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シャロームの森



はじめに。


突然でしたが季節外れの冬眠に入り、久しぶりのnote更新となりました。
おはようございます。目覚めましたおかぴです(笑)。


4月に愛犬が天国に行ったり、
一方的にではありますが失恋したりと、
色々あってどれかひとつだけが理由になったわけではないのですが、
SNSも、スポーツに関わることも、書くことも読むことも(要するに好きだったことぜんぶ!)一度すべて辞めてみていました。
心を動かさない状態を意図的に作る期間。
すなわち自主的な完全リセット期間を過ごしていました。


これまで生きてきた中でも何度かあった完全リセット期間なのですが、今回はやや規模が大きく、そして思っていた以上に長引きました。
とりあえず健康状態にも精神状態にも問題はなくて、元気であることに変わりはありません。むしろピンピンしています。


ただ、自分の中からなかなか湧き上がってくるもの(情熱とか希望とか夢とか)が無くて、と同時にコロナの影響も相まって、職探しが難航。
なんだかんだ退職願を提出してから今月末で1年を迎えることとなりました。
あれー、これは少し予定外だったかも。
自分ではもっと早くから何か目標に向かってバリバリ働いているイメージだったのに。
おかしいな、どこで狂ったんだっけ?と思い返してみたところ、心当たりはいくつかあって、ひとつひとつの綻びに向き合う機会にもなりました。


自分の内側も1年前に比べてあちこち変化したみたいで、今はまだ、「よし、これだ!わたしはこれをやるぞ!」と思えるものが見つかっていません。
おそらく、1年前わたしが志していたものは真に自分のやりたいことではなくて、基本的に「誰かのために」、とか、「自分以外のもののために」、という想いが強すぎたのだと思う。
なので、その想いがいつかもし途切れた時に、動力切れしてしまう、と思った。
それではきっと「本物の動力」にはなれないのだと思いました。
この先の死ぬまでの時間を本気で全力でやり切るのならば、動力源を「誰かのため」じゃなく「自分自身のため」に切り替えていく必要があると強く感じたのです。
なので、リセットボタンを、自分で押しました。
初期化してやり直すより他に方法が思いつかなかった。


しかし「初期化された自分」というのは考えていた以上に大変でしんどく。
自分の軸が無い状態は本当にとても大変。不安だし楽しくないしやりたいことも特にない。仕事もない、お金も稼げない、何か特別なことが出来るわけでもない。そんな自分に一体何の価値があるのだろう?と。それを考え始めると終わりがなくなってしまう沼。
それでもなんとか数々の執着してきたものを手放しながら整えたけど、その過程もまた大変だった。

でもやって良かったと思います。今は。
そう思えるところにまではどうにか来たようです。
多くの持ち物を減らした結果、だいぶ思考がシンプルになりました。
これからはブレーキとアクセルを同時に踏むような生き方はしないで済めばいい。
今度こそアクセルだけをふかして自由に走りたい。どんどん生まれ変わろう。
上手い走り方はよくわからないけど。下手でもいいのでとにかく前へ進んでみようと思っています。

以上、近況報告でした。(伝わりますかね…(笑)??)




今回のnoteは。


さて、

今回の記事のタイトル「シャロームの森」は、今年4月に愛犬がお世話になったペット霊園の施設名です。
愛犬が亡くなり、火葬してお骨になりおうちに帰ってくるまでのことを書きます。
いつか書ける日が来たら書き残しておきたいなと思っていました。(そして気付いたら3ヶ月経っていた)


いつか大切なペットの死を迎える方にも読んでいただけたら。
必要な時に、必要な方の元へ届いたらいいなと願っています。


悲しい波動は乗らないよう配慮して書いていますが(っていうか愛犬の死は悲しいという以上に、わたしたち家族にとってはとても豊かな経験となったため、悲しい記憶ではありません)、それでもやはり生物の死が関わる内容と、火葬場のお写真なども少し載りますので、そういったものが苦手な方はここでnoteを閉じていただけると良いかなと思います。よろしくお願いします。


