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ウクライナ平和の鐘 073 散りし花もまた咲きぬ──戦乱100日目に寄せて

https://youtu.be/zoVUYEIq4S4

■2022(令和4)年6月3日 073 散りし花もまた咲きぬ──戦乱100日目に寄せて
(動画の3:03~7:55)

本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。諸行無常、時の流れは人の思いどおりになりません。100日前、ウクライナの平和は突然崩れ去りました。しかし同じように、戦争も必ず終わります。できるなら、それがウクライナの人々の願う形でありますように。

合掌

 今日は日蓮聖人の御書(御文章)の一節を拝読いたします。日蓮聖人という方は、800年前にお生まれになった鎌倉時代の僧侶です。

散りし花もまた咲きぬ
落ちし菓もまたなりぬ
春の風もかわらず
秋のけしきも去年のごとし

『千日尼御前御返事』

 仏様の教えは、世の中の理法=ダルマを見据えて、それに外れぬ生き方を志すものです。そのダルマの中でも特に根本的なもののひとつが諸行無常、時間は必ず過去から現在、現在から未来へ一方向に流れて止めようがないという視点です。

 あらゆるものは移り変わる、どんなものも固定的ではない。それなのに私たちは、好ましいものはずっとここにあってほしいと思うし、厭わしいものは早くあっちに行けば良いのにと願う。時間の流れの中で何かを自分の思いどおりにしたいと思う、でも思い通りにはならない。そこに苦しみが生まれます。

 今日は、2月24日にウクライナにロシアが侵攻を開始してから100日目に当たります。最初は数日で終わるのではないかと言われていた戦争は、今も終わる見通しはありません。この後さらに100日がかかるのか、もっと短く終わることができるのか、もっともっと長く続くのか。それは誰にもわからないところです。

 100日前、それまで平和で穏やかな暮らしをしていたウクライナの人々は、あっという間に戦争という悲惨の極みに突き落とされました。そしてそれは今も続いています。

 諸行無常の一面、平穏な暮らしをずっと続けたいとどんなに思ってもいつか何かの拍子に壊れてしまう。それが100日前に現実のものとなりました。しかしそれだけではないのです。好ましくない嫌なものも、必ず終わりが来るのです。

 先ほど拝読した日蓮聖人のお言葉を思い出してください。

「散りし花もまた咲きぬ、落ちし菓もまたなりぬ」散ってしまった桜の花も一年後に次の春が来ればまた花は咲く。実り切って地面にポトリと落ちた果実も、腐って大地の養分の中で新たに芽生え、またさらに果実を実らす。

「春の風も変わらず、秋の景色も去年の如し」時間がずっと移り変わるように見えて、春が来て夏が来て秋が来て冬が来ると、また必ず春が来ます。去年の春と今年の春は、違う時間の流れです。でも春は同じように花が咲きます。

 ウクライナの戦争がいつ終わるのかは分かりませんが、しかし必ず終わりがきます。そしてその時には、以前の豊かで穏やかで平和な暮らしが、また必ず戻ってくる筈です。私たち国際社会ができることは、その日が一刻も早く訪れるように努力をすることだと思います。

再拝

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