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相待妙・絶待妙

ああ、これは良いものを読んだ。

私は高校中退、中卒の資格で学林に入った。当時の学林生の大半は大卒、少なくとも高卒だった。当時クラスはABCの三つに分かれていて、少なくともBクラスを卒業することで住職資格を得られる。Aクラスは高度な課程で、行かなくてもいいけれど、卒業後の僧侶の位階が上になる仕組みだ。

うろ覚えだが、高卒ならC一年B一年A二年の四年で満了(大卒ならA一年)のところ、中卒の私はCクラス予科二年、Bクラス本科二年と四年間かけてBクラス卒業にようやく届く状況だった。その四年間で「信心」の問題に関心が向き、宗教学を学びたくて大学受験を志したため、Aクラスには進まずに学林を離れた。つまり、教学の高度な部分は学ぶ機会のないまま、現在に至っているわけだ。

今の私には、以信代慧を巡るぼんやりとしたビジョンがある。それを語ることがこのnoteの目的なのだけれど、ひとつの大きな(極めて大きな)問題は、私が日蓮教学(とりわけ八品門流のそれ)の一定水準以上のところをきちんと学んでいないという点にある。何故私が以信代慧に拘るかといえば、僧侶として信者さん方に信心を説くことと、信心を持たない人と共に生きる社会人であることの、両立に関わることだからだ。「両立」ということは、教学を徒や疎かにはできない、ということだ。教学を踏まえない思想は、個人としては良くとも、僧侶としては決して良くはない。

相待妙・絶待妙は、学林時代に田村芳朗先生の特別講義で繰り返し聴いた記憶がある。でも、その文脈は少しも覚えていない(当時の講義を録音したカセットテープがあるけれど、テープの電子化グッズが不具合だらけでなかなかうまく行かない。どなたか「これがいいよ」というグッズがあったら乞ご教示)。田村先生の講義は「日蓮聖人の思想は、ひたすら現実肯定をする本覚思想を超えて、現実世界を改革するものだった」というのがエッセンスだったと、当時の印象として覚えている。その中で、相対・絶体のどちらかが決定的に正しいというわけではなく、往還運動の様相になにかしらの本質が潜んでいるという印象を、十代の私は受けていた。そこ止まりだ。後に西洋哲学の普遍と個別を巡る論争とか、派生的には解釈学的循環の問題などを知り、相待妙・絶待妙を思い出したけれど、そこを探求するには至らなかった。

なので、今回の屠蘇さまのエッセイ全体、とりわけ「相待妙も絶待妙も等しく分別」「開会と雑乱は紙一重」「日蓮上人が絶待妙を警戒していた」あたりにはとても響くものがあった。

法華信仰は、一方の極として原理主義的排他主義が、他方の極として本覚思想のような無限の包摂が含まれる。どちらの極も自分は取り得ない。ならばどこに重心を置くのか。「以信代慧の人間論」と深く関わる論点と受けとめた。


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