誰に出会うか、出会わないか
今、SNSにつぶやいた一言が、通りゆく人に見られた一挙手一投足が、真実を知ろうとして踏み出した一歩が、「その一個、一個、一個、全部がスイッチ」。
なんの前置きもなく重たい話をしますよ。
昔々、とあるGWに、私は当時ひとり暮らしの部屋で死のうとしてました。
めちゃくちゃ死にたいというよりは、死んだら見返せるかなとか、もっと自分のことを考えて欲しかった、みたいな。そんな理由だったかなぁ。よく覚えてない。
なんにせよそれを食い止めたのは、同期で入社したひとりの女の子。
その子が私の部屋に夕方からずーっと電話をかけ続けてくれた。
応答のない留守電に話しかけてくれた。
彼女には特に何も言ってなかったし、その日自分がそんな計画を立てていたことを知ってる人はこの世にいなかったはずなんだけど、彼女はそれでも何かを感じてたのかな。電話をかけ続けてくれたんですよね。
その音を聞きながら、部屋でひとり迷い続けてやがて朝を迎えたのは覚えてる。
おかげで私は今生きてる。
GWが明けて、会社に行って、彼女と話したとき、たしかものすごい安心した笑顔で「よかった」って言ってくれた。気がする。(これもまたよく覚えていない)
今考えるとすごいセリフじゃないですか?
何が「よかった」のかな、って。彼女は私に何を感じていたんだろうな。
今これを書いてて、ふと私は、MIU404でたまらず号泣した「間に合った…!!」のシーンを思い出してしまった。(虚構と現実混ぜるな危険)
そんでもって私はたしかその時、彼女に「ありがとう」って言った。言えた。気がする。
年月と共に多少記憶が美化されてる可能性も高いけど。
でもまぁ、そんなことがあったのは真実。
その後すぐ、退職願を出して私はその会社を辞めて北海道に戻り、また長い長い迷走の旅に出るわけです(笑)。
時を経て今、MIU404を観ていて。
私のスイッチを押したのは彼女だったな、と。確信を持って言える。
スイッチって本当に在るよ。マジで在る。それもとんでもなく重大なスイッチが誰にも必ず在る。
誰に出会うか、出会わないか。
私は運よく彼女に出会えたけども。
ピタゴラ装置の玉、落ちてたかもわからない。
落ちた結末も無いわけじゃなかった。
……っていう話をわざわざすることもないよなぁ、って今までは思ってた。
けど、スイッチの大切さを描く作品に出会ってしもたら、やっぱ話すこと、書くこと、残すことも無駄じゃないのかもしれないと。考えた。
誰かに向かって、死ぬなとは言わない。言えない。
死にたい時はどうしても死にたいのわかるから。
それでさえも自分で決められる権利がある。大事な権利。
でも願わくばその前に、もしもこの文章を読んでくれたら、とか。
もしも私が彼女と出会えたように、誰かと出会えたら、とか。
私もまた、後悔したくないと思ってる。
何も書かずに、何も言わずにいて、もしかしたらここで出会うかもしれない可能性をゼロにして「何かしなかったこと」を後悔したくないんだと思った。
会社を辞めてから彼女とは1、2度年賀状のやり取りをしたかもしれないけど、それっきりです。薄情で恩知らずだなぁと自分で思うこともある(笑)。
でもそれでいいんじゃない?とも思う。
あの時あの瞬間、時が経てば一瞬のできごとだったやり取り。
時間も状況も自分も変化して動き続けるもので。ピタゴラ装置の玉だって少しも止まってはいないんだし。
間に合うといいな。
間に合いますように。
まったく読まれてないんですけど(笑)、404関連noteです
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