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ウクライナ平和の鐘 064 自燈明・法燈明

https://youtu.be/8W_XEhQ4-yA

■2022(令和4)年5月23日 064 自燈明・法燈明
(動画の0:33~5:14)

本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。他人ではなく自分自身を、他のものではなく法を拠り所とすること。それがお釈迦様の最後の教えです。他国への侵攻は、法を見失った身勝手な振る舞い。自燈明法燈明とは真逆です。

合掌

 昨日はお釈迦様の若い頃、宗教修行に入られるきっかけのお話をしました。今日はお釈迦さまがお亡くなりになる際の、一番最後の説法のお話をしたいと思います。その様子は大般涅槃経という経典に書かれています。

 お釈迦様が高齢となり、病を得てもうじき命を終えられるという時に、弟子のアーナンダ(阿難)が「最後に教えを説いてください」とお願いをして、それに対するお釈迦様のお言葉です。

(筑摩書房『原始仏典』中村元訳)

 アーナンダよ。修行僧らはわたくしに何を待望するのであるか? わたくしは内外の区別なしに[ことごとく]法を説いた。完き人の教法には、何ものかを弟子に隠すような、教師の握拳は存在しない。
 それ故に、アーナンダよ。この世で自らを島とし、自らをよりどころとして、他をよりどころとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。

「私は生きてる間にすべての教えをお前たちに説いた。自分に教師の握り拳はない」

 握り拳というのはつまり、先生が弟子に教えるのを惜しんで隠しているものです。そのようなものはない、全て教えたと、お釈迦さまはおっしゃっています。

「だから、私が死んだ後もお前たちは安心して、自らを拠り所とし自らを灯火とせよ。法(ダルマ)を灯火とし法を拠り所とせよ」

 自らを拠り所にするというと身勝手な思い込みで突っ走るイメージですが、そういうことではありません。なぜならそれは法とセットだからです。世の中の理法、因果関係、自分の心、振る舞い、言葉。そうしたものを正しく観察して、正しく考えていくこと。それによって私たちは、誤った道を遠ざけ、正しい道を歩むことができるのです。

 そのための道しるべは全てお釈迦様が語られ、隠しているものはありません。「だからお前たちは、誰かの言動に心を揺るがすことなく、正しい観察と正しい推論で、自分と法を拠り所として、正しい修行に励みなさい」そのようにお釈迦様はおっしゃったのです。

 ウクライナの戦争では、ロシアは正しく物事を見ず自分の利益から他国に侵攻しました。その動きのもとで、大勢の人が亡くなって、大勢の人が苦しみへの道を歩んでいます。それを改めて、安らかに生きる道を目指す道。その手がかりは既に示されているのです。

再拝

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