004-ダイエット地獄から見た女性としての価値

 あー、もう、万年ダイエッターを繰り返してた過去の私。35歳の時、ダイエットせず体重が最大9kgくらい減った。もちろん病気じゃない。痩せようとすることにしがみつくのをやめたら痩せた。ダイエットはしてない。ただ、健康にいい食事っていうのもやめて、むしろダイエットでNGにしてた食べ物をOKにして、高カロリーな食事、甘いお菓子ばっかり食べまくってたのに、痩せた。

 痩せようとするのをやめたっていうのが正しいかな。それよりも自分のやりたいことに夢中になってただけやった。食べることより、そっちの方が優先順位が高くなってそしたら自分の理想に勝手に近づくことになったのだ。

 無理な食事制限で痩せたこともあった。でもその時、体重は減ってるのに、体型と言われる、カラダの形は確かにしぼんだが、自分が太ってるときに嫌だと思ってる形はそのままだったので全然納得できなったことがあった。だから、ただ体重が減るだけでは綺麗になれないことはわかってた。

 この好きなことしてたら痩せた時、カラダを整えることもしてたから体型が全然違った。これは本当に嬉しかった。でも、どこかでやっぱりその状態を理想像にしててしがみついてたから、出産して、また以前の太ってた自分の体型や体重に戻ってしまった、いや、それ以上に崩れてしまってる今の自分に価値がないと何処かで感じていたことに気づいた。

出産して体重が太ってた頃に元どおり!

 モデルみたいに痩せて綺麗な女性になれば幸せな人生を歩むことができるっていう風潮が世の中にはあると思うのだけど、例にももれず、私もそう思い込んでいた一人。
 ダイエットしようと思うと、心がものすんごく抵抗して暴れて苦しくなるので、自分の力で痩せるっていうことができない(過去に失敗しかしてない)から、体重が増えるということは死活問題だった。

 でも、妊娠・出産でまさかの妊娠中、食べづわりで、お腹が空いたら食べてないととてもじゃないけど気持ちわるくなって吐いてしまうので、そんなこと言ってられなかった。しかも、トマト、とか酸っぱいものとかそういうヘルシーなものも気持ち悪さを全然抑えることができなくて、カツ丼、カレー、揚げ物など、男子学生が好みそうなものばっかり3〜4時間に一度のペースで空腹になる前にかきこむっていう生活を繰り返してたから、一日の摂取カロリーがすごかった。多分、多い時3000〜4000kcalくらい摂取してたと思う。

 妊婦の不思議なんだけど、それだけ食べてもそこまで前半は増えなかった。妊娠後期に入ったら、お腹が苦しくてたくさん食べられなくなるって聞いてたのに、私は例外なのか、全然食欲変わらないまま、出産を迎える頃には産前からプラス12kg増加していた。

 産んですぐびっくりしたのが、娘、3260g、私の体重、1kgくらいしかへってなかったんよね(笑)お腹もさ、まだ一人いる? ってくらいまだ出てるの!!!
 産後3ヶ月くらいまででマイナス6kgで半分は減ったけど、そこから微動だにしない体重。でもまだこの時は焦ってなかった。
 なぜなら、出産したからっていう理由があったから。産後は半年かけて戻せばいいって聞いてたから、まだ3ヶ月だし! って思ってました。

 でも、もう娘も生後6ヶ月。途中から、本当にこれならやれるっていうことだけは取り入れて日々過ごして、なんとか産前まであと3kgって所に行ったけど、そこからまた動かなくなってしまった。

 食事制限は自分の中でこれならやれるっていう実感が湧くまではやらないって決めてるので、減るのも遅いのもしょうがないけど、やっぱり体重計に乗り出すと、もっと食事制限とかしたほうがいいんじゃないか、って思い始める。
 100gでも体重が減っていたら嬉しくなったり、逆に増えていたら、どん底でストレスで余計に食べたくなってしまったり。

 ダイエットも苦悩状態になってるなーということで今回の題材はこれ。

太ってること=女性としての価値がない

 産前の体重になればOKで、なれていない今はダメ。なんでこういうジャッジをしているのかを紐解いて行ったら、産前は女性としての魅力があった、まだ女性としての魅力がある体型、体重と思えたから、だった。

 産後、同じ体重でも以前より体型もやっぱり崩れていて、勇気を持って写真を撮って見てみた自分の姿はやっぱりショックだった。だから、体重が戻ればあの頃の自分に戻れると思っていたのだよね。

 ただ、体重が減りつつあっても体型はなんか以前とはやっぱり違うから、観念して筋トレを始めたのもある。でも筋トレが続いてるのはこれが目的じゃなく、美しい心で決めた、娘と元気に関われる体になるっていう、自分がしたいことに直結してるから続いてた。

 美しさを取り戻すっていう理由では私のしんどいことする筋トレのモチベーションにならなかったのは、美しさ=女性の価値っていう、美しさを苦悩の心で見ていからだった。

着たい服ではダイエットのモチベーションにならなかった理由

 以前、何処かの情報で、ダイエットの目標に痩せたら着たい服を先に購入して、それを見てモチベーションにする、みたいな情報を得て、試したことがあったけど、見事にその服は一度も着られる事もなく、ゴミと化してしまった。

 結局、この目標を決めた時点で、私は苦悩の状態だったし、その服が着れる自分はOKで着れない自分はダメってしてた時に立てた目標だったからうまくいかなかった。心から、その服本当に着れるようになりたいって思ってたかというと、全然で、着れたらこんな自分を許せるようになると思い込んでた事もわかった。

