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ウクライナ平和の鐘 028 戦乱の痛み

https://youtu.be/af6mpXEugsg

■2022(令和4)年4月16日 028 戦乱の痛み
(動画の3:15~6:00)

本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。長年にわたりある程度機能してきた国連による戦争抑制が、今回のウクライナ侵攻で覆りました。2500年前の経典が描く闘争の恐怖を、私たちは目の当たりにしています。

合掌

 昨日ご紹介した中村元先生翻訳のスッタニパータという経典は、岩波文庫に『ブッダのことば』という標題で収められています。これをパラパラとめくっておりますと、戦争に関する節がありました。「武器を執ること」という章題が付けられた箇所の最初の方を拝読します。

一五.武器を執ること
九三五 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭い離れたその衝撃を宣べよう。
九三六 水の少いところにいる魚のように、人々が慄えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。
九三七 世界はどこも堅実ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。

岩波文庫『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳 203頁

 以前にもお話をしたように、お釈迦様の時代、2500年前のインドも争いの絶えないところでした。と言うよりも、昔は世界中で争いが絶えませんでした。第二次世界大戦の後、世界は国際連合の仕組みを作って、大きな国家間の戦争を抑制しました。もちろん例外はありますが、他国への武力侵攻を抑制する仕組みはそれなりに機能してきました。

 それが覆ったのが今回の戦争です。そして世界中が、今の戦争の悲惨さに目を向けています。ネットやテレビでの報道を通じて、私たちは戦乱の恐ろしさに胸を痛めています。

 この悲惨と恐怖から逃れるために、どのようにするべきなのか。

 お釈迦様の言葉はまだ続きます。それは明日ご紹介しようと思います

再拝

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