ちなみに、わたしがうちの愛犬たちからもらったメッセージについて書いたnoteがあります。こちらです。


今回虹の橋を渡ったのは白いわんこ、あん爺ちゃん(♂)。
もしよろしければこれから書き連ねる彼の最期の数日間のこと、読んでみてやってください。




亡くなる数日前。


あんが亡くなる1週間くらい前に、「眼球振盪」というものがまず起きました。


この症状は今回直接の死因とは関係ないのですが、これが彼が生きてきた中で老化症状として起きたいくつかの症状の、その最後の症状になったと思います。
この症状で苦しがる様子は特にありませんでしたが、目を開けていると右側の眼球(黒目)が上から下へ自動的に落ちてくる状態になりました。
あと、普通におすわりしていても体が常に右側に傾いている状態になって、なんとなくピサの斜塔みたいになりました(笑)。
見た目的には単に可愛いだけ、という。この時はまだ誰もが軽い気持ちでいたので、可愛いからまぁいいか、と母と笑って過ごしていました(笑)。たぶん愛犬的にはちっとも良くない状況だったことでしょう。当事者は平衡感覚が保てず酔っぱらったような感覚になるらしいので。

先生の解説によると、症状から察するに過老性の前庭障害(平衡感覚の異常)、脳内腫瘍、脳の何らかの血行障害(脳梗塞など)の疑いがあるとのこと。(犬ではくも膜下出血は殆どないそうです)
詳しいことは検査しなかったのでわからないのですが、愛犬が何年もかけて少しずつ衰え、老化していく様子をそばで見守ってきたので、いずれにしてもいつかはその機能を停止する肉体の限界が来ていることは当然と思い、覚悟も常日頃から既に出来ていたのもあって、この日から最期を迎えるまでの数日間、すごく穏やかに冷静に過ごせたような気がしてます。愛犬の飼育に対して後悔も全くありませんでした。

当時コロナによる自粛生活のおかげで外出することもなく、24時間つきっきり、最後まで全力で一緒にいられたのも本当によかった。
もし今まで通りの生活が続いていて、もしわたし自身が仕事も持っていたとしたら、こんなに思い残すことないくらい愛犬とずっと一緒に過ごせることってなかったんじゃないかなと思います。



おうちで看取りたい。


普段からかなり食の細い子でしたが、亡くなる4日くらい前から何も食べなくなって、下痢や嘔吐を繰り返すようになりました。
血便もしたし、吐瀉物にも血が混ざるようになって、唯一飲めていたお水も飲むと吐くようになり、いよいよかな、と。1日ずつ容態が悪くなっていきました。

いつかもしその日が近づいたら、病院に連れて行って何らかの処置をしたりお薬を飲んだりするよりも、おうちでゆっくりさせてあげよう、と思っていました。
病院で看取るのは出来れば避けよう、と。
いつの頃からかそうしよう、と自分の中で決めていたのもあり、先生とメールやお電話でご相談することは続けつつ、直接病院には連れて行きませんでした。
結果、その選択が自分たちに一体どんなシーンを見せることになるのか、もしかして物凄く過酷なものを自宅で見届けることになるのだろうか、などと、妄想による少しの恐怖心も正直あったけど。
それを耐えるのも飼い主の使命かなとその時は思いました。


亡くなる当日の朝には、お水はティースプーン1杯とか2杯とか。
それくらいしか口に出来ないレベルになっていました。
その頃にはおしっこも出なくなって。
いよいよ元気がありません。

おしっこと言えば、彼が最後の最後まで本当にすごかったのは、最期まで自力で、自分の足で立ち上がり、自分の足でトイレへ行き、用を足したことです。
どんなにフラフラでもどんなに具合が悪そうでも、トイレ以外の場所を汚さなかった。
本当に立派だったなと思う。
介護生活で最も大変なのは、人間でも犬でも排泄のお世話だと思うので。


彼がこうして数日間も何も食べず、ひたすら排泄することだけに専念したのは、やがて来る最期のために彼自身の生命エネルギーがその準備を始めたからでした。
動物ってすごいんですよね。死期を悟り、エネルギーの使い道を「生存」から「最期のための準備」に切り替える。それを目の前の愛犬から感じた時、わたしは彼から生命の崇高さを教えられた気がします。



もしかすると唯一の後悔。


でも、人間…というか、わたしは愚かなので。
飼い主としてのエゴが最後の最後で出てしまったのかもしれません。

どうしても、何かお腹に入れてあげたい、というある種の本能がよりによって最終日に働いてしまいました。
せっかく彼は最期の準備に入っているのに、どうしてもまだ何かしてあげたい、という身勝手な欲が働いてしまうんですね、飼い主は。

