018-過食したい理由

 少食断食してみようかと思って、食べることと向き合うと決めた。そしたら、過食衝動がおでましになったのだわ。久しぶりのこの感覚。

 まだ断食も始まってないけど、意識が向いたから出てきたんだろうな。そこでものすごく自覚したこと。こんなにも不安になってたのかってこと。不安でぐるぐるしてたのはなんとなく知ってたけど、判断せず感覚に意識向けたら、下腹部あたりの強烈なモワモワしたかんじ、これ、絶大なる不安を抑え込んでる感覚だった。

 そう、想像以上に不安を感じてたんだなってこと。食べることはこの感覚を和らげるための手段。これまでは、このモワモワから食べたい衝動が瞬間的にわきすぎて、食べ物がなくても満たされているわたしにならなければという理想像にしがみついてたこともわかってなかった。

 でも、ちゃんと不安だから食べたい、とジャッジなく認識できると、その不安の正体から、理想像を見てくことができたのだ。

 過食衝動湧いたら、絶対食べてOKっていうルールはやっぱり必要やな。食べ物がなくても大丈夫なわたしにはならなくていいやっていう許しになるんやなっておもった。この理想像は感じてることをコントロールしようとしてたから、無理があった。わたしは結構、感じてることそのものを変えようとするクセがあるな。感じ方の否定は自分をどんどんと小さく緊張させていくのだとも知った。

 不安の中身をみていくと、お金の心配ってのが出てきた。今現在、無収入のわたし。これからの仕事の目処も収入をえる手段もなにも決まってないなかでムクムクと不安が湧いてきた。そしたら出てきたのが10代の時の記憶。父親が仕事を失って五年ほど無職だったときの出来事から『うちにお金がない』という親が口癖みたいに言ってた言葉から生まれた不安だった。お金がない、は結構たくさんの親がなんとなく言っちゃうセリフだとおもってるんだけど、どうだろ。お金がないから買わないよって理由を何千回と言われてた気がする。でも、それをほんとに間に受けてしまって、いつかの通販で親が10万円買い物した明細書をみたとき、これ、払えないんじゃないの?!と、不安になって号泣したことがあった。

 今思えば払えるから買ってるわけで、でもお金がない、というから、信じ込んでしまってた。お金がない、とは、その前に(余分に使う)って言葉が意味としては入ってるのだろうけどそれを読み取れなかった。不安で苦悩になってたからやな。あとは、ただ諦めさせるために使ってただけやろうけど。

 父は貯金が趣味だったので、かなり倹約した生活をしてたようにおもう。わたしからしたら必要なところにお金を使わないで、ボロボロの服や、家にお金を全然つかわないの。だから、本気でお金がないと思いきや、老後にビッグスクーター4台くらい乗り換えしまくりの(今なんかホンダの最上クラスのバイク乗ってる)、最近はまさかのクラウンの新車をキャッシュで購入していた。バイクや車以外にも、結構いいマットレスやったり物も最近は買ったりしてるな。家電とかも最新最上位クラスが好きな人。

 金、あるやんけっ!!!!!

っていうのが、わたしの心の声(笑)いや、お金をどこに使いたいかは人それぞれだからいいんやけど、お金自体がまじでないのかと思って心配してたからよかったといえばよかったんだけどさ。

 ある意味、老後はわたしらに頼らなくてもいいように、そして遊ぶ金までちゃんと準備してたんやなと思った。もうお葬式のためのプランまで入会してくれてるようやし。

 父の生き方なだけで、今までお金の不安はここから来てただけで、別にそこまで心配する必要もないんかもしれんな、とこの不安を直視して思った次第です。

 たしかに金持ちではないけど、お金で困ることって考えたら一度もないんよな。父が無職の5年間ですら、生活レベルは何も変わらなかったし、デザインの専門学校にまで入れてもらった。今思えばすごいことよね。だから、必要な物や出来事に不足はなかったな。豪遊とかはできひんけどさ。

 ただ、不安な妄想が頭のなかにあって、ちゃんとしないと困るってしがみついて見えなかったんやな。ファスティングの入り口はこんなかんじ。

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