ブラタモリ日記その20 「関ヶ原の戦い #239」 (2023.6.24)
始まりました、ブラタモリ。今回は関ヶ原ッ。
来た、来た、来た、来た、関ヶ原ッ。ボクがブラタモリにハマってから関ヶ原を放送というこの奇跡。きっとタモリさんは、ボクのためにこれまで待っててくれたのだろう。いや、そんなわけない。
いや関ヶ原には一度は行ってみたいのだ。ただこれまでは、関ヶ原でこれを見たいとかいうものは特になく、ただ漠然と歴史を感じたいだけだった。
それが今回のブラタモリをみて決まった。それは黒田長政が島左近を討つために通った山道。タモリさんも歩いたその山道を歩きたいッ。
やっぱり側面撃ちや挟み撃ちは、攻撃の基本中の基本なんだなぁ。長政は自隊から島左近隊へつづく地形をみて、即座に側面撃ちを決断するのだ。
そしてそれが見事にハマる。自ら考えた戦術が成功して結果がでるなんて、これこそ武将冥利につきることだろう。
またその山道が関ヶ原断層の上というのだ。歴史を感じるだけでなく、地球も感じれるのだ。これはぜひ行きたい。そして自分の足で歩いて長政の側面撃ちを体感し、歴史と地球を感じたい。
歴史って、実におもしろいッ
「天下分け目は地形にあり!?」
東軍およそ 7万4000 西軍およそ 8万2000
直径3kmの盆地
6時間で決着
西から東に向かって低くなっている → 西軍有利
西の高い場所(特等席)に石田三成の陣
東の名古屋寄りの入口に家康の陣(赤白の鉄塔が見える位置)
開戦は午前8時
東山道 → 都と東日本をつないだ重要な街道、関ヶ原は宿場町
東山道、伊勢街道、北国街道が交わる交通の要衝
関ヶ原は三成にとって死守したい場所 → 突破されると西軍の拠点である琵琶湖、京都、大阪に一気に攻め込まれる
大谷吉継 → 三成とは幼い頃からともに秀吉につかえる
通り道である東山道を最も信頼できる吉継にまかせる
大谷隊およそ3000、東軍およそ5500が対峙
関ヶ原の戦いの1000年前、関所を設置(不破関) → 防衛拠点
関所をはさんで関東と関西にわける
関所に誘導するように土塁
西軍は土塁を巧みに利用
はじめは三成の陣の付近で戦っていた島左近 → だんだん前へ出てくる → 黒田長政の鉄砲隊に奇襲攻撃される
島左近から見えない山道を通る → 関ヶ原断層の上
小早川秀秋 → 戦いの前日に勝手に高台に陣取る(最も高い山、松尾山)
石田三成からの条件「播磨一国差し上げる。関白になっていただく。(秀頼が15歳になるまで)」
徳川家康からの条件「二ヵ国差し上げる」
動かない小早川秀秋 → 午前11時頃、後方にいた家康3万の軍勢が前に出てくる → 家康を背後から攻めるはずの毛利隊が動かない → 正午、小早川秀秋は東軍へと寝返る → 側面を突かれる大谷、自害
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