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ウクライナ平和の鐘 065 卑しさの自覚

■2022(令和4)年5月26日 065 卑しさの自覚
(動画の2:56~7:20)

本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。他の人に「お前の行為は卑しい」といわれて、素直に受け入れられる人はいません。長引くウクライナでの戦争がその証左です。反省し行動を変えることができるのは自分自身だけなのです。

 今日もスッタニパータから一節をご紹介しようと思います。

第一 蛇の章 七 卑しい人
一一六 怒りやすくて恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、──かれを賤しい人であると知れ。
一一八 村や町を破壊し、包囲し、圧制者として一般に知られる人、かれを賤しい人であると知れ。
一一九 村にあっても、林にあっても、他人の所有物をば、与えられないのに盗み心をもって取る人、──かれを賤しい人であると知れ一二〇 実際には負債があるのに、返済するように督促されると、『あなたからの負債はない』といって言い逃れる人、──かれを賤しい人であると知れ。
一二一 実に僅かの物が欲しくて路行く人を殺害して、僅かの物を奪い取る人、──かれを賤しい人であると知れ。
一二二 証人として尋ねられたときに、自分のため、他人のため、また財のために、偽りを語る人、──かれを賤しい人であると知れ

(岩波文庫『ブッダのことば』中村元訳)

 このお言葉は、お釈迦様が他の宗教修行者から「卑しいとはどういうことか教えてくれ」と問われて、それに対して答えた内容です。抜粋で、全てではありません。

 恨みを抱く人。村や街を破壊する人。負債があるのに嘘をついて負債はないという人。証人として尋ねられても偽りを語る人。こういう人は卑しい人であると、お釈迦様はおっしゃいました。私たちもこれを聞けば「ああ、そうだね、そういう人はダメだねぇ」と誰もがすぐにわかるはずです。

 でも、ひとつだけ大事なことを意識してください。他の誰かを指差して「お前が悪いんだ、お前は卑しいぞ」と言った時に、何が起こるか。言われた側は、それを素直に認めず「いいや、お前のほうが卑しい奴だ」と言い合いが起きる、ケンカが起きる。「自分は悪くない、あいつが悪いんだ」と殴り合いが起こる、殺し合いが起こる、戦争が起こる。

 大事なのは、この「卑しさ」が自分自身の中に発したときに、気付くことです。「ああ、これではいけない」と改めることができるのは、自分自身しかいないのです。

 今、ウクライナの戦争で、先ほど拝読をした様々な卑しさが実際に出現しています。そしてその卑しさを行った当人は、それを認められずに、どこまでも暴力を振るい、どこまでも街を破壊し、どこまでも嘘をついています。周りの国の批判が当事国の心を溶かすことはなく、三カ月以上が経過してしまいました。

 しかし、このままの事態を続けていい筈はありません。どこかで本人が、当事国が気づき認めるべきなのです。

再拝

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