013-いい母親にならなくては・・・?

 赤ちゃんを産んだことで、私は自動的に「母親」という役割を得ました。それと同時に心に芽生えたのは、いい母親でいなくてはいけない、という理想像でした。

 産前はそれは持たずに母親だけど、その役割に縛られず、自分の人生を生きる! って意気込んでいたけど、自分を生きるってこともこないだ、ただしがみついてただけだったってわかったし、そしたら色濃くいい母親にならなきゃっていう思いも浮かび上がってきたんです。

子どものことを差し置いて生きてはいけない

 なんとなく世の美徳として、母親って自分のことは後回しになるっていう風潮があると思う。確かに、なんか自然と赤ちゃんのお世話してたら、それだけで自分のキャパがいっぱいになって自分に構ってたら必要なお世話までエネルギー回らなくなってしまう恐怖っていうのが自分の中にあるなってことに気づいた。

 子どもにはできる限りのことをしてあげたいってやっぱりそれは自然と湧いてくる親としての欲求で、でも、それに伴って、そのできる限り最大限っていう基準を満たし続けなければ母親として失格、みたいなしがみつき理想像も存在していました。

 何か子どものお世話を自分のことにかまけて一回忘れてしまって、やらなきゃ!!と後で焦る事態になるってことも嫌だった。だから、夫を調教(?)して、じゃないけど、私がやれないときは彼にお子のお世話を任せても大丈夫っていうようにしておきたかった。でも、やっぱり彼も子育てはどこか母親主導でやるものっていう考えがあるようで、自主的に関わろうとする姿勢ってあんまり見られなくて、できるようになってもらうには、自分がやってることを始めは教えるところから1つずつやって行くしかなかった。それがうまく伝わらなかったとき、彼との関係で超絶苦悩になる(笑)

 これは子供を通して出てきてるパートナーシップの問題なんだろうけど、努力(?)の甲斐あって、二日間の長時間セミナーの間も安心して離乳食まで任せられるくらいにいい父親をしてくれてる。また二日間セミナー受けようと思うんだけど、今度もきっと大丈夫でしょう。

 と、思いながら、どこかざわざわ罪悪感が出てくる。頭の中に浮かぶのは、「彼は口では(セミナー)受けていいよ」って言ってるけど、腹の中では子供の世話を後回しにして自分のことかよって思ってるんじゃないかって出てくる。もちろん彼の態度も言葉も微塵も感じられないし、文句だって今まで言われたことはない。なのに、自分の中にいい母親にならなくてはっていう理想像がある。子供のことを考えているいい母親にならなければ世間から責められてしまう、こんな恐れがあるっていうことに気づいた。

 親である責任、っていう言葉。これだけで苦悩になれるな。周りに迷惑をかけないように配慮すること、これ、美しい心から見たら素敵な言葉なのに、苦悩でこの言葉を選択すると、誰も不快にしてはいけないっていう周りの人のことを思って行動するわけじゃなく、周りからどう見られてるかしか気にしてない自分中心意識の母親にしかなれないなって思った。

 この恐れからもった理想像はやっぱりネットで心ない人から受けた傷つく出来事っていう情報を頭に入れすぎてるのが原因かなって思う。怒られないように、とか、自分のメンツを守るため周りから見たちゃんとしてるいい母親にはなれなくていいから、自分中心意識から離れて、自分も周りも気持ちよく生きれる選択をしたいって思った。

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