ウクライナ平和の鐘 004 貪欲と瞋恚

■2022(令和4)年3月16日 004 貪欲と瞋恚
(動画の2:54~6:59)

人を悪業に駆り立てる仕組みを煩悩と呼びます。貪欲(貪り)及び瞋恚(怒り)の煩悩は、生命を維持する上で欠かせない機能である一方、容易に暴走して悪業となります。ウクライナの戦乱はその最も悲惨な現れです。

合掌

人を苦しみに導く悪業。その悪業を積ませる原因になるものを、仏教では「煩悩」と呼びます

煩悩とは、私たちの心や体が様々に波立つことをいいます。様々な種類がありますが、特に「三毒」と呼ばれるものが様々な煩悩の根本に位置づけられます。

まず最初に貪欲(とんよく)。貪りの心、好ましいものを得たいと思う気持ちです。

2番目が瞋恚(しんに)。怒りの心、厭わしいものを遠ざけたいと思う気持ちです

貪欲と瞋恚、貪る心と怒りの心は、どちらも私たちの生命の根源に関わっていて、逃れようのないものです。

例えば肉体を維持するためには、食事を摂らなくてはなりません。また異性を見て「素敵だな、仲良くなりたいな」と思わなければ、人類という種の存続ができません。どちらも私たちの生命を存続させるための本能で、そこに貪る心が根ざしているんです。

怒りもそうですね。例えば毒を好んで食べたら、すぐ死んでしまいます。だから苦いもの、不味いもの、毒と分かっているものは厭い遠ざける。嫌いな人に会うのはストレスなのでできるだけ会わないようにする。もしその気持ちがなかったら、誰かに殺意を持って攻撃されたらそのまま殺されてしまいます。ですから、自分の命を護るためには、自分を攻撃するものを憎み遠ざけ、時には攻撃して撃退する。そのような気持ちは大事なんです。

このように、貪欲も瞋恚も私たちの生命を維持する上で欠かせないものです。しかし、生命の維持に必要な範囲を超えて暴走してしまうことがあります。

例えば他人の所有物を欲しくてたまらなくなり、強盗したり脅し取ったりすれば、これは悪業を積む事になります。憎い敵に悪口をいい、殴り、殺したならば、相手の苦しみを生むし、最後は自分に跳ね返って自分の苦しみの元となる。これも間違いなく悪業なんです。

このように貪欲・瞋恚は、私たちの生命の基礎であると同時に簡単に暴走して悪業になってしまうんですね。「あの国が自分の言うことを聞かないから、侵攻して政権を交代させてしまえ」と言って軍隊を送り、その国の人々を大量に殺してしまう。今、ウクライナで起きている戦争は、まさに貪欲と瞋恚が暴走している状態です。

では、私たちの生命維持に必要な行為と、苦しみの原因となる悪業との境目を、どのように見分けるのか。三毒の最後のひとつと関わるこの問題は、明日お話ししたいと思います。

再拝

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