【第4回勉強会報告】保育士が語るぶっちゃけトーク〜何が大変?どこを改善?みんなで考えよう!〜

スピーカーさんからの当日の資料です


1.はじめに


2021年11月28日(日)、4回目になる勉強会「保育士が語るぶっちゃけトーク~何が大変?どこを改善?みんなで考えよう!~」を開催しました。
会場のキッチンハリーナには子どもたち(乳幼児)含めて18 名、オンライン参加3名の合計21名の参加がありました。
実際に市内の保育園にこどもを預けている「保護者」という立場の方、いち保護者でもあり且つご自身が保育士さんでもある方、保育園は卒園したけれどもまだまだ子育て真っ最中の方、地域の社会問題として保育や子育てについて考えたいという方、かつて活躍されていた元保育士さんなどなど・・・。いろんな立場の方が集まってくださいました。

皆それぞれおいしいコーヒーや紅茶、子どもたちはぶどうジュースなど注文し、ゆるゆる、ぼちぼちスタート。
まず、今回スピーカーをお願いしたTKさんから、レジメに沿ってのお話。
民間園勤務の保育士さんとして、子どもたちのためにと日々奮闘されている姿がほんとうに目に浮かぶような、具体的で臨場感のあるトークでした。


2.日本の保育士配置基準は世界的にみてものすごく低い!


びっくりしたのが、日本の保育士配置基準(国基準)はいわゆる「先進国」の中で最低ということ。
そしてそれはなんと70年以上変わらず!!!

それが、コロナ禍の「登園自粛」で、登園してくる子どもの数が通常の半数程度の時があったそうで。
子どもたちに「ちょっと待っててな」と言わなくていい。
園庭も広々と使え、子どもたちを安全にのびのびと遊ばせてあげられる。
お散歩で登山に行っても、子どもたちの様子をしっかりみて丁寧にサポートしてあげられる。
理由は「コロナ禍で仕方なく」ということであったにせよ、「欧米並みの配置基準」であれば、こんなにも余裕をもってしっかりと子どもたちひとりひとりをみてあげられるのか、と、保育士さんたち自身が大変衝撃を受けられたそうです。

そして、そもそもの配置基準が十分ではないことに加えて、現場の保育士さんたちは事務作業に忙殺されているという実態。

子どものことをいつでも最優先に考えてくださる保育士さんたちだからこそ、子どもたちにいちいち「待っててな」と言わなくてはいけないことへの葛藤は本当に大きいものだと思います。
私たち親でもそうですもんね。朝や夕方の戦争のような時間帯に子どもが何か言ってきても「後で!」「ちょっと待って!」と何回言っていることやら・・・。泣。
子どもの全ての要求に応えることは無理なので、仕方ないとは思いながら、毎回心のすみっこが傷つきますよね・・・。
プロである保育士さんたちは、もっと上手に対応されているとは思いますが、ひとつしかない身体では物理的に限界があって当然です。
それに、保育士さんも1人の「労働者」です。
専門職として、子どもたちとしっかり関わりたい、目指す豊かな保育を実践していきたい、と思えば思うほど現実とのギャップに苦しまれているでしょうし、そもそも賃金もその高い専門性には到底見合わないものです。


3.子どもの安全を守れない京都市の責任放棄体制


園舎の補修などの費用が京都市から拠出されないことも衝撃でした。「移管を受けた側の園が支払うべき」って本当におかしい。
それでは、表向き「移管」というテイの「ただの丸投げ」じゃないのですか?

どれだけ保育士さんたちが子どもたちの安全確保に努めてくださっても、ハード面に不備があれば不慮の事故は起こりえます。命を守るために絶対に必要な経費です。
それが分かっているから、各園はそれぞれに苦労して節約に節約を重ね、補修のための積み立てをされているそうです。それを、市は「予算が余っているようだから返金せよ」と言っているとか・・・!
安全な園舎は最重要事項です。本来市が責任を持って拠出すべきお金ではないのですか?
しかも、園舎やプール、外壁など、全て経年劣化することはもともと分かっているのですから、市が計画的に予算化していけばいいだけのことじゃないんでしょうか?
それさえもしないとは・・・京都市って、一体何なんでしょうか。「丸投げ」どころか「丸捨て」かい!