 心が美しい状態で、どうしてもこの服を着てあそこへ行って見たい! とときめく気持ちで立てた目標だったらモチベーションになったんだろうな。目標の内容も、結局、苦悩で立てるか美しい心で立てるかで同じ文言でも結果は変わってしまうという事。

〇〇だけダイエットの罠

 みんな、「痩せたい」っていうけど、これ、本当の願望じゃない。でも、「太ってる➡︎痩せたい➡︎じゃあダイエットしよう➡︎テレビで言ってたアレをとにかくやる」みたいになって失敗を繰り返すのはどう考えたって、苦悩の心から始めた事だから終わる。

 メディアは商品を売るために、苦悩の心にしてから行動を煽るようにしてるから、苦悩から脱出できる(痩せる)にはこの商品ですよーって出されると、苦悩だと飛びついてしまう。テレビで放映されたら一時的にその商品がスーパーからいきなり消えてしまう理由はこれよね。

 もちろん、効果・効能がないわけじゃないけど、そういった一面がその食品にあっていきなり体を変えてくれるスーパー食品ではないのに、苦悩の状態だと奇跡の食材みたいに勘違いして盲目的に一時期だけ摂取して、結果が出なかったり、飽きてしまってやめてしまう、を繰り返してしまう。これはただの娯楽と思って取り入れてるだけだからってわかってやってるならよし。

 でも、苦悩状態の私みたいなタイプは何をやってもダメなんだっていうアイデンティティにまで取り込んで無意識に作り上げちゃうものだから、また新しいダイエット情報がきたら、これならもしかしたら変われるかもしれない! とか思い込んでまたダメだったってどんどん自分をより苦悩に追い込んでメディアの家畜に成り下がって行くんだろうなと思った。

価値を埋めるためのダイエット

 ダイエットで成功することは、自分の女性としての価値をそれで痩せたら埋められると思い込んでいるからだと、美しい心で見たときにわかった。

そう、根底に【私は女性としての価値がない】、この思いが生んだ痩せたら女として幸せな人生を歩むことができる幻想を持っていた。
 今幸せじゃないのは、身体が太ってるせいってことになってて、それ以外の要因は考えもつかないのが苦悩状態。。いや、もっと色々あるやろって冷静になったらわかるのに、思えないのね。苦悩状態のときに、じゃあ、渡辺直美はすごく魅力的だけど、女性としての価値がない? って質問も意味をなさない。苦悩だからね。

 この【私は女性としての価値がない】ってのは根っこにふか〜〜〜〜く私はそういう人、として信じまくってたのだけど、これをアイデンティティにしちゃったんだね。

 あるとき、男性から相手にされなかったシチュエーションがありました。もう、ものすごくショック! 可愛い友達には優しくするのに、私には存在してないような態度。すっごくすっごく傷ついた。ある時は、女だったら誰でも彼でも連絡先を聞くっていう女たらしの男性まで、私には聞いてこなかった出来事があった。

 もう、それって私、女として認定されてないってことやんっていうその人の価値観を自分の価値としてしまったのね。初めてお付き合いした人にもなんか全然大切にされないことで、こうやっていろんな体験で私は女って言っちゃいけない存在なんだって思い込んじゃったの。痩せてスタイルのいい可愛い子じゃなく、太ってて魅力のない自分が悪いんだと思ってしまったのです。
 だから、痩せて綺麗になったら、女として生きていいと思えると勘違いしたんだよな。冷静に考えて、男と女しか人間にはないのに、女じゃなかったらなんなんだよって話だけど、自分が信じてる価値を所有してる人だけが女であってもいいって自分ルールが勝手に出来上がってしまってた。

 意識の授業では女=私ではないと教えてもらった。確かに、この身体の性別が女性ってだけ。あとは体を置いておいたとしても、セクシャル・オリエンテーション(性的指向)が女なだけ。確かに。それって自分そのものではないよな。
 自分と女が同化して、女っていうものに偏った概念を乗せて、体のせいにして私は行動としてダイエットで自分を苦しめ続けてただけやった。それにしがみついてしまってた。
 そしてどんな扱いを過去に受けたとしても、それはその時に起こったシチュエーションってだけで、今現在、私をそんな風に扱う人もおらず、男性も優しいし、おかしいはずやのに、理想像を特定することなく、ずっと握りしめてたからどんな素敵なひとと関わっても、またあの思いするんじゃないか、みたいなトラウマが湧き上がってきて、自分の女として価値がないと感じてしまうことのアイデンティティを強化し続けてきてしまった。

 理想像と特定するって、ほんと、過去の自分を解放することができる素晴らしい手法やなって感じた。

ほんとはどうしたかったか

 私、今は無理に痩せようって思ってない。カラダを鍛えるのも、娘と楽しく関われる自分になりたいって心から思うことのためにやってるし、10ヶ月も頑張ってくれた体に対して無理やり戻そうとするんじゃなく、一年くらいかけて労わりながら、健康で体調良く、元気にに生きられる体づくりの結果、美しさに近づければいいかな、くらいに思えるようになった。

 食事の改善はまだやりたいって思えないけど、料理は食べたいものを丁寧に作って、美味しく食べるっていう、あの昔の過食を治すためにはこうできるようになりたいと思ってた自分に今はなれてる。

 実際、体重も、減らそうとしなくても自然と少しずつちゃんと戻ってきている。朝はかったら、産前体重まであと2kgになってた。ゆっくり美しい心を大切に、カラダをいたわりながら、自分がしたいと心から思える行動を選択して体により剃った自分らしい美しさを求めたいと思う。

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