ウクライナ平和の鐘 076 蔵の財、身の財、心の財
■2022(令和4)年6月8日 076 蔵の財、身の財、心の財
(動画の3:18~9:07)
本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。他国の蔵の財を略奪し、人々の身の財を損なう軍事侵略。しかし、心の財を奪うことはできません。魂こそ人生の土台、「この文を御覧になったなら、心の財をお積みなさい」(日蓮聖人)
合掌
今日は日蓮聖人の御書『崇峻天皇御書』の一節をご紹介しようと思います。
ここには三種類の財が登場します。
まず初めが「蔵の財」お金や物などのいわゆる財産のこと、蔵に積むことのできるものを指しています。一般的に「たから」というとそのような財産を指しますね。
しかしここで日蓮聖人は「蔵の財よりも私たちの体の財の方がより重要なんだ」とおっしゃいます。どんなに財産があっても、体が不健康では苦しみばかりが募り、心も挫けてしまう。だから蔵の財よりもまず我が身の財のことを考えるべきだ、ということです。
そして、その身の財よりもさらに優れた宝がある──心の財です。心、私たちの魂といってもいい。体がたとえ弱くても、心がしっかりしていれば充実した生き方ができます。心が弱っていれば、体がどんなに元気でも、財産を多く持っていても、どうしようもないことがある。
ウクライナの戦争では、侵攻したロシア兵が様々なものを強奪して本国に持ち帰っていると言われています。個人の住宅にあったテレビ等の家電製品であったり、トラクターなどの農業の高額資材であったり、作物・穀物といったものを持ち帰っている。これは蔵の宝に当たるものです。もちろん、他人の国に侵攻して他人の持ち物を奪っていい道理があろうはずがありません。
でも、蔵の財を奪われたり砲撃で破壊され失っても、体が元気で生き延びれば、まだ取り戻すことができます。しかし戦争という極限状態では、その身の財、生命をも奪われてしまいます。
それでも残る最も大切なもの、心の財に注目をしましょう。悪業を積んでいるのは誰か。罪のない者は誰か。罪のない者は、亡くなった後も、その報いは安らかなものである筈です。罪を犯した者は、亡くなった後の報いはとても苦しいものになる。仏様の教えではそのように言います。そして、この戦争を耐え生き延びているウクライナの人々の心は、失われていません。損なわれていません。
ここからです。その心の宝を胸の内に、足下をしっかりと踏みしめて、ここから身の財、蔵の財、そして新たな平和な世界への道筋を歩んでいく。その種が、私たちの心には備わっているのです。
先ほどの日蓮聖人の御書は続けて「この御文を御覧あらんよりは心の財を積ませ給ふべし」と説かれていました。「この手紙を読んだなら、ここから心の財を積んでいきなさい」そのように日蓮聖人は、この御文章を読まれた人に対して告げておられるのです。このお手紙が書かれたのは七百五十年ほど昔のことです。しかしその時を超えて、現代では書籍の形で私たちは読むことができます。
先ほど私がこの書籍を開いて日蓮聖人のお言葉を拝読しました。「心の財を積みなさい」その言葉は今動画を見ているあなたの心に、あなたの魂に、届いているでしょうか。届いたならば、ここからです。心の財を進んで参りましょう。
再拝
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