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龍を観た日(R060204星祭祈祷会御法話)


 今日は法華経寺で年間最大の祈祷会・星祭です。これからの一年間を健やかに安穏に過ごせるようにとの祈りを込めた法要を勤修しました。

 先ほど法要で、お申し込みのあった方お一人一人のお名前と年齢を御本尊に言上しました。これだけ多くの方が法華経寺の信仰と御縁を頂いているわけです。

 年齢も様々です。最高齢は104歳のOさん、月に二回の定例祭に欠かさずお参りいただいています。今日も元気にお参りで何よりです。一番若い方は1歳、Bさんの初めての曾孫さんです。数え年は生まれた時に1歳、年が変わって1月に2歳になります。つまり今年1月以降に生まれたばかりの赤ちゃんです。それ以外にも若い方、壮年、高齢と様々な年齢の方がいらっしゃる。その方々が皆、一同にこの南無妙法蓮華経の信心によって、これからの一年を元気で生きていこうと、そのように誓いを立てたところでございます。

 皆さん、自分のこれまで歩んできた人生を振り返れば、それぞれいろいろなことがあったと思います。いいこともあったし、悪いこともあった。時にはほとんど絶望するような目にもあったかもしれない。時には天にも上るような心地になったこともあるかもしれない。人生にはいろいろなことがあります。

 しかし、信心を持つ者は、どのようなことがあったとしても、御本尊に全てを委ねてそのお導きに護られて生きていくことができます。後でお手元にお授けする御札を御覧ください。妙法蓮華経安楽行品第十四の経文を記しています。「諸天昼夜 常為法故 而衛護之」諸天善神が昼となく夜となく常に法華経の修行者を守っておられる、という意味です。

 この経文について、日蓮聖人が引用しておられる御遺文のひとつが、先ほど拝読した大田左衛門尉殿御返事です。まず最初に少し、このお手紙の冒頭を解説しましょう。

「某、今年は五十七に罷り成り候へば、大厄の年かと覚え候。なにやらんして、正月の下旬の比より卯月の此の比に至り候まで、身心に苦労多く出来候。本より人身を受くる者は、必ず身心に諸病相続して、五体に苦労あるべしと申しながら、更に」云云。

大田左衛門尉殿御返事 昭和定本日蓮聖人遺文 一四九五頁

 これは大田さんから日蓮聖人に宛てたお手紙の文言です。「私は今年五十七歳の大厄です。1月下旬頃から四月の今頃まで心身に様々な苦労があります。もとより人として生まれた者は生涯の中で様々な病を経験し苦しむのが定めとは承知していますが、殊更に……」云々。

 大田さんはそのようなお手紙と共に、お金、太刀、焼香などの御布施を送っておられます。これはおそらく日蓮聖人に厄年の苦しみを払う御祈祷をお願いされたのでしょう。

 この「大田左衛門尉殿御返事」は、その大田さんへのお返事のお手紙です。日蓮聖人は「人は因果の理の中で病の苦しみを得るものです。しかし法華経は心身の諸病を癒やす良薬です」と教えておられます。とりわけ、お釈迦様滅後千年間の正法の時代、更にその後千年間の像法の時代を経て、末法の現在──鎌倉時代だけでなく令和の今もです──を生きる私たちのためにこそ、お釈迦様は本地本門の御題目という良薬を与えられたのです。歴史上のお釈迦様はお亡くなりになったと見えるけれども、その本体としての本仏釋尊の命はずっと続いていて、常に私たちの前で手を差し伸べておられます。こうした法華経の尊さを懇々と諭されたお手紙と共に、日蓮聖人は法華経方便品第二と如来寿量品第十六の二品を写経して大田さんに送られ、「肌身離さず持っていなさい」と申しつけられました。

 それを受けて、先ほど拝読した箇所の冒頭に繋がります。

是の如き大事の義理の籠らせ給ふ御経を書きて進らせ候へば、弥信を取らせ給ふべし。勧発品云当起遠迎当如敬仏等云云。安楽行品に云く諸天昼夜常為法故而衛護之乃至天諸童子以為給使等云云。譬喩品云其中衆生悉是吾子等云云。