加えて、参加者さんから、2014年7月30日、京都市認可保育園で起きたプール事故(お子さんは8月6日に亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたします。)のお話がありました。
このような死亡事故が起こること自体許されないのはもちろんですが、その後の園の対応も、京都市の対応も、無責任且つ不誠実極まりないものでした。(詳細は「あもう君の会ー京都市認可保育園プール死亡事故についてーhttp://www.withamou.com h  」をご覧ください)

「認可」を出している以上は、京都市には園の管理・監督・指導責任があるはずです。さらに公立保育所を「移管」するとなるとなおさらです。しかし、それらの責任を放棄している(し続けている)としか思えません。


4.参加者からの声


さて、会場からは、保護者の立場、保育士さんの立場、いち市民としての立場、など、いろいろな立場から質問や議論がありました。

保護者の思いを無視して「予算不足」を理由に公立の聚楽保育所廃止を決定した上、保育関連の予算削減と保育料値上げを検討していた(来年度値上げは見送りになりました)京都市の「行財政改革」については批判が噴出しました。
子育てや福祉関連の予算を軒並み削減しようとしている一方で、地下にトンネルを掘って北陸新幹線を延伸させようとしていて、そのためには京都市もどんなに少なく見積もっても200億円くらい拠出するのではないか?という意見には、参加者皆からどよめきと大きなため息がもれました・・・。

それでも、まずはみんなでこのような話をざっくばらんにできたこと、立場を超えて多様な意見が出されたことがよかったです。
以下、参加してくれた方からの感想の一部です。
・今日は興味深いお話がたくさん聞けて、気持ちも充実しました。30年前と現状はあまり変わっていないということを知り愕然とした。
・民間保育園にどのように監査、指導するのかという点に当局の弱点があると感じました。
・すごくいい刺激をいただいた。さまざまな立場の方の話がとても新鮮で、新たな気付きというか、そしてどこか嬉しい気持ちにも包まれた。
・数年で卒園していく状況の中では、保育をめぐる運動の経験や歴史を引き継いでいくことが難しい。それがこのような場で共有されていくことがすごく意味があると思った。
・保育だけでなく、何を食べるか、何を選んで何を買うか、他のことでも同じだと思った。「利用者」「消費者」としてサービスを享受するだけでなく、それが誰のどんな努力のもとに成り立っているものかを知り、考え、行動していくことが大切だとあらためて感じた。
・保育士さんの高い専門性を日々実感している保護者の立場からこそ、保育士さんの配置基準見直し・待遇改善を訴えていかないといけない。


5.おわりに(と、これから)


そもそも保育って、あたり前やけど商売ではない。
いわゆる「費用対効果」とか、「予算削減」・「低コスト」とか、「受益者負担」とかいう考え方がそもそもそぐわない。子どもたちは画一化された工業製品なんかじゃない。一人ひとり違う。子どもが50人いたら、50通りの保育があるのがあたりまえ。
人を育ててるわけやからお金がかかって当然やし、かけるべきじゃないんですか?
それは、保育だけでなく、療育も、学校教育も全て同じだと思います。

今のおとなたちのこれからを支えてくれるのは今の子どもたちです。
これからの社会をつくっていってくれるのも今の子どもたちです。
大好きなお友だちや信頼できる先生たちと、自由にのびのびと遊んでほしい。
毎日笑ったり泣いたりしながら心を豊かに育てていってほしい。
このまちで、たくさんのおとなに見守られながら「愛されてる」と全身で感じて大きくなってほしい。

そのために、私たちひとりひとりが現状を知り、考え、行動し続けていかないといけないと思っています。


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