何も摂取できなくなってしまった彼に、その日の午前中に病院で購入した栄養価の高いエナジードリンクをわたしはひとくち与えてしまいました。
もしかすると唯一、それが後悔と言えば後悔かもしれない。
愛犬が欲しがっていないものを自分のエゴで与えてしまったこと。
結果、その直後に聞いたこともない鳴き声をあげて苦しがって、彼は嘔吐を繰り返すことになりました。そのことによって半日ほど彼を苦しめてしまった。
その半日だけ、初めて愛犬がすごく苦しがる姿を見ました。
呼吸が荒くて、悲痛な声で鳴いて、いよいよ立ち上がることも出来なくなって黄色いものを繰り返し繰り返し吐き続けて。胃の中のもの何ひとつ残さないくらい夜まで吐き続けたので、わたしはやっぱり選択を誤ったのだろうかと何度も思った。家で看取るなんて甘い考えだったのかなと。心が折れそうになった。
でも目を逸らすことも引き返すことももう出来ないから腹括るしかありません。

「命」に対する認識が、まだまだ甘かったんだと思います。
「命」って考えているよりももっともっと繊細だったんですね。
今際の際に安易にどうこう出来るものではなくて、人間がしてあげられることなど思っている以上に何も無かったんです。それをわかっていなかった。

「何もしないこと」。

それこそが本当は最良の一手だったのかもしれません。後になって考えると、ですが。
もしあの時、自分があれを与えていなかったら、あともう半日だけでも別れの日を遅らせることが出来たのかな、とか。今もふと思うことはあります。どうなんだろう、って。思うことはやっぱりあります。
でも、何かせずにはいられなかった気持ち。それもまた本物でした。



最期の瞬間。


夜の10時くらいになって、少しずつ彼の荒かった呼吸がやわらいでいきました。
日中は母と交代で寝込む愛犬に付き添い、家の中の異常を察しているもう1頭の愛犬のことも気にかけながら、人間側の生活もふつうに回していて。周りでバタバタしていた自分たちが落ち着くのを、愛犬は本当は待っていたのかもしれません。
彼がこの家で多くの時間を好んで過ごしてきたリビングの一角にようやく母と2人で腰を落ち着かせると、それまでの喘ぎが嘘のように愛犬の様子が穏やかになりました。

それから1時間ほど後、小さく繰り返していた呼吸がまるで音楽のフェードアウトのようにゆっくりと消えていきました。目を開けたまま、本当に呼吸だけが静かに静かに止まりました。
何て表現したら良いのかわからないのだけど、そのほんの数分間の静寂と平和がとても美しくて。
生命との別れがこれほど美しいとは思ってもみなかった。
不思議なほど素敵でした。素敵なひとときでした。
一生懸命生き抜いた命が神様に認められた、みたいな。
そんな心境になりました。

苦しい思いもさせてしまったかもしれないけど、おうちで見送れて本当によかった。
選択は間違っていなかった。そう思えました。


数日間、彼が苦しいことと戦ったまるで証のように、すっかり体が汚れてしまっていたので、母と2人で綺麗に拭いてあげたらいつも通りの姿になりました。
不思議だったのは、生きている時だと拭いてもなかなか落ちなかった汚れが、息を引き取った後はとても簡単に落ちてしまうこと。母とどうしてなんだろうねー、などと言いながら就寝する頃には日付が変わり、4月27日になっていました。
あと2ヶ月くらい経てば16歳。ほんと、あと少しだった。

でも、毎年誕生日やクリスマス、お正月などを迎えるたび、「この子と過ごせるのは今年が最後かもしれない」と思い続けてきたし、悔いなくやり切ってきたので心は軽かった。
とは言えやっぱりなかなか寝付けなかったけれど。

例えるなら「自分の片翼をもがれた感じ」。
彼が手の届く場所からいなくなる痛みはそんな感じの痛みでした。
それくらいずっと一緒だったし、自分にとっては愛犬こそがバディだったんです。
なにしろ、家族のことでいろいろ苦しんできたわたしを誰より知ってるのはこの子だったので。
「お前、幸せになれ」と言ってくれた愛犬の一言が、朝までずっと頭の中をぐるぐるしていました。




シャロームの森。


昔、子どもの頃に飼っていた愛犬たちは、家の裏の河川敷に埋葬してあげていました。
当時はそれが許されていた時代。
今の時代はそうもいかないので、翌朝火葬場をどこにするかインターネット検索を開始しました。

余談ですが、子どもの頃に可愛がっていた愛犬の埋葬にわたしは行かなかったんです。「親に泣き顔を見せたくない」というとんでもつまらない理由で。
正直ずっとそれが心残りになっていて、だからもし次に犬を飼ったら、その時は必ず自分の手でちゃんと送り出してあげたい、と、この子をうちに迎えた時から強く願っていました。
今回それが叶ってよかった。


近場でペットを火葬できる場所はいくつか選択肢があり、2件目にお電話したペット霊園の方の電話応対がすごく親身で丁寧でわかりやすく、こちらからお聞きしなくても順を追って全部説明してくださいました。なので、お値段的にはやや高かったけど即決しました。それが、「シャロームの森岩見沢」でした。
お電話で話してみて、この方になら安心してお任せできる、と思えたのが決め手です。

札幌などにもいくつか火葬できる場所があるようなのですが、最寄りの岩見沢の火葬場は予約が入った時にだけ稼働させているのだそうです。(2020年4月27日お問い合わせ時の情報です。現在は状況が変わっているかもしれません。ご必要の際は先方へお問い合わせくださいね)


また、お電話でのやり取りの中で、「今現在どのような状態で遺体を保存し、何歳でどういう状態で亡くなりましたか?」と尋ねられたのでかくかくしかじかご説明したところ、「4日前から何も食べていないのであれば、わんちゃん自身が最期に備えて準備をして体の中に何も残さないようにしているので、遺体の保存も今の季節であればそれほど心配しなくても大丈夫ですよ、時間が経っても汚れないと思います」と仰ってくださいました。
息を引き取った後体内に残っているものが遺体から出てくる場合がありますが、今回の愛犬の場合は本当にまったく汚れず最後まで綺麗なまま見送ることが出来ました。

夏場の暑い時でなければ、保冷剤等を入れずに室温15度くらいのお部屋に寝かせてあげても良いとのこと。
4月末の北海道はそれほど気温も上がらず、比較的涼しい部屋で安置してあげられるのですが、念のために大きめの発泡スチロールに保冷剤を入れて安置してあげました。(頭とお腹の辺りを重点的に冷やしてあげるとより良いです)
でも、もし入れなかったとしても今回はご説明の通りまったく大丈夫だったと思います。

火葬の予約を翌日でお願いしたので、この日1日は時間に余裕を持って色々準備してあげられました。
ふだん食べていたご飯や好物、お気に入りだったおもちゃ、お花なども一緒に火葬できますよとのことだったので、1日思い返しながら厳選して好物を選んであげられたなぁと思います。
中でも、愛犬自身は食べられなかったのですが、どういうわけか不二家の苺のショートケーキの匂い?が異常に大好きだったので、往復1時間車を走らせて準備出来たのは幸せでした(笑)。やっぱこの子にはこれがないとね、って(笑)。



シャロームの森にて。

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4月28日午前中、自宅から車で30分ほどの火葬場へ。
リフォームした綺麗な住宅の中に可愛らしい祭壇があって、焼場は住宅の外に設置されていました。すごく綺麗で雰囲気も良いです。
本格的な火葬場が苦手(イロイロお持ち帰りしやすい笑)で、長時間の滞在が苦手なわたしでもここは全然大丈夫でした。


祭壇のお花やぬいぐるみなど、すべて現地に常備されているものです。お鈴もお線香も用意してくださいます。

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この祭壇、すごく可愛くて嬉しかった…。
火葬の前にここでゆっくりと最後のお別れの時間を過ごせました。
その間に、持参したお花を焼場で手向けやすいようにスタッフさんが短く切り揃えてくれました。そういうちょっとした気遣いがすごく気持ちをあたたかくしてくれるんですよね。


火葬場の選択肢のひとつに、町民などが利用する普通の火葬場の一角でペットも利用できるような低料金のサービスもあるにはあったのですが、こうして他に利用者さんのいない場所で時間や順番や人目を気にせず家族だけで過ごせ、スタッフの方から心のこもった対応をしていただける良さは他ではおそらく得られなかったろうと思うので、シャロームの森にお願いしてよかったと思います。


愛犬を焼場へ移し、大好きだったササミや不二家のケーキ(笑)をあげてお花も飾ると、とっても気高く、そして可愛らしくなりました。

火を入れる直前にスタッフさんが、「ケーキのいい匂いがしているよ」と仰ってくださったのがとても印象的でした。
コロナ真っ只中でみんなマスクを着用しているので、実際のところは匂わなかったんじゃないかなってわたしは思うんです。でも、母は今でも「あの人そう言ってたね」って嬉しそうに話しています。
だから、そういうちょっとした一言が家族にとってはいつまでも胸に残ったり、変かもしれないけどケーキ用意してよかったな(笑)、って思えたりする。そういう記憶って実はすごく大切なことなのかもしれないですね。


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希望者には所定の料金内で「分骨カプセル」を1個プレゼントしてくれます。
遠方在住で参列出来ない姉が希望したので、形の可愛い爪の部分や、後ろ足の小さな骨などを入れて持ち帰りました。


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骨壺は3寸。骨覆い等、全て料金内です。助かります。



滞りなく終了し、車に乗ったのが午前11時半少し前。
天気予報は朝から雨だったにも関わらず終始良いお天気に恵まれ、帰宅して全ての荷物を降ろし終えたと同時に、土砂降りの雨になりました。大きな雷も鳴りました。


そのあとはまた太陽が世界を照らして

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夕方には三日月と金星も綺麗に見えて

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なんだか壮大な気象ショーを見せてもらったような。
ちょっとドラマティックで美しい1日でした。
美しい日に天へ昇って行けたと思います。



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改めまして
たいへんお世話になり、ありがとうございました。




感謝をこめて。


長年にわたり、アロペシアや心臓病、腹痛、謎の痙攣発作や脱臼の手術などなどなど、あらゆるアクシデントが起こるたび、命を助け、何度でも通常通りの生活が営めるよう無事に家へ帰してくださったなんぽろ動物病院のみなさまにも感謝しかありません。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

心から信頼の置ける、頼れる動物病院です。
ペットの一生を最終的に決めるのは飼い主の決断ひとつ。ですが、その決断に至るまでの疑問や悩み、家族としての希望、安心して話せる場所でした。
父が要介護となって家の中がうまく回らなくなっていた時や、わたし自身が会社を辞め生活スタイルを激変させた時も、愛犬たちに関することであればどんなことにも協力してくださるあたたかい姿勢を貫いてくださいました。たくさんたくさん、何度も助けていただき、そして今も、もう1頭の愛犬を変わらず見守ってくださっています。
もう1頭の愛犬も今年の6月で12歳になりました。あとどれくらい生きて、どれくらいお世話になれるかわからないけど、これからも悔いのない時間を一緒に過ごすために、病院のみなさまには気軽に相談させていただこうと思っています。



あんは幼犬の頃から病院通いとお薬が欠かせなかったので、ペット保険アニコム損保にも長年たいへんお世話になりました。

火葬の翌日に保険を解約し、次回の更新前だったので少しだけ保険金の返金もされて金銭的に助かりました。
そしてその数日後には、こんなメッセージと共にブリザーブドフラワーを送っていただきました。

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正直、毎年高額な保険代を支払うのはキツかった(笑)けど、でも自分たちにとって動物保険は絶対に必要なものでした。
最後にこんなサービスを送っていただけたこと、素直に嬉しかったです。
どうもありがとうございました!



あとがき。


もしかするとここまで詳しく書く必要はなかったのかもしれませんが、15年以上のバディだった愛犬との別れは間違いなく自分にとって転機だったこと、そして霊園や病院など、お世話になった場所のありがたさを自分の心の中だけに留めず、広く知っていただけるものなのならば知っていただきたい。その思いで約3ヶ月ぶりにモニターの前に座ってキーボードを叩きました。

このnoteの冒頭に書いた通り、一度生活の中から書くことも手放してみて、文章からも文字からも遠ざかりました。
そうすると思っている以上に自分にとって「何も書かないこと」は楽ちんで迷ったり悩んだりもしないしストレスもなくて(笑)、それはそれでまぁまぁ良かった。
もしかして書く行為は自分にとってそれほど必要なことではなかったのかなーとか、もしかして自分が本当にやるべきことは書くことではなく、他にあるのかしらーとか、色んなことを考えていました。
今も正直、その辺の真実ははっきりとしていません。


でも、時々亡くなった愛犬が脳裏に出てきて、
「お前いつまでボケーッと過ごしてるんや?とりあえず俺のことはよ書かんかい」とか言ってるような気がして(笑)。
いや、知らんけど(笑)。

でもまぁシンプルに漠然と、そろそろ誰かに聞いてほしい、知ってほしい、とは心のどこかで思っていたので今回書きました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


今さらですが皆さんお元気ですか(笑)?(今ごろ聞くのか)
コロナと上手く付き合いながら、これからもやっていきましょう。
どうか良い夏をお過ごしください。





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