大田左衛門尉殿御返事 昭和定本日蓮聖人遺文 一四九九頁

「これほど大事な大切なお経を書いて、あなたに差し上げるのですから、いよいよ心信心を強固にして人生をお送りください」その後、経文を幾つか引用しておられます。

普賢菩薩勧発品第二十八の経文には「法華経の修行者を遠くに見かけただけですぐに立ち上がってお迎えに行って、まさに仏様を敬うようにその法華経を説き導く者」ここでは日蓮聖人のことだと思って良いと思います。「その人を仏様のように敬いなさい」とある。

安楽行品第十四の経文には「法華経を信じ、保ち、修行する者に対しては、諸天善神が昼となく夜となく常にその教えのために衛護する」少し飛んで「天の童子たちはその人にお仕えをします」とある。

譬喩品第三の経文、この前には 今此三界 皆是我有 がありますが「今私たちの生きるこの世界の全ては、お釈迦様の慈悲の掌の上にある。その中で生きる人々は全て吾」吾とはお釈迦様です。「お釈迦様の子供なのだ」とある。

こうした経文を根拠として、日蓮聖人の御言葉で大田さんに語りかけておられます。

法華経の持者は教主釈尊の御子なれば、争でか梵天・帝釈・日月・衆星も、昼夜朝暮に守らせ給はざるべきや。厄の年災難を払はん秘法には法華経に過ぎず。たのもしきかな、たのもしきかな。

大田左衛門尉殿御返事 昭和定本日蓮聖人遺文 一四九九頁

「私たちは誰もがお釈迦様の子供なのです。経文のとおり、諸天善神が昼も夜も必ず守護してくださっています。厄年の災難を払うのに法華経より優れたものはありませんよ。たんとも頼もしいことです」

 大田さんは数えの五十七歳。当時と現代とでは平均年齢が全然違います。栄養状態も医療も違います。現代で言うとどのくらいの年齢でしょう、もしかすると七十代後半くらいのイメージで、老化も進んでいたものと思います。

 振り返れば、私は今年数えの六十歳になりました。還暦は干支が一周することなので満年齢になりますから、あと二年近くあります。それでもこの歳になると、私もまだまだ若いつもりでいて、いろいろな体の不調がどうしても出てきます。

 以前も御法話で触れたことがありますが、先日眼科を受診したところ右目に白内障と緑内障が出ていることが分かりました。緑内障は薬で保たせるしかありませんが、白内障は水晶体を人工レンズに交換することで視界はクリアになります。先生から手術を勧められたのですけれど、突然のことだったので「ちょっと考えさせてください」と保留をしました。

 昔から左右の視力差は気になっていて、眼鏡での矯正もうまく行きませんで。それだけ右が弱視なんだなあと思って、日頃ほとんど左目だけでモノを見ている状況が続いていました。でもそれは、単なる弱視ではなくて、白内障が進行し水晶体が白く濁っていたわけです。ああ、左右の見え方の違いはそういうことだったのか、と納得をしました。ならば、もう放置をしないで、早めに手術をしてしまおうと心を決めました。予約が一杯で3月の下旬に手術を予定しています。手術の後は一週間くらい車の運転ができませんので、定例祭を外したタイミングですが、それどもその期間はお寺に来れない時期があります。また来月の寺報でそうした日程等はお知らせをします。

 私は人生の中で、手術をほとんど経験していません。幸い健康にこれまで生きて来させていただきました。唯一の経験は、幼稚園のときに受けたアデノイド除去手術です。昔、西御幸に耳鼻咽喉科の医院があったと思いますが、そこに入院をして手術を受けました。

 幼稚園で友達と遊ぶのは楽しかったものですから、入院で数日幼稚園に行けないよと言われて、嫌だなと思いながらショボンとした気持ちで入院したのを覚えています。

 手術は全身麻酔でした。あらかじめお母さん(法華経寺二世福頼日穣上人)、当時は「お母ちゃん」と呼んでいましたが、お母ちゃんから「麻酔するからね。でも心配ないよ大丈夫だよ」と言われて、麻酔ってどんなことするのかなと思っていました。やっぱり嫌な事は覚えてるんですよ、当時の看護婦さんに「麻酔の注射をしますね」と言われて注射を打たれた。ああ痛かった、これで終わりか、と思っていたら、麻酔が二段階で次にガスの吸入があったんです。(えっ、さっきので終わったんじゃないの? 嫌だあ)と少し暴れかけた記憶があるんですが、抑え付けられて吸入マスクを口元に宛てられると、もう一瞬で意識を失ってその失ってしまいました。

 その意識を失う一瞬──暗くなった視野の中で、光る龍が舞っているようなイメージが見えたんです。幼稚園児ですから、龍がどのような存在なのかなんて全然知りません。でも間違いなく、その時、幼い私は麻酔で落ちる瞬間に竜が舞うのを見ました。



 次に気が付いた時は、もう手術は終わっていて、病室のベッドで寝ていました。その後ある程度落ち着いてからだと思いますけれども、お母ちゃんに「麻酔はどうだった?」と訊かれて「龍を見たような気がする」と答えました。お母ちゃんから「それはお前が手術を受けるのに、龍神様が護ってくれていたんだよ」と言われて、(ああ、そういうものか)と幼稚園時代の私はストンと理解出来た気がします。

 当時の私は、法華経の教えも、信心のことも、何もわかりませんでした。それでも、幼い私は龍に守られていた。まさにこの経文の通りです。当時の私は、ただ素直にお母ちゃんやお爺ちゃん(法華経寺開基松本日信上人)の背中を見て、同じように手を合わせて南無妙法蓮華経とお唱えをしていました。そして、お寺に隣接する家にいて、お寺で大勢の信者さんたちが大きな声でお題目を唱えしているのを、全身に浴びて育っていました。恐らくそのことが、法華経の御加護をいただくことに繋がったのだろうと思います。

 幸いにしてその後現在に至るまで手術を受けるような大きな病気をせず、来月には白内障という老化によって誰もが経験する病気の手術を受けることとなりました。しかし、そのような時にも、「厄の年災難を払はん秘法には法華経に過ぎず。たのもしきかな、たのもしきかな」日蓮聖人のこと御言葉は、迷っているもの。苦しんでいる者、不安な者に向けて「大丈夫だぞ」と力強くおっしゃっているんです。

 少し文章を飛ばして最後のところを拝読しましょう。

当年の大厄をば日蓮に任せ給へ。釈迦・多宝・十方分身の諸仏の、法華経の御約束の実不実は、是れにて量るべきなり。

大田左衛門尉殿御返事 昭和定本日蓮聖人遺文 一四九九頁

「大田さんの大厄もこの日蓮にお任せなさい。法華経の中で、お釈迦様は諸天善神は必ず法華経を信じ保つ者を守護すると約束をされています。その経文が本当のことかそうでないのか、それによってわかるだろう」大田さん、あなたは大丈夫だ。そのように力強くおっしゃっているのが、お手紙の最後の部分なんです。

 このお手紙自体は、大田左衛門尉という特定の信者さんに宛てたお手紙です。しかし、それを拝読する現代の私たちは、私たち自身が日蓮聖人からそのように勇気づけられているのだという思いを持たなくてはなりません。

 この後お授けする星祭守護札には、そのような日蓮聖人の約束。その大本にはお釈迦様、本仏釈尊諸天善神の法華経の約束が込められています。どうぞこれをお持ち帰りいただいて、これからの一年、様々なことがあろうかと思いますが、必ずや諸天のご守護が得られます。御本尊のお導きに任せて、それぞれの人生を充実してお過ごしください。

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