お笑いの世界にスタッフとして飛び込んだきっかけ

note自体書かなくて申し訳ない。

長文で書きたい事があったので久々に。


普段二ヶ月に一度ネタライブの「山ねこライブ」と不定期開催の「エロ漫画家大喜利」というイベントを主催しています。

芸人ではなく、スタッフや主催者。


なんでまた主催をやるかと言うと、お笑いライブのスタッフを高校生からずっと10年以上やってました。

今回はそのきっかけになった話を。


小学生の頃。

うっすらとボキャブラを見てました。笑う犬の生活を兄と見てました。

そして、オンバトを小学5.6年の頃にどハマりして、毎週ビデオに撮りつつリアルタイムで見て、オフエアバトル(BSでやってた)も見ていました。

すぐに観客希望や審査員希望のハガキを出した。

当時はパソコンが主流になった出始めのWindows98とかMEとかでした。

電話回線だとか。深夜だと通信料安かったとか。

それでハマったサイトがオンバトのファンサイト、芸人さんの公式ホームページとか、ブログもまだ無い頃。


中学生になり、オンバトで見たピン芸人さんのネタを見て、ホームページを作っているのを知って毎日のように感想をいったり。(掲示板とかBBSです)

その芸人さんが単独ライブをやると、

中学生ながらも一人で茨城から渋谷のセンター街のシアターDなどに行きました。

はじめての、お笑いライブ専用の劇場で見たライブ。

それが余りに心を打ちました

特にその芸人さんは音響を使うネタをしてたので、


スタッフになって手伝いたい。


と思いました。中学生の頃の夢は、「ライブスタッフ」でした。

今なら夢でもなんとも無い、言ってしまえば誰でもできます。

高校に上がった頃には、その芸人さんはお笑い芸人を辞めてしまいましたが、

スタッフになりたい、芸人にはなれない(ネタを思いつけなかった)、でもお笑いライブに関わりたい。それだけで、茨城からわざわざ東京にライブに行ったりして、すぐにスタッフをやり。

結局10年以上、何なら今も手伝うことはあるので15年程スタッフをやりつつ、お笑いライブの主催者を。



そして長い年月を経て。

ライブをその元芸人さんに手伝って頂くことになりました。。

長い、長い年月を経て、一緒にイベントをやる事になれたのです。

(といっても名前出していいのかわからないので伏せておきます)

とにかく感動が凄すぎて。

まだイベントは先ですが。嬉しすぎて書いてしまいました。

久々の再会に、泣きそうになってしまいました。。。

何時間でも喋ってました。。。


あの頃の中学生が、30歳にもなってしまいました。。。

これは、違う「泣きそう」。


憧れって、大事なんです。というお話でした。






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