様を力強く描くことに傾注している。

 以上三冊には共通点がある。まず、日蓮聖人の生誕から入滅までの事績をフルセットで描いた伝記漫画であること。次に、その事績(日蓮聖人の振る舞い)に密接に関連する信心内容をしっかりと盛り込んでいること。そして、そのような内容を不足なく描くための「会話」と「解説」によって織り上げられていること。歴史学習や教化教材という目的に相応した秀作ではあるが、宗教や信心に興味のない一般のコミック好きな人たちに強く訴求できるかといえば、なかなか難しいところだ。

 この三冊と比較すると、本書『あなたは尊い 残念な世界を肯定する8つの物語』の特徴がよく分かる。まず、日蓮聖人の事績を下敷きとしつつ、フルセットではなく伝記漫画としての体裁を取っていない。解説を含めて本書に盛り込まれた信心内容は最小限に留まっている。そして、そのようにして得られた「創作上の自由」の上に紡がれるのは、日蓮聖人が「苦しみ悩む人々」にどのような態度で接したか、日蓮聖人の言葉に触れて人の心がどのように揺れ動いたかを、まさに「コミック」「物語」として描いている。

 僧侶の説法には、大きくふたつの要素がある。まずひとつは、教学の解説。もうひとつは、人々の具体的な人生の指針。前者は講学、後者は法話と呼べるかも知れない。大事なのは、このふたつが独立した別物というわけではないことだ。人生の苦の観察から教学が編み上げられ、教学は苦の解決を指し示す。この連環を見失ったなら、講学はディレッタンティズムに留まり、法話は耳に甘い平凡な人生訓に陥りかねない。

 本書『あなたは尊い』は、講学的知識を見えない足場として紙背に沈め、悩み苦しむ登場人物たち一人一人の人生に切り込む物語として徹底したことが、最大の特徴といえる。その根本的姿勢は標題に現れている──そう、常不軽菩薩のそれだ。登場人物は一人の例外もなく、日蓮聖人から「あなたは尊い」と真剣に向き合われた。八話全てが、そのような物語なのだ。

 だから、まずもって、コミックとして面白いのだ。だからこそTwitterで著者やじまけんじが第一話をそっと掲載した時に、多くの人が好意的な評価を寄せたのだ。

 監修者に佐渡島庸平が名を連ねている。『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』を担当した名編集者としてマンガ読みには有名な人物だ。私も彼の手がけた作品に親しんで来たし、8年前に「ザ・プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げられた回にも当時観入った。

 本書は、日蓮宗がこの企画を内製でなく現代コミック演出のプロである佐渡島を監修者に迎えたことが、成功の鍵だったのだろうと思う。日蓮聖人の人生の中から、どの場面を切り取るのか。それを物語として魅力的なものにするためにどのようなシナリオ、構図、絵柄で作り出すのか。相当綿密な打合せをしなければ、これだけのものは出来ない。最終話のラストなど「そうか、ここで区切ったか!」と思わず声が漏れるほどの切れ味だ。

 八つのコミックの間に挟まれた解説文も、良い意味で抑制が効いている(安易な護教スタイルを取らなかったという意味ね)。講学ではなく法話、人生の指針としてどのような語り口どのような内容がふさわしいかを練って、コミック本編に添えた時に自然に読めるようになっている。

 先に挙げた3冊も新刊本書も、日蓮聖人が信念の人であり、苦難の多い人生の中で力強く生きる道を実践的に示された点で、共通する。それぞれの作品の個性は、それぞれに異なる人に響くだろう。特に法華宗(本門流)の宗祖日蓮聖人生誕八百年記念出版『まんが日蓮さま』は、青年僧をはじめ信心を持つ人には相当に響く熱量を持っている。一方で日蓮宗の『あなたは尊い』は、これまでの作品とは違う層(宗教・信心にそもそも関心がない人)への強力な訴求力を獲得した点で、これもまた日蓮聖人生誕八百年記念にふさわしい作品だと思う。

 あ、あと、Kindle版も同時に出てるの、凄くね